第16話 「拳と魔」
降り注ぐ初夏の日差しが、木々の間をすり抜け、緑豊かな地面のそこかしこを照らしている。
程よい陽気と、植物特有の匂い。そして遠くから聴こえる鳥や虫の鳴き声が心地よい。
王都から出たオレたち4人は、その南に広がる森の中を進んでいた。
向かう先は帝国。30年ほど前に、近隣諸国に侵略戦争を仕掛けた国だ。王国もその例外ではなく、激しい戦いが何年も続いていたという。
とはいえ、それももう過去の話。終戦からそれなりに年月が経ち、王国と帝国の国交はある程度回復している。それでも、入出国にはやや面倒な手続きが必要だった。
「帝国に行くのでしたら、私がご案内しますよ」
そう提案してくれたのがウィンディさんだ。なんでも、帝国との国境近くの街に、彼女の親族が住んでいるらしい。その人を頼れば、国境を越える際に便宜を図ってくれるとのこと。
国境越えの手続きに介入できるような、高位の役人が親族にいるということだろうか。もしかしたら、彼女は高貴な家の生まれなのかもしれない。言われてみれば、その落ち着いた雰囲気には気品を感じなくもない。
「レミィさん、あそこに生えてる木、夏になると美味しい実ができるんですよ」
「そうなんですね! 食べてみたいです!」
道中、ウィンディさんはレミィと積極的に会話を弾ませ、とても親しくなっていた。一応、彼女の動向には注意していたが、レミィに何か危害を加えるようなそぶりは見当たらない。
一方で、出発してからずっと、ラナは不機嫌そうな表情を浮かべている。あれだけ警告したのに、それをオレがあっさり無視したのが原因なのは、言うまでもない。
しかし、オレとてちゃんと考えがあって、ウィンディさんの同行を許可したのだ。
もし、彼女がレミィに対して何か思うところがあって近付いたのであれば、それはおそらくレミィの素性に関わることだと思われる。そうであるなら、むしろ一緒に行動してもらった方が、オレたちとしても有益だと思えた。
そして仮に、何らかの悪意があって近付いてきたのであれば、やはり近くにいた方が監視の目も届きやすい。同行を拒否して、自由にさせてしまう方がリスクが高いと考えたわけだ。
という旨をちゃんと説明したのだが、それでもラナの機嫌は良くならなかった。なぜかずっと、冷たい視線をオレへと向けてくる。
その視線を向けるべきはウィンディさんなのではないかと、思わざるを得ない。
「この森を抜けると、街までの近道になっているんですよ」
そもそも、森を突っ切るルートを選んだのも、彼女の提案によるものだ。
街道を素直に通った場合と比べて、数日は道程を短縮できるらしい。日数がかからなければ、その分の食料や消耗品も節約できる。
鬱蒼と茂った森だが、それほど歩きにくいわけでもなく、彼女の提案はどれも有用だと思えた。
だが、そう美味い話ばかりではないのが世の常である。
「…待って」
ラナの鋭い声が、オレたちの足を止めさせた。
「どうした?」
「…何か来る…」
彼女の鋭敏な感覚が何かを察知したらしい。すでに左手で長剣を抜いている。
その様子に、オレも身構えた。そしてオレとラナの間にレミィが移動する。有事において邪魔にならない位置に、自然と動けるようになったようだ。
ウィンディさんはというと、静かにその場から動かず佇んでいる。手足を軽く開いて、すぐに動ける体勢だ。格闘術を習っていたというのは、やはり本当らしい。
気がつけば、鳥や虫の声が聴こえなくなっていた。
「来た…!」
ガサガサガサッ!
茂みの向こうから、何か大きなものが近付いてくる気配。
その音から察するに、非常に大きなものだと思えた。
そしてさらに、気配は1つだけではない。
グオォォッ!!
