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アシュリーと書庫へ……

 日当たりの良いサロンを出て廊下を左にしばらく進む。大きな扉の前でセバスがとまった。 


「リネア様、こちらが書庫でございます。紙とペンは長机に用意してあるのでよろしくお願いします」


 彼の言葉通り書庫には立派な長机があり、椅子は向かい合わせに十脚ならべてあった。


 セバスは「私はクラウス様のお手伝いがありますので、これで失礼いたします」と言って書庫から去ってしまった。


 そしてアシュリーはというと、扉の陰に隠れてしまう。


 リネアはどうしたものかと頭をひねる。


(困ったわね。いきなり近寄ると逃げ出しそうだし……)


 とりあえずその場から話しかけることにした。


「アシュリー様、そこだと読み書きに不便ですから、椅子に座りませんか?」


 リネアは、扉の陰から完全に消え去ろうとしている銀色の頭に向かって、できる限り穏やかな声をかけた。


 だが、アシュリーはびくりと肩を揺らすと、長机には近寄らず、リネアから最も遠くにある書架のそばにおいてあった椅子に端にちょこんと腰掛ける。


 彼は抱き枕のようにクッションにしがみついてリネアを警戒していた。

 

 前途多難である。

 

 リネアは自信が揺らぎそうになったが、気を取り直してアシュリーを追いかけず、書庫の入り口付近の中央にある大きな長机へと向う。


 そこにはセバスが用意してくれた上質な白紙とインク、そして羽根ペンがあった。


「では、私はここに座りますね。アシュリー様、まずは簡単な読み書きの練習をしましょう」


 リネアは椅子を引いて腰掛け、離れた場所にいるアシュリーに微笑みかけた。


 が、返事はない。


「まずは、アシュリー様のお名前から書いてみてください」

 アシュリーがどの程度文字を扱えるのかわからないのでまずは確認する。


 しかし書庫はしんと静まり返ったままだ。


 リネアが席を立ち、さらにアシュリーから距離をとる。


「さあ、アシュリー様、私はここに立っていますから、文字を書いてみてください」


 アシュリーは書架の椅子からたちあがると、長机にやってきた。


 おずおずと小さな手でペンを握り自分の名を綴る。


 綴りおわるとアシュリーはまたぱたぱたと遠くの椅子にもどっていった。

 

 反抗的なわけではなく、リネアを警戒、もしくは恐れているのだ。


(書庫は広いとはいえ、私と二人きりでいて大丈夫かしら?)


 にわかに心配になる。


 リネアはゆっくりと机にもどるとアシュリーの書いた文字をみた。


 お手本のように綺麗な文字で感心した。


 両親が亡くなってからしばらく教育はしていないと言っていたが、それまではきちんと学んでいたのだろう。


「アシュリー様はとてもきれいな字を書くのですね。では、次はアシュリー様が知っている、言葉を書いてみてください」


 そういってリネアが席を離れると、まだとことことアシュリーが机にやってきて、文字を書き始めた。


 アシュリーが机から離れるとリネアはゆっくりと机に戻り確認する。


『お父様』『お母様』『セバス』『クララ』『叔父様』とつづられていた。


 アシュリーの孤独を思いリネアの胸はちくりと痛む。


 きっと両親がいなくてさみしいのだろう。

 それに同年代の友人もいないようだ。


「アシュリー様、とても上手です。それでは叔父様に手紙を書いてみてくれますか? 今日の日付もいれてください」


 リネアはあえて両親のことには触れなかった。


 そしてまたリネアが席を立ちアシュリーが机にやってくるという一連の流れ。


(……いつか心を許してくれるわよね)


 そんな不安な思いでリネアはアシュリーが手紙を書き終わるのを見守った。


 アシュリーが定位置につくのを待って、長机に行き添削するつもりで手紙を読む。


 思わずリネアの頬が緩む。


『叔父様、大好きです。僕の面倒をみてくれてありがとう。また一緒にお散歩に行きたいです』と書かれていた。


 そして日付の綴りは一文字間違えていた。


 リネアはそれを直して、アシュリーになおさせて、つづりをおぼえさせた。


 二人の間に距離があるから、やりとりに非常に時間がかかる。


 読み書きの練習が一段落したところで、リネアはクラウスの言葉を思い出した。


「さて、次は読み聞かせのお時間にしましょうか。アシュリー様、もし読んでほしい本があれば、本棚から好きな本を持ってきて、この机においてください」


 アシュリーは、トコトコと大きな壁際の本棚へと歩いていった。


 背伸びをして、一冊の本を取り出し、それを机の上におくとまた遠くの椅子へと去っていった。


 表紙に立派な騎士と黄金の龍が描かれた、絵入りの分厚い本だった。古典的な冒険譚のようだ。


「まあ、騎士の冒険譚ですね。とても面白そうです」


 が、返事はなし。

 もう慣れたので、リネアはサクサクと先に進めることにした。


「では、始めますね。――遥か昔、エーデルヴァルト王国の西の果てには、天を衝くほどの巨躯を持つ、黄金の龍が棲んでいました……」


 リネアはアシュリーの耳に届くように大きな声でゆっくり読む。


 しかし読んでいくうちに物語は存外に面白く、リネアも夢中になってしまった。


 気づくとページをめくる手が止まらない。


「騎士は言いました。『我が剣に懸けて、この地の人々を脅かす影を払ってみせる!』と。激しい嵐の中、龍の咆哮が響き渡り――」


 物語が佳境に入ったその時だった。 リネアの視界の端で、小さな影がもぞもぞと動いた。


 アシュリーが、長椅子の端に姿を現しリネアの方へ歩み寄ってきている。


 一歩、また一歩と、物語の展開に夢中になるあまり、リネアへの警戒心を忘れて近づいてきているのだ。


 やがてアシュリーは、リネアの座る椅子のすぐ脇までたどり着くとリネアの前にある本の挿絵を、きらきらとした紫の瞳で見つめている。


 完全に無防備になったアシュリーの姿を見て嬉しくて、リネアは動揺しそうになる。


 だが、焦ってはいけない。

 物語の世界に没入してきっとつらいことを忘れているのだろう。


 リネアは喉がかれても最後まで読み切る覚悟で朗読を続けた。


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