31話 お金持ち?
翌日から、お茶の時間に加えて昼食まで誘われた。
リネアは戸惑ったが、館の皆まで勧める。
「リネア様、当主様はずっとおひとりでした。どうか、一緒にお食事をなさってください」
セバスにそんなふうに頼まれる。
確かにこの広い館で、彼一人で食事をとっていたのかと思うとリネアの胸が痛む。
あの頃はクラウスもいて、途中からマチルドも加わって賑やかだった。
しかし、その頃から軋轢があったのだろう。
館の者たちも、マチルドをよく思っていなかった。そしてクラウスのことまでも――。
アシュリーには圧倒的に愛情が足りない。手を差し伸べたはずのクラウスは、結局愛する女性の元へといってしまった。
そしてリネアは決意した。
昼食も終盤に差しかかったころ、リネアはアシュリーに仕事をくれと頼んだ。
「私はこれ以上、この館で贅沢な暮らしをすることはできません。どうか私に仕事をあたえてください。調理補助や掃除は得意です。アシュリー様、私はこの館の使用人です」
「使用人? 僕たちの間に雇用契約はないよ」
「え! じゃあ、私は無職ですか!」
それならばすぐに荷物をまとめてこの館を出ていったほうがいいだろうか。
「違うって。リネアはこの館の、ヴァルハイト家の恩人だ。ずっとこの家で大きな顔をしていればいいさ」
リネアは混乱した。
(え? こんなことが許されていいの? 私は実家から自立して一人で暮らして……)
「でもリネアがそんなに仕事が欲しいなら手伝ってもらうけどさあ。本当に厨房の手伝いや掃除がしたいの?」
少し呆れたようにアシュリーが言う。
「そうですね。お庭のお手入れもいいかもしれません。油断すると遊歩道の石畳にはすぐに雑草がはえますから」
アシュリーの大好きな庭を快適なままに保ちたい。
「そんなことしなくていいよ。リネアには僕の補助をしてもらうから。それにリネアは季節ごとに果物のタルトを焼いてくれれば十分だよ」
「ずいぶんと楽そうに聞こえますが?」
アシュリーがほほ笑むと、さらりと銀色の美しい髪が揺れた。
「そんなこと言われても困るよ。そうだ。報告が遅れたけれど、リネアは今お金持ちなんだよ」
リネアは、アシュリーの言葉にきょとんとする。
「私がお金持ちですか?」
リネアの表情に満足したようにアシュリーは嬉しそうに笑う。
「あはは、そんなことより今日はミラベルを見に行こう」
「ミラベルですか?」
「ミラベルもリネアが結界に閉じ込められたころに、僕が苗木を植えたんだ。去年は少し実がなっていたから、今年はもっとたくさん実がなっているかもしれないよ」
アシュリーの瞳がキラキラと輝いた。
「アシュリー様は、本当に果物が好きなのですね」
「確かに好きだけど、リネアが秘密の場所にあるアプリコットの古木に見入っていた姿が忘れられないんだ。ミラベルの実は甘い、そのままで食べられるから、きっとリネアも気に入るよ」
リネアがお金持ちと言ったアシュリーの言葉は、すぐに忘れてしまった。
二人で早足になってミラベルの実を見に行く。
アシュリーは子供の頃とまったく同じように、リネアの手を取り引っ張った。
(アシュリー様が楽しいなら、それが一番)
ミラベルの黄色い実がたくさんなっていた。まるで木全体が黄色に見える。
「アシュリー様、すごいです!」
アシュリーもじっとミラベルの木に見入っていた。
「ああ、こんなにたくさんの実がなるとは思わなかった」
「アシュリー様、さっそく摘みますか?」
「もちろん」
リネアは下の方を、アシュリーは上の方の実を摘んでいった。
アプリコットより小ぶりだが、ミラベルの実はみずみずしく甘い。
二人は籠いっぱいに摘むと、アシュリーが籠を持った。
彼は子供の頃から重い荷物は率先して運んでくれていた。
いくらリネアが持つと言っても。
厨房では料理人が待っていて、準備をしてくれていた。
まずはミラベルの実を生で食べた。果汁が口いっぱいに広がる。
「美味しいです」
「グロゼイユの実より砂糖は少なくていいかもしれません」
料理人の言葉にリネアは頷いた。
そして、ミラベルの実を半分に切っていく。そのみずみずしい実をタルト生地の上に並べる。
アシュリーも手伝っていて、その様子が手慣れているのでリネアは驚いた。
「ナイフの扱いや料理は慣れているんだ。学園では野外の暮らし方も習ったからