第13話 「黒い影と謎の声」
視界に映る全てが速い。認識する間もなく流れていく景色。考える暇などない。
オレの右拳を受けて、驚愕した様子のランフォードが見えた。なんだ、そんな表情もできるんじゃないかと、ふと思ってしまった。
が、それは一瞬だけのこと。
ランフォードは手にした剣を逆袈裟斬りに振る。その動き自体は、強化した動体視力でバッチリと見える。見えるのではあるが。
思考する暇が、ない。
身体能力を限界を超えて強化した結果、その速さにオレの思考が追いつかない。相手の動きを見てから対策を考える、なんてことはとてもじゃないができない。
だから、オレは考えることを止めた。
「おぉっ!」
「ぐっ…!」
速さに任せて、《《相手が動いたのを見たら殴る》》。ただそれだけに注力することにした。
ランフォードが突きを繰り出そうとしたら殴る。
ランフォードが横薙ぎしようとしたら殴る。
ランフォードが間合いを離そうとしたら殴る。
一歩も、奴にその場から動くことをさせない。
おそらく第三者から見たら、オレが一方的に相手をタコ殴りにしているようにしか見えないだろう。だが、実際には、ランフォードのほんのわずかな動きを見た瞬間に、考えなしに拳を振るってるだけ。
なんとも脳筋な戦い方だが、今のオレにはこれしかできない。
「うぉぉおっ!」
「ぬぅ…!」
しかし、殴り続けるのも限界がある。そもそも、格闘術の心得なんてほとんどない。
魔術の三重発動なんて無茶をやっていることもあり、オレの疲労は限界に近かった。
渾身の一撃を当て、ランフォードをとうとうダウンさせたが、もう立っているのがやっとという状態になっていた。
ランフォードは仰向けに倒れたまま動かない。気絶したのだろうか。いや、むしろそうであってくれと、願わずにはいられない。
果たして、奴はゆっくりとその身を起こした。
「く、くそ…」
手が、足が震える。疲労と、これだけの攻撃を受けてもまだ立ち上がる相手への恐怖。今すぐ逃げ出したい衝動と、その場に倒れ込みたい欲求が、オレに重くのしかかっていた。
「き、さま…ぁ…」
ふと、何やらランフォードの様子がおかしい。
涼しげだった顔はどこへやら。その目はそれまでとは異なり、強い敵意と殺意に満ちている。わなわなと震える手の、爪が妙に長く見えた。
「奴の…息子…コロ…す…」
なんだ? これはランフォードの声? そうとは思えないほどに、重く禍々しい声。
さらに、ランフォードの背後からドス黒いオーラのようなものが立ち上った気がした。
そのオーラが、奴の頭上で1つのシルエットを形作る。
それはまるで、《《大きな角》》のようにも見えた。
「な、なんだ…」
「ちょっと、ランフォード…?」
オレと同時に、エーゼルですら困惑の声を上げる。彼女も見たことのない姿なのか。
もしや、これがランフォード本来の…?
「ジュピター様!」
瞬間、背後からレミィの声。
それを聞いた瞬間、なぜかすっと、オレの身体が軽くなった気がした。
疲労感がない。頭の中もクリアだ。
その透明感のある思考の中に、1つだけ強烈な「意思」のようなものを感じた。
『邪悪なるものを…封じよ』
それが何かは分からない。凶悪な敵意を感じつつも、どこか神々しさを覚えるような意思の声。それに後押しされるように、オレの足は自然と前へと進んだ。
「あぁぁぁぁっ!!」
雄叫びを上げながら、オレは右の拳を突き出す。
その時、一瞬だけだが、オレの脳裏に「竜」のようなシルエットが浮かんだ。そんな気がした。
ゴッ!
