33話 近くて遠い
それから二人はカフェを出て、今度はリネアの希望で馬車ではなく、街並みを見ながら歩いた。
「王都はびっくりするほど人が多いんですね」
「店は多くて便利だけど、僕は領地の方が落ち着く」
「アシュリー様の大好きな大型書店もありますよ」
「あれは確かにありがたい。これから、定期的にリネアと一緒に王都へ来ようか?」
そう言われてリネアは嬉しかった。
リネアの希望通り、アシュリーは彼の母校に向かってくれた。
「母校と言っても、三年しかいなかったし、別に特別な活動をしたわけでもないからなあ。土日はリネアの様子を見に領地に帰っていたし」
「すごくいそがしかったんですね。なんだか私が中途半端な感じですみません」
「何を言っているんだよ。リネアは被害者だよ」
アシュリーの母校の校門に差し掛かったとき、「アシュリー!」と彼を呼ぶ男性の声が聞こえてきた。
「やあ、ジョンじゃないか。久しぶり」
ジョンと呼ばれた男性は嬉しそうにアシュリーにまとわりつく。
「久しぶりじゃないだろ! ひどいな君は、卒業してから一度も母校に来ないだなんて。年に一度、卒業生は王都で集まっているぞ。アシュリーにも知らせているじゃないか!」
そこまで一気に話して、ジョンはリネアに気がついた。
「あれ? そちらの女性は? もしかして婚約者か!」
リネアはびっくりして目を見開いた。
ジョンは親しみを込めた笑顔をリネアに向ける。
「おい、ジョンやめろ。リネアが怖がっている」
「え、ちょっと待て、俺と君とは三年間寮生活を共にしたのに、紹介もしてくれないのか?」
「うるさいな。今度な。今はダメだ」
二人がかなり親しい様子なのはわかるが、リネアはどう接していいのかわからなかったので、一歩引いて待つことにした。
(ここは変な誤解を生まないように、距離をとった方が……)
リネアが後ずさると、すかさずアシュリーが彼女の手をとった。
そしてアシュリーはジョンにぴしりと言う。
「リネアが僕の母校を見たいと言うから連れてきたんだよ。そっとしておいてくれないか」
「うわっ、怒るなよ。悪かったって、ただ懐かしくてね。そうだ。校舎を見たければ自由に見ればいいよ。俺、ここの教師になったんだ。アシュリーに会いたがっている奴らもいっぱいいるよ。君の研究は注目の的だったからね」
「ジョン、今日はやめとくよ。また日を改めて。リネアもそれでいいよね」
アシュリーが困ったように眉尻を下げてリネアを見る。
「は、はい、承知しました」
今はアシュリーに手を取られている状態で、リネアはどう振る舞っていいのかわからなかった。
(ええっと、この距離間ってどうなの? いまに始まったことではないけれど……)
リネアは王都にいることで、アシュリーとどのように距離をとっていいのかわからなくなった。
ジョンと呼ばれたアシュリーの友人は、名残惜しそうな顔をして見送っていた。
学園から離れたところでアシュリーが口を開く。
「びっくりしただろう? 悪いやつじゃないんだけど、ジョンは距離が近いんだ」
「いえ、大丈夫です。それにアシュリー様が学園生活を楽しんでいたようでよかったです。お友達にお会いできて嬉しかったです」
「友達か。うちはいろいろ訳アリの家だから、腹を割って話すことはできないけれどね」
とりあえず彼は普通の学園生活を送っていたようだ。
実は毎週帰ってきていたと聞いて心配していた。それに彼は学園にいた頃の話はほとんどしない。
「せっかく王都に来たから、ドレスでも買いに行く? それとも宝石がいい?」
アシュリーに聞かれて驚いた。
「いえ、私は……」
「リネアはいつも同じドレスばかり着ているじゃないか。たまに買ってみるといい」
「でも私、そういうお店には久しく行っていないので」
リネアは気後れを感じていたのだ。
「いいよ。僕が一緒に行くから」
「ええ! アシュリー様は、ほかにお買い物はないのですか? 王都には用事があって来られたんですよね?」
アシュリーは王都に着いてから、ずっとリネアと行動を共にしている。
「まあ、それは明日でいいかな。それよりリネアの服を買いに行こう。だってリネアはお金持ちだろう? 一生お金を使わないで過ごすつもりかい?」
アシュリーがリネアに微笑みかける。
確かにリネアは、今まで自分のためにお金を使ったことがない。
手に余る財産があり、住む家もある。
(私は自分のお金で気に入った服を買ったことなんてなかった。たいていは義姉のお下がりか、結婚してからはハリントン家が用意してくれたものを着ていた)
初めて自分でドレスを選ぶのだと思うと、ワクワクしてきた。
