第18話 「ヴァイパー辺境伯」
「あの…本当にココ…なんですか…?」
「えぇ、そうですよ」
驚愕するオレを他所に、ウィンディさんはいつも通りのニコニコ顔で肯定した。
隣ではラナもレミィも、口をポカンと開けて呆けている。ラナのこんな表情は珍しい。
オレたちの目の前には、王都の神殿よりも大きな豪邸が建っていた。
「ほとんど城じゃないか…」
「一種の砦も兼ねていますからね」
屋敷を囲む高い塀には、いわゆる「矢狭間」と呼ばれる小さな穴がいくつも開いている。ここから弓矢を覗かせ、敵を迎撃できるというやつだ。
今でこそ大きく開いているが、門扉も重厚な造りとなっている。もし閉ざされていたら、強引に突破するのは容易ではないだろう。
門から屋敷までの距離もかなりあり、この敷地だけでどれほどの広さとなっているのか、想像もできなかった。
そしてその長い道を、オレたちの方に向かって歩いてくる人影が1つ。
大柄で、筋骨逞しい体格をしながらも、金の刺繍が施された豪華なマントを羽織った人物。
「おぉ、ウィンディ、久しぶりだな!」
「ご無沙汰しています、伯父様」
見かけ通りの豪快な声を発した人物は、屋敷の主にしてこの国境の地一帯を治める領主。
その名もロベルト・ヴァイパー辺境伯であった。
◇ ◇ ◇
王都南の森を抜けた先。国境の街は、まさに「外敵に対する盾」といった雰囲気を持つ城塞都市だった。
街全体が高い壁で覆われ、その壁のそこかしこに、修復した後が多数見受けられる。かつての戦争で受けた傷跡が、数十年経った今でも残っていた。
街の中もまた、防御力を重視して建物同士が密集した造りになっている。通りはやや狭いが、どこも石畳でしっかりと舗装されていた。
そんなお堅いイメージのある街だが、住人の様子は王都とさほど変わらない、穏やかなものだ。戦争が終わってから長い時が経ち、そもそも戦争を知らない世代が増えているのだから、それも当然かもしれない。
オレだって、戦争なんて話でしか聞いたことがなかった。
ウィンディさんに案内されるまま、オレたちは街の中央にある領主の屋敷へと足を運ぶことになった。
まさか、彼女の父方の伯父が、王国の重鎮とも言える辺境伯だったとは。何かしら高貴な生まれとは思っていたが、そこまでは予想していなかった。
「また一段と美人になったな。自分の姪じゃなかったら口説いてるところだ」
「またまた、伯父様ったらご冗談を」
屋敷内を親しそうに会話しながら歩く2人の背を見ながら、オレたち3人はそわそわした様子を隠しきれない。
平和な世になったということもあるのだろう。外観の物々しさとは裏腹に、屋敷の中は落ち着いた雰囲気をしつつも煌びやかに飾られていた。廊下に敷かれた絨毯もフカフカで、歩くたびにわずかに弾力を感じる。
「君たち、そんなに緊張しなくて良いぞ。可愛い姪の友人だし、そもそも俺は堅苦しいのは苦手でな」
オレたちの様子に気付いて、ヴァイパー卿は歯を見せるくらいの満面の笑顔を覗かせた。
こう言ってはなんだが、ウィンディさんとは全く似ていない。きっと彼女はエルフである母親似なのだろう。
ヴァイパー卿はかつての帝国との戦争において、最前線で戦い抜いたまさに英雄と呼べる人物だ。60歳を超える老齢ながら、若々しく精力的な外見で、色んな意味でまだまだ現役だと公言しているらしい。
その割に、妻は1人しか娶っていないと聞いた。言動とは違って、意外と一途な人なのかもしれない。
広い食堂に通されたオレたちは、ヴァイパー卿と共に豪勢な食事をすることになった。その際に噂の奥方も目にしたが、とても穏やかかつ淑やかな白髪のご婦人で、ヴァイパー卿の陽気さからは想像もできないほど大人しい方だと感じた。
昼を過ぎてから街に到着したオレたちにとっては、少し遅めの昼食。空腹であったはずだが、なんとも落ち着かない雰囲気のせいで、なかなか食は進まなかった。
