第20話 「大浴場にて・男性編」
「本当、すごい風呂だな…」
オレの目の前には、それはそれは大きな湯船が広がっていた。
いったい何人が同時に入浴できるのだろうか。故郷の村で、たまに水浴びに使っていた泉より大きいかもしれない。
屋敷内を一通り案内され、またしても豪華な夕食をご馳走になったオレたちは、今度はヴァイパー卿自慢の大浴場があるという話を聞いた。
何度か来たことのあるウィンディさんはともかく、ラナとレミィは大きな風呂と聞いて目を輝かせていた。
先に女性陣に入ってもらったわけだが、戻ってきたレミィがそれはそれは子供のようにはしゃいでいたものである。
「すごく広いお風呂でしたよ、ジュピター様!」
神殿にいた頃も、それなりに大きな風呂に入っていたのだとは思うが、反応から察するによほど大きかったのだろう。ラナは何も語らなかったが、なぜかオレと目を合わそうとしなかった。
とはいえ、たかが風呂である。ちょっと大きい程度で、オレはそこまでテンションが上がるものではない。
そう思っていたのだが…
「やべー! でけー! すげー!」
オレの語彙力は崩壊した。
床も壁も、そして天井さえも、汚れひとつない純白のタイルで敷き詰められている。壁面にはところどころに装飾が施された燭台があり、その明かりを受けて白いタイルの輝きが際立っている。
浴槽は金の縁取りがされていて、何か薬草を溶け込ませているのか、乳白色の湯がたっぷりと溜められていた。見れば浴槽の隅の方に、巨大な獣を象ったオブジェがあり、その口から綺麗な湯がこんこんと湧き出ている。
壁面の上部には切り欠きがあり、そこから夜空が窺えた。漆黒の空に浮かぶ、輝く月。今宵はそれが、いつも以上に綺麗に見える気がした。
「これは…うん…上がる…」
湯の温度もちょうどよく、加減を整えている使用人の手腕がよく分かる。いや、もしかしたら何か魔術的なもので沸かしているのかもしれない。あの陽気で豪快な貴族なら、そういう設備を作っていたとしてもおかしくはないだろう。
後で話を聞いてみようかと思いながら、オレは肩まで湯に浸かって、すっかり気を抜かしていた。
だから、大浴場に入ってきた気配に気が付かなかった。
「どうだ、ヴァイパー家自慢の風呂は?」
「ぶっ!?」
思わず変な声を上げ、一瞬湯の中に潜りかける。
見れば、60歳を超えた老人の身体とは思えない、筋肉が盛り上がる屈強そうな肉体が見えた。
「ば、ヴァイパー卿!?」
「あぁ、気にするな、男同士の裸の付き合いは無礼講だと、昔から相場は決まってるからな」
かしこまりそうになったオレを、屈強な辺境伯が手でやんわり制する。
「じゃあ、失礼するぞ」
「は、はい…」
軽く湯浴みをして、ヴァイパー卿も湯船に入る。多数の傷が目立つ大柄な肉体が沈み、幾分か湯が溢れた。
しかし、乳白色に染まった湯で良かったと思わざるを得ない。たとえ男同士でも、今日出会ったばかりの相手だ。目のやり場に少し困る。
「ははは、素晴らしい風呂だろう?」
「はい、とても…」
よほどこの大浴場を気に入ってるのか、ヴァイパー卿はこれまでで一番の笑顔を浮かべている。両腕を浴槽の縁にかけて、じっくりと心地よさを堪能している様子だった。
「あの…仲間たちにも、とても好評でした」
「うんうん、そうだろう」
満足そうに頷くヴァイパー卿。
ふと、ついさっきまでこの浴槽に女性陣3人が入っていたのだと想像し、不覚にも赤面してしまったのはここだけの話だ。
「しかし、3人の美女を連れての旅…なかなか楽しそうだな」
「え…あ…いえ、それほどでも…」
オレの想像を見透かしたわけじゃないだろうが、ヴァイパー卿の言葉にオレはつい言葉を濁らせてしまった。
「あの中に、君の恋人はいるのかな?」
「そっ…!」
急に何を言い出すのか、この爺さんは。と、心の中で貴族に対する敬意も吹っ飛ぶ。
「ハッハッハ! その反応からして、まだ女は知らないと見えるな!」
「……」
この人は酔っ払ってるのだろうか。オレは隠れるように、口元まで湯に浸かってしまった。
「じゃあ、質問を変えよう。あの中に、君の想い人はいるのか?」
「…い、いませんよ…」
「なんだ、そうなのか? もしウィンディだったら、ぜひ嫁にもらって欲しいと思ったんだがなぁ」
どこまで本気で言ってるのか。自分の姪をほいほい嫁に出そうとしないで欲しい。
「あいつも25歳…だったかな? いい加減に相手を見つけないといけない歳だろうに…愚弟も何をしているのやら」
「…そういえば、ウィンディさんの父上…ヴァイパー卿の弟というのは…?」
これは話題を変えるチャンスと思い、オレはすかさず言葉を差し込む。そうじゃなくても、ウィンディさんの家族については少し気になっていたのだ。
「あぁ、弟はアルベルトと言ってな…若い頃に家を出て、格闘家になってしまったのさ」
そういえば、ウィンディさんは父親から格闘術を習ったと言っていたのを思い出す。
「時々は手紙で連絡を取り合っていたが…今は「塔」にいるはずだ」
「「塔」って、あの「塔」ですか…?」
魔術師たちの総本山。大賢者である「四聖賢」が治めるとされる地だ。確か、帝国の西にあると聞いたことがある。オレもいつかは行ってみたいと思っていた。
そんなところに、格闘術の使い手がなぜいるのか、見当もつかない。
ということは、ウィンディさんは「塔」から、遠く離れた王都まで来たのだろうか。いや、そうなると帝国を通ってこの街を通過していなければおかしい。
オレは奇妙な違和感を覚えていた。
「まぁ、詳しいことは知らんがな…で、さっきの話の続きだが…」
「う…」
考え事をしようと思っていたのに、この爺さん、なかなかにしつこい。オレが話題を変えたのを、すぐに戻そうとしてきた。
「君の好みの女性というのは、どういうタイプなんだ?」
「こ、好みのタイプ…ですか?」
本当に60歳を過ぎた爺さんか。聞いてくることが故郷にいた30代くらいのオッサンのようである。悪い意味でも、この人は若々しいのだと思えた。
「え、えぇと…年上で、優しくて…お淑やかで…上品で…いつも落ち着いているような…そんな人…ですかね…」
言いながら、オレの頭の中に浮かんでくる人物像は、故郷で待つ母さんにしかならなかった。
母さんのような女性がいたら、きっとオレはすぐに心を奪われてしまうのではないだろうか。
「ほうほう…それは…やっぱりウィンディになるんじゃないのか?」
「え…あれ…?」
そう言われて、オレは目を見開いてしまった。
確かに、ウィンディさんは優しそうだし、いつもニコニコして落ち着いているし、年上らしく包容力もありそうだ。
「ふふふ…そういうことなら、俺は応援するぞ? 伝説の竜剣士殿の子息なんだ、相手として申し分ない」
「や、やめてください…失礼します!」
そんな風に考えると、意識しない方が難しい。ウィンディさんの笑顔と、細い目から覗く美しい緑の瞳が頭に浮かぶ。
オレはこれ以上付き合っていられないと、いそいそと大浴場を後にした──。
──第20.5話に続く