拳は、狙いを違わずランフォードの額に命中。大きく身体をのけ反らせながら、奴は勢いよく地面に倒れ込む。
「あ…が…」
両手を投げ出し、まさに大の字になって倒れる黒衣の剣士。そこには、先ほどの黒いオーラのようなものはどこにも見当たらなかった。
オレの見間違いか、それとも無茶な魔術の反動による幻覚だったのか。
それを考えようとして、唐突にオレの意識は途切れてしまった──。
◇ ◇ ◇
「…ター様! ジュピター様!」
おそらく、気を失っていたのは数分だったと思う。
レミィの必死な呼び声で、オレはハッと目を覚ました。
「レミィ…く…頭が…」
頭痛が酷い。魔術の三重使用による反動か。全身の疲労感も重くのしかかり、すぐには動けなさそうだった。
「ジュピター様…良かった…」
オレはどうやらレミィに膝枕されているらしい。青空を背景に、涙を浮かべた金髪の少女の顔が見える。
純粋に、それを美しいと思ってしまった。
「…俺の負け…だな…」
「っ…ら、ランフォード…!」
視線を移すと、何事もなかったように立つランフォードが見えた。奇妙なことに、あれだけオレが殴りつけたというのに、その顔には傷ひとつなかった。
「…お前の父親を殺すのは、ひとまず止めることにする」
「あ…あぁ…」
先ほどの黒いオーラは、やはりオレの見間違いだったのだろうか。ランフォードは元の無感情な、冷たい青年に戻っていた。横には、エーゼルがなぜかムッとした様子で立っていた。
「…これからは、記憶を取り戻すことを優先しよう」
言いながら、ランフォードの視線はなぜかレミィの方に向いている。そんな気がしただけかもしれないが。
そして、ランフォードは背を向けた。
「ま、待ってくれ…!」
父さんを殺そうと思っていた相手。
だが、己の全力をもって闘った相手でもある。
だから、オレは奴に、相応の礼を尽くすことにした。
「オレは…ジュピターだ…」
「…覚えておこう、ジュピター」
ランフォードは振り返らなかったが、その言葉が聞けただけでもありがたかった。
少なくとも、オレが知る中では最高峰であろう剣士。そんな人物に名前を覚えてもらえるのは、光栄だと思えた。
今回は色々と条件が重なったおかげで勝つことはできたが、次の機会があったら、同じような幸運は起こらないだろう。
「ちょ…待ちなさいよ、ランフォード!」
エーゼルが慌てて、歩き出した奴の後を付いていく。あれもよく分からない女だ。
「とりあえず、これで一段落か…」
「もう…無茶しないでくださいね、ジュピター様…」
全力で脱力。レミィの太ももに頭を預け、オレはもう少しだけ、この場で休むことにした。
ちょうど頂点に昇った太陽が、オレたちを暖かく照らしていた──。
◇ ◇ ◇
「ぐぁ…あぁぁぁ…」
翌日。
宿のベッドの上で、オレはひたすら悶絶していた。
「…私がいない間に無茶しすぎ」
「今日は絶対に安静ですからね!」
両脇には、銀髪の幼馴染と、金髪の少女が立っている。
2人とも、厳しい視線をオレに向けていた。
ラナが「剛力化」の魔術の反動により、丸2日近く筋肉痛に苦しんだのだ。それに加えて、さらに2つも身体強化魔術を掛けたオレの身体が、悲鳴を上げないわけがなかった。
痛い。痛すぎる。呼吸をすることすら苦痛。
そういえば、父さんは若い頃に5つの身体強化魔術を掛けてもらったことがあるなんて言っていたが、多分それは嘘だろうと思った。
「…レミィ、今日は私がジュピターを看てるから、あなたは休んでて」
「いいえ、ラナさんこそ、まだ本調子じゃないんですから、私がジュピター様のお世話をします」
こっちが苦しんでるのを余所に、女性陣2人は何やら言い争っている。
そんなものはどっちだっていい。頭に響くからできれば静かにしてくれ。
「ジュピター、どっちに看病されたい?」
「私ですよね、ジュピター様!」
仲が良いのか悪いのか、息ピッタリで顔を覗き込んでくる2人。
とにかく、煩わしい。
オレは、朦朧となりそうな意識の中、1つだけ言葉を放つことにした。
「か…」
『か?』
2人が耳を寄せてくる。
「母さんがいい…」
そして、オレは意識を保つことを放棄した。
母さん、これからの旅、まだまだ災難が続きそうな気がします…。
──第13.5話に続く