訂正。ラナだけは、出されたものを残さず食べていた。
「しかし、お前が冒険者として旅をするとは…何かあったのか?」
「それなのですが、伯父様にお願いがあるのです…」
食事をしながら、ウィンディさんはこれまでの事情を簡潔に説明してくれた。オレも補足するためにその会話に参加したが、どうにも貴族が相手と思うと口が上手く回らなかった。
「なるほど…竜剣士殿を探すため、帝国へ渡りたいと…」
太い腕を組み、何度も頷くヴァイパー卿。オレだけでなく、ラナもレミィも固唾を吞んで返答を待っていた。
「話は分かった。国境を越えるための手続きなら、俺に任せろ」
再び、ヴァイパー卿は白い歯を見せるほどの笑顔を浮かべ、その分厚い胸板を叩いてみせた。
「姪とその友人が困っているとあれば、力を貸さない理由などないからな」
「ありがとうございます、伯父様」
「あ、ありがとうございます…ヴァイパー卿」
ウィンディさんがニコニコしながら両手を合わせて喜ぶ。オレはまだ緊張が解けない様子で、たどたどしく頭を下げることしかできない。レミィも、慌ててペコリとお辞儀をする。
ただ1人、ラナだけは落ち着いた様子で緊張することもなく、優雅な所作で一礼していた。
「とはいえ、手続きに数日はかかるだろう。その間は、どうぞ我が家に滞在してくれたまえ。あの竜剣士殿のご子息の話も、ぜひ聞いてみたいしな」
ヴァイパー卿のその口ぶりから、オレはある疑問が浮かんだ。
「もしかして、父をご存知なのでしょうか…?」
「ご存知…というほどではないがね。一度だけ、竜剣士殿がここを訪ねてきたことがあるんだよ」
それを聞いて、オレはつい身を乗り出してしまう。
「父がここに!? な、何か話していませんでしたか?」
「まぁまぁ、落ち着け。その辺りも、後でゆっくり話をしようじゃないか」
やんわりと制され、オレは自分の無礼を恥じた。どうしても、父さんのこととなると冷静でいられなくなってしまう。
「俺としては、そこのお嬢さんに興味が湧いてきたんだがな」
「…私…ですか?」
ヴァイパー卿の視線は、銀髪の剣士に向けられている。
「食事中の作法…そして先ほどの一礼を見て思ったが…もしかして君は、どこかの貴族の生まれなのかな?」
その質問を聞いて、オレはついラナに視線を向けてしまう。
昔から、ラナは礼儀作法や食事のマナーなどはしっかりしていた。というのも、彼女の母親がその辺りに妙に厳しかったせいである。
確かに、ラナの母親は落ち着いた雰囲気を持つ、どこか気品に満ちた人だとは思っていた。その出自は聞いたことがなかったが、もしや…。
「…私はただの、田舎生まれの剣士です」
ヴァイパー卿の言葉を受けても、ラナは全く動じる様子もない。いつも通りの無表情さを保ったまま、軽く会釈をしてみせる。言われてみれば、その動作もまた、気品を感じるものだと思えた。
大喰らいなところだけは、貴族的とは言えなかったが。
「ふむ…それなら俺の勘違いかもしれないな…すまない、忘れてくれ」
「いえ…」
そんな会話があったが、辺境伯夫妻との食事は滞りなく終わった。
国境を越えるための手続きは、どうしても時間がかかってしまう。それでも数日で済むのなら、まだ短いものである。ヴァイパー卿の配慮には素直に感謝したい。
「じゃあ、竜剣士殿の話はまた後ほどするとして…」
いよいよ父さんの話かと思って待っていたオレは、肩透かしを喰らってこけそうになってしまった。
「俺の秘蔵のコレクションの数々を、ぜひ見ていってくれたまえ!」
そう言ってヴァイパー卿が案内してくれたのは、様々な宝物が並べられた専用の広間であった。
母さん、父さんはいったい何のためにこの街を訪れたのでしょうか──。
──第19話に続く




