32話 王都へ
初夏、日差しが強くなってきた頃、アシュリーといつものように木立を散歩していると、王都に誘われた。
「王都ですか?」
リネアは両親が早逝してから修道院で教育を受け、その後ウォルターと結婚という名の介護が始まった。兄夫婦はずっとタウンハウスで暮らしているが、リネア自身は王都をよく知らない。
「用事があるんだ。それに、いろいろと買い揃えたいものがあってね。リネアはあまり気が進まない?」
「そんなことはありません」
「どこか行きたいところはある? 連れて行ってあげるよ」
リネアにとっては嬉しい申し出だ。アシュリーは子供の頃から、変わらずに優しい。
「私はアシュリー様が首席で卒業なさった魔法学園を見てみたいです」
アシュリーが学び成長していった場所を見てみたいと強く思った。
「古いだけで、面白くもない場所だけどリネアが見たいならいいよ」
母校に対してなんの愛着もないようだ。
「私は楽しみです。学校がどのようなものか知らないので」
「そうか、リネアは修道院で教育を受けたんだったね」
「はい、それから、ウォルター様が教育を授けてくださいました」
アシュリーが驚いたような顔をする。
「その話は初めて聞いたよ。ええっと、いい旦那さんだったの?」
リネアは懐かしく思った。
「はい、祖父のような方でした」
「祖父って、介護が始まる前までは普通の夫婦だったんでしょ?」
リネアはその言葉に首をかしげる。
あれは普通ではない。
夫婦の営みなどなく、孫娘のように可愛がってもらったのだから。
「普通とは違うと思います。私と結婚した時は、ウォルター様はすでに車椅子でしたから、介護が始まっていました。お元気な頃はよく私が車椅子を押してお庭を散歩しました」
「なんだ。そうだったんだ」
アシュリーはどことなくほっとしたような顔をする。
「そうだ。王都へ行くのは来週だから、準備をしておいてね」
「はい」
そう答えたものの、ふと実家の人間に会わないかと心配になった。
「どうかした? リネア、心配事?」
「いえ、実家の兄や義姉様に会わないかと少し心配になったんです」
「大丈夫だよ。会ったからと言って相手に何かできるとは思えないよ。心配なら、僕と一緒にいればいい」
一週間後、リネアはアシュリーと同じ馬車で王都へと向かった。
この領地に来てから、王都へ行くのは初めてだ。
ほとんど館の敷地内から出ることはなかった。
なんなら、領内を見て回ったこともない。
最近、アシュリーの仕事を少しずつ手伝うようになって、鉱石が豊富で絹織物が特産品で、リンゴと洋ナシの果樹園があることを知った。
そして領の収入も安定しているようだ。
少なくともまったくお金に困っていないし、収入の割にアシュリーは質素な暮らしをしている。
「魔物の多い土地だったから、果樹園も被害を受けることが多かったけど、最近ではずいぶん減ったから領地の収入が増えたんだよ」
とアシュリーは言っていた。
いつもリネアと散歩をしてお茶を飲み、時には果物を摘んでタルトを焼いているので、いつこれほど仕事をしているのかと不思議になる。
セバスの話によるとアシュリーに代替わりして、だいぶ領の収入が増え経営がうまくいっているようだ。
それに王家の交渉もうまいらしい。
人の口に戸は立てられないようでその他にもいろいろな話を聞いた。
マチルドがこの家に入った時には、すでにクラウスとアシュリーの間には軋轢があったらしい。
彼女が金遣いが荒く、たびたびそのことでアシュリーが意見していたという。
リネアはそんなことにはちっとも知らなかった。
クラウスがワグナー家に婿入りするのだから、マチルドに持参金などなく、すべてクラウスが領の収入から出していた。
そのことに邸の者たちも眉をひそめていたという。リネアは何も気づかずのうのうと暮らしていた。
マチルドが来たことによって、クラウスは館で微妙な立場にあったようだ。
それが、リネアの事件で決定的になった。
マチルドが来る前のクラウスとアシュリーの関係を知っているリネアからすると不思議である。
◇
ヴァルハイト家の 馬車は半日で王都に着いた。
そして王都の一等地にある立派な邸の前で止まる。
「アシュリー様、ここは?」
「王都のタウンハウスだよ」
「え! タウンハウスがあったんですか」
「一応ね。とは言っても領地にこもりきりだったから、あまり使われていなかった。最近になって修繕したよ。リネアはこっちで暮らしたい?」
アシュリーが先に馬車を降りると、リネアの手を取り馬車から降ろしてくれた。
なんだか主従関係がおかしい。
戸惑いつつも彼の手をとった。
「アシュリー様、私はアシュリー様にお仕えしているので、ずっと一緒です。それにしてもずいぶんと立派なんですね」
実家よりも大きな屋敷に感心する。
煉瓦作りでツタが絡まっていた。重厚な雰囲気がある。これほど立派なタウンハウスがほとんど使わ