「では、アシュリー様、私は一人で行ってきます。どうかアシュリー様は、先ほどのご友人と積もる話でもしてきてください」
リネアの言葉に、アシュリーはショックを受けたような顔をする。
「僕も一緒に行きたかったのに……」
アシュリーの反応に、リネアの方が驚いた。
「あの、でも私の買い物に付き合うのは退屈ではないですか?」
「リネアは僕の服を選んでくれたじゃないか」
「え?」
「ワグナー領へ行ったとき、服を仕立てたことを忘れちゃったのかい?」
アシュリーの言葉で、リネアの記憶は鮮やかによみがえる。あの頃のアシュリーは本当にかわいくて、何を着ても似合った。
リネアは彼がいろいろな布を合わせているのを見ているだけで、楽しい気分になった。
「だから一緒に行こう。リネアが迷ったら、今度は僕がリネアに似合う方を教えてあげるよ」
アシュリーはそう言うと、いつの間にか来ていたヴァルハイト家の馬車に乗り込んで、御者に店を指定した。
ほどなくして馬車は、びっくりするほど立派な店の前で止まった。
瀟洒な石造りの店舗で、リネアは思わず気後れしてしまう。
「アシュリー様、私はこういうお店に来たことがなくて」
「問題ない。入ろう」
アシュリーに手を引かれリネアが入っていくと、すぐに店員が二人ほどやってきた。
リネアが美しく煌びやかなドレスと広い店内に圧倒されているうちに、アシュリーがてきぱきと店員に指示を出す。
「彼女に似合う訪問着が二、三着ほしいんだ。それにデイドレスも。お茶会に着ていくようなものと、普段動きやすいものもほしいな」
リネアはすらすらと注文するアシュリーを見て、あわてて止めた。
「アシュリー様、私は一着だけ贅沢するつもりです。あとは……その」
もっと安い店で買おうと思った。
(い、いったい……いくらかかるのかしら? 私の老後の蓄えは?)
そんなことを考えてリネアはドキドキする。
「やだなあ、リネアは本当にお金持ちなんだよ? 支払いなら心配しなくて大丈夫。この後、僕の買い物にも付き合ってね」
アシュリーが耳元で囁いたので、リネアはびっくりして飛び上がる。
そんなやり取りをしている間にも、店員たちがリネアの前に色とりどりのドレスを並べる。黄色、薄いピンク、ブルーに、繊細なレースで彩られたドレス。
リネアはこんな華やかで高価なドレスが自分に似合うのか、はなはだ不安だった。
ハリントン家にいるときは地味で控えめなドレスを着ていたからなおさらだ。
「リネア、ほら、選んでみて。気に入ったものがなければあつらえてもらえばいい」
「……どれが私に似合うのか、わからなくて」
「どれもお似合いですよ。美しい金髪に緑の瞳をお持ちですもの」
そう言って店員たちがリネアを連れ出すと、次々に試着を勧めてきた。
しかしリネアから見るとどのドレスも派手すぎて、その中に深い緑色のドレスを見つけた。レースも少なめでちょうど良さそうだ。
肌に合わせると、緑の瞳がきれいに見える気がした。
「このドレスがいいです」
リネアはやっと自分の意志でドレスを選べた。
次から次へと持ってこられるドレスに目が回りそうになってすっかり忘れていたが、アシュリーを振り返る。
「アシュリー様、ドレスが決まりました」
ほっとした様子でリネアが伝えると、アシュリーが言った。
「一着目が決まったんだね。じゃあ、二着目だ」
「いえ、いえ、アシュリー様。私はこの一着で」
「そんなわけないじゃないか、せっせと王都に来たんだし」
アシュリーはリネアにそう言うと、店員にシャンパンゴールドの華やかなドレスと、深紅のドレスを持ってこさせた。
「リネアはこういうドレスも似合うと思うよ」
「はい?」
「そうだ、リネア、この深紅のドレスを着てみてよ。帰りはこれを着て帰ろう?」
「ええ?」
「まあ、肌が白いから驚くほどお似合いですわ」
などと店員たちに言われ、広い試着室に連れていかれて着替えさせられてしまった。
リネアは今まで深紅のドレスなど着たことがなくて、本当に似合うのか不安だった。
「大変お似合いですよ」
店員に言われて鏡を見ると、自分とは思えないくらい華やかな雰囲気になっていた。
促されるままにリネアが試着室から出ると、満面の笑みを浮かべたアシュリーが立っていた。
「リネア、すごく綺麗だ。似合っているよ」
「あ、ありがとうございます」
アシュリーの嬉しそうな姿に喜びを覚えると同時に、心臓の鼓動が早くなる。
自分でもどういう気持ちになっていいのかわからなかった。
アシュリーに手を引かれて店を出る頃、リネアは会計をしていないことに気がついた。
「アシュリー様、お待ちください。今から会計をしなければなりません。それから荷物を」
焦るリネアを見てアシュリーは笑っている。
「全部済ませたよ。リネアの荷物も着替えも馬車に運んだから、今日はもう帰ろうか。それとも公園まで散歩をする?」
「え?」
まさかアシュリーが支払ったということだろうか。
リネアはますます焦ったが、アシュリーに手を引かれ、そのまま馬車に乗ってしまった。
「あの、アシュリー様、お金は……」
「心配しないで、これくらい大したことないから。リネアは極端に荷物が少ないから、いくつか買い足しておいたよ。そういえば、宝石も持っていなかったよね」
「アシュリー様、もうリネアは、買い物は十分です。一生分の贅沢をしました」
リネアが真剣に話しているのに、アシュリーは笑っていた。
「リネアは面白いね。君の実兄と義姉はとても贅沢をしていたのに」
「ええ! お兄様たちはこれほど高価なものを身につけていたんですか?」
「一時期は羽振りが良かったみたいだよ」
リネアはアシュリーの言葉に不安を覚えた。
「また、貧しくなったらたかりに来るかもしれません」
真剣な表情で言う彼女を見てアシュリーは吹き出した。
「たかりってすごい言葉だね。リネアの心配もわかるけど、今後リネアには関わらないと彼らとは契約を交わしたといったろう?」
リネアはアシュリーを見ると、おもむろに口を開いた。
「話がわかるような人たちならいいのですが」
「そのための契約だよ。まさか、リネアは彼らが困っていたら、お金を恵んでやる気ではないだろうね?」
彼の言葉にリネアは首を横に振る。
「絶対に嫌です! もし見つかりでもしたら、私は全力で逃亡します」
アシュリーは眉根を寄せた。
「リネア、逃げるってまた僕から逃げ出すつもり? ずっとそばにいてくれるって約束したよね? それともリネアは、すぐに約束を忘れてしまうのかな?」
「は! そうでした。あの、いったん逃げ出して、それからほとぼりが冷めた頃、アシュリー様のそばに戻ります」
「まったくリネアには呆れたね。僕が守るから大丈夫」
「アシュリー様が私を……守る?」
「何を不思議そうな顔をしているんだよ。僕はもう無力な子供ではない。いつになったらわかってくれるんだよ」
アシュリーはため息をついて腕を組む。
リネアは何とも言えない居心地の悪さを感じた。
確かにアシュリーには子供の頃の面影が残っている。
でもリネアのまったく知らない大人の顔をすることもあり、リネアの心は揺れた。
結局リネアはアシュリーに迷惑をかけたくはないのだ。
アシュリーはリネアをヴァルハイトの領主館を守った恩人だと言うけれど、リネアにしてみれば魔穴を塞ごうとして、マチルドに押されてうっかり落ちてしまっただけのこと。
それをアシュリーは何年もかかってリネアを解放してくれた。
「アシュリー様、私はアシュリー様を無力な子供だなんて思っていません。ただ、これ以上アシュリー様に迷惑をかけたくないだけです。アシュリー様はご自分の幸せを考えたことがありますか?」
「もちろん、僕はいつも自分の幸せを考えているし、自分が幸せになれるために行動している。リネア、僕が好きでやっていることなんだ。迷惑をかけたくないだなんて言わないでくれ」
アシュリーの真剣な眼差しを見て、リネアは言葉を失った。
ふいとアシュリーは車窓に目を向ける。
「リネア、どこか行きたいところはある?」
彼女も外に目を向けた。すでに日は暮れかかっている。
「アシュリー様、今日はもう遅いです。私は王都の公園に行ってみたいです。昼間の明るい公園に」
リネアがアシュリーに微笑みかけると、アシュリーはリネアの目をまっすぐに見返した。
「僕は明日の朝王宮へ行かなければならない。でも午後からは自由だ。リネア、一緒に公園に行こう。子供の頃リネアと一緒に通った噴水のある公園より、もっと大きくて綺麗な公園がある。そうだ。リネアが好きな花は何?」
リネアはふふふと笑う。
「私が好きなのはタンポポの綿毛です」
「リネア、それは花じゃないでしょ?」
少し呆れたように言うアシュリーに、わずかにさみしさを覚えた。
「でも大好きなんです」
もうどれほどシャーリーに会っていないだろう。
綿毛が大好きで、庭ではしゃぎ回っていたフェンリルを思い出す。
それに重なる子供の頃のアシュリーの姿。
草いきれの立つ広い庭で、日向に咲く名もない花々の間を、タンポポの綿毛が風に乗ってふわりと舞う――そんな景色がリネアの脳裏に浮かんだ。
アシュリーの子供時代は同年代の貴族の令息に比べて少なかったはずだ。
ワグナー領でマチルドに会った時、彼の瞳にはすでに子供らしからぬ陰りとあきらめが宿っていた。
アシュリーにはどうしても幸せになってほしいと願った。