果たして現れたのは、体長3メートル近くの大型爬虫類。
複数匹の魔獣ジャイアントリザードであった──。
◇ ◇ ◇
ラナの剣が、リザードの大きな身体を受け止める。超重量の体当たりに対し、その怪力を以て耐えた。
「さすがは「怪力無双」だな!」
「次それ言ったらシメる…!」
調子に乗りすぎた。もう言わないように気をつけなければ。
現れたジャイアントリザードは全部で3体。大きさに多少の違いがあることから、おそらくは家族だろう。どうやら、オレたちはリザード一家のテリトリーに足を踏み入れてしまったようだ。
先陣を切って突撃してきた1体を、ラナが止めた。それを見て怯んだか、他の2体はすぐには掛かってこない。
殺すつもりはないが、降りかかる火の粉は払うのが礼儀というもの。
オレはどの魔術を使うか一瞬考え、そして選択した。
「恐怖!」
対象の精神を恐慌状態にして、混乱をもたらす魔術。知能が低い相手ほど効きやすく、効果も高い。
案の定、目標にしたリザードは恐怖を覚え、その場から退却する。
そのはずだった。
グオォッ!
「マジかよ!?」
恐怖から逃げ出すことを見越していたが、狂乱したリザードがまさかの突撃。
その向かう先には、ハーフエルフの女性の姿があった。
「ウィンディさん!」
襲いかかるリザードを前に、彼女は全く動じる様子はない。それどころか、いつも通りの笑みすら浮かべている。
リザードが、鱗に覆われた太い前足を振り回す。
フワッ
「え…?」
何が起きたのか、オレには一瞬分からなかった。
振り下ろされた前足が触れたと思った瞬間、ウィンディさんは自ら身体を一回転させ、前足の上を転がるようにして回避。
次いで、フワリという表現が似合う挙動で跳躍した。
気が付いた時には、ウィンディさんの身体はリザードの背中側にある。そこに両手をつき、倒立しているような形だ。両足を開いてバランスを取っている。
驚異的な体幹だと思えた。
「ふっ!」
短く鋭い呼吸。
同時に、リザードの背中に触れている両手に、魔力の青白い光が見えた。
バチッ!
大きな音が響き、同時にリザードの全身がビクリと大きく痙攣。
次の瞬間には、白目を剥いて昏倒してしまった。
「す、凄い…!」
「え、今…何をしたんです?」
あまりに早い展開に、オレはついていくのがやっと。戦いの心得がないレミィには、何が起きたのかすら理解できないだろう。
おそらく、触れている両手から精霊魔術の「雷撃」を直接叩き込んだと思われる。超高圧の電撃を浴びせられ、リザードは感電して気絶したというわけだ。
魔術師は基本的に、直接的な戦闘力に乏しい。オレも剣は使えるが、それほど得意というわけではない。
しかしウィンディさんは、格闘術による体捌きで攻撃を躱し、精霊魔術で反撃を行うという戦い方を高いレベルで習得していると思われた。
単純な戦闘力なら、オレどころかラナより上かもしれない。
倒れたリザードの背中からヒラリと降り立ち、ウィンディさんは何事もなかったように、笑顔を向けてきた。
「レミィさんもジュピターくんも、お怪我はありませんか?」
オレたち2人は、目を丸くしてただ頷くことしかできない。
ちょうどその時、ラナがその剣でリザードの1体を退け、最後の1体が尻尾を巻いて逃げ出したところだった。
勝手に縄張りに入ったのはこっちだ。わざわざ追う必要もない。
「あ、あそこに人が…!」
「なに!?」
レミィの指す先。逃げたリザードの進行方向に、人影があるのが見えた。
こんなところに、オレたち以外の旅人だろうか。などと考えている場合ではない。
「危ない!」
そうオレが叫んだ瞬間…
リザードの突撃がピタリと止まった。
「な…!?」
リザードは人影の片腕一本で止まっていた。
その人物は、こんな森には似つかわしくない、紫色のロングドレスを纏った女性。
「あれは…エーゼル!?」
そう、それは先日出会った謎多き美女、エーゼルに違いなかった──。
──第17話に続く




