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穏やかなお散歩

 書庫での静かなお茶の時間が終わったあと、クラウスからアシュリーの散歩についていくように指示を受けた。


 アシュリーの好きなように散歩をさせて、リネアは見守り役だ。ただ館の敷地内からは出ないようにいわれた。


 アシュリーは午前と午後に一回ずつ散歩をする。

 今回はアシュリーがまだリネアに慣れていないということで、午後の散歩だけ任された。


 庭園が整えられているのは、緩やかに続く遊歩道の周りだけで、少し視線を外せば、そこにはかつて砦だった頃の名残である古い城壁がそびえ、何百年もこの地を見守ってきたであろうオークの巨木が、太い枝を広げて深い木陰を作っている。


 足元には野生のハーブや瑞々しいベリー類、そして雑草が青々と生い茂り、風が吹くたびに、草花の香りが漂ってくる


 その石畳の遊歩道を、小さな足音が響く。


 リネアは心地の良い春風を受けながら、アシュリーとの間に適度な間隔をあけた。


 銀色の髪をきらめかせながら前を歩くアシュリーは小柄なせいか年齢よりは幼く見える。


 両親を亡くしてまだ一年ほど。


 食事も喉を通らなかった時期があったに違いない。


 アシュリーが好奇心の向くまま気まぐれに駆け出すとつい距離を詰めたくなってしまうが、歩幅をぐっと狭めて彼と適度な距離を保つように気を付けた。


 アシュリーにとっての「安全な距離」を保つために。


(子供ってなかなか難しいわ)


 彼がピタリと足を止め、遊歩道から外れて、草木が生い茂るエリアへと視線を向けた。


 振り返った彼の紫色の瞳が、リネアの様子をうかがっている。


(書庫でもこの反応があったような……)


 やがてリネアは「そっちへ行ってもいいですか?」という無言のサインだと気づいた。


 リネアは穏やかな微笑みを浮かべて頷いてみせた。


 アシュリーは小さく頷き返すと、草を押し分けて進み、その中にある小さな葉に視線を落とした。


 リネアもまた、距離を保ったまま、草むらの手前で足を止める。


「……それは『ワイルドストロベリー』です。もう少ししたら、赤い可愛い実がなりますよ。甘くて美味しいです」


「甘い」という言葉に、アシュリーがピクリと反応をみせた。


 さっきセバスが持ってきてくれたケーキを嬉しそうに完食していた姿を思い出し、リネアは内心で小さく微笑む。


 彼は興味津々な様子で植物を見つめていた。


 しばらく観察して満足したのか、アシュリーはあたりをみまわすと急に駆け出した。何かを見つけたようだ。


 リネアはつかず離れずでついていく。


 古い城壁の崩れた足元、日当たりの良い場所にぽつんと白くて丸い、繊細な球体が揺れているタンポポの綿毛があった。


 アシュリーはその前でしゃがみ込むと、細い指先で茎を摘み、顔の前に持ってくる。


 その瞬間だけは、警戒心も恐れもなく、無邪気な表情を浮かべていた。


 書庫で、騎士の冒険譚に夢中になって、いつの間にかリネアの椅子のすぐ脇まで近づいてきてしまった時の、あの無防備なきらきらとした瞳。


 彼は、自由に青空へと舞い上がっていくタンポポの種が好きなのだろう。


 アシュリーは息を吸い込み、ふぅ、と小さく唇を尖らせた。

 

  白い綿毛が、初夏の風に乗って一斉に青空へと飛び立っていく。


 それを見上げる少年の美しい横顔と、風に舞う白い綿毛を、リネアはやはり離れた場所から、静かに見守り続けていた。


 まだ、お互いの距離が縮まる様子はないが。

 

 書庫の時よりも確かに、アシュリーの表情はほんの少しだけ柔らかくなった気がする。

 

リネアとアシュリーの今日の接触はここまでだ。




 その後の食事は自室に運ばれてきた。


 リネアとしては使用人たちと一緒に食事をしたいのだが、伯爵家の娘という立場が邪魔をしてそうはいかないようだ。


 ――ほんの少し線を引かれた使用人。


 料理はとても美味しくて、どれも温かだった。


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