れていなかったなどもったいないと思った。
エントランスでは使用人たちが出迎えてくれた。
アシュリーによると、使わない部屋は閉鎖しているとのことだ。
リネアはタウンハウスに常駐しているというメイドに、二階の広い部屋に案内された。
ウォールナット製のチェストが置かれた高級感あふれる部屋で、バルコニーからは庭にある噴水が見えた。
メイドの手伝いを断り、リネアは荷解きを始めた。
二泊三日の滞在の予定である。
荷解きが終わる頃、アシュリーが部屋まで呼びに来た。
「ねえ、リネア、まずはカフェに行ってみない?」
「本当ですか! 楽しみです! あ、あのでも、私がご一緒して大丈夫でしょうか?」
一瞬喜んでしまったものの、リネアの身分は使用人である。
領地の仕事を手伝うようになってから、アシュリーから手当てももらうようになったのだ。
「大丈夫に決まっているじゃないか、リネアは伯爵家のご令嬢でしょう?」
「正確には未亡人ですが……」
「でもハリントン家から籍を抜かれているじゃないか」
そんなものだろうかと……リネアは思う。
車寄では馬車が待っていて、アシュリーに手を取られて乗り込んだ。
アシュリーの態度は子供の頃から紳士的だった。だが、大人になったアシュリーに令嬢のように扱われると何か違う気がする。
「リネア、どうかした? 実家のことが不安なのかい?」
アシュリーが心配そうにリネアの顔を窺っていた。
「いいえ、ずいぶん久しぶりの王都なので。と言っても私、王都のことは全然わからないんです」
「 じゃあ、カフェに行くのは初めてだね。もうすぐ着くよ」
嬉しそうにアシュリーがこたえる。
「え? もう着くんですか?」
馬車に乗ってからいくらも経っていない。
「王都では馬車の移動が普通なんだよ。歩きの方が良かった?」
「そうですね……短い距離を馬車で移動するのはなんだか落ち着きません」
カフェの前で馬車から降りると店に入った。
白を基調とした店内は、リネアが気後れするほど洒落ている。
二階にある窓際の席に案内された。そこから王都の様子がわかる。
「馬車も人も多いですね」
リネアは物珍しげに王都の様子を見た。
確かに住んでいたことはあるが、リネアはほとんど家から出ることはなかった。
それから二人は薫り高い紅茶を飲んで、洋ナシのタルトとイチジクのコンポートを食べた。
最初はお店の雰囲気に圧倒されて緊張していたリネアだったが、デザートのおいしさに頬が緩む。
「アシュリー様は王都で学んでいた頃、カフェに来たんですか?」
「まさか、学生って意外と忙しいんだよ。僕は寄宿舎に入っていたしね」
アシュリーが寄宿舎生活を送っていたと聞いていたから、あのような立派なタウンハウスがあるとは思わなかったのだ。
「では、アシュリー様が通っていた魔法学園が見たいです」
「変わっているね。普通はドレスや宝飾品を見たいと言わない? せっかく王都に来ているんだから」
「別に興味がありません」
「でも今のリネアはお金持ちだよ」
リネアは首をひねった。
お金があるのは将来の不安がなくて嬉しいことだが、実際に使い道があるかといえば悩んでしまう。
(老後の蓄え?)
「そういえば、ハリントン領にあるお屋敷をいただいているようなのですが、どうしましょう」
「売ってしまうか……思い出があるなら、別荘にしたらどう?」
「別荘ですか!」
「なんでそんなにびっくりしているの?」
「でもハリントン領は少し離れているので、行けないような気がします。一度は見てみたい気がしますが」
「一度も見たことがないの?」
「はい、ウォルター様が早くに死別した前の奥様が好んでいた別荘だそうです。私は介護でハリントン邸から離れられなかったので見たことがありません」
リネアの言葉に、アシュリーはぼそりと呟いた。
「当然の見返りだね」
「アシュリー様?」
「リネアは本当に苦労してきたんだね。よく真っすぐ育ったね」
「え? あ、はい……」
アシュリーに年上のような口を利かれると、なぜかすごく戸惑ってしまう。
実際、彼の精神年齢はリネアよりも高いと思っているのだが……。
「アシュリー様もずいぶんとご苦労されていると思います」
「僕はそれなりにひねくれているから、大丈夫だよ」
「アシュリー様がひねくれているだなんて! そんなこと絶対にありません。アシュリー様は天使のような方です」
リネアの言葉にアシュリーが一瞬動きを止めた。
彼はおもむろに口を開く。
「天使って、リネアにとって僕はまだ子供なの?」
「そんなことはありません。立派な方です!」
リネアは断言した。
アシュリーは子供の頃から賢いし、今ではリネアが追いつけない高い立場にいる。
本当に立派だと思う。
たくさん寂しい思いをしてきたのに、彼は努力し続けたし、見捨ててもいいはずのリネアまで助けてくれたのだ。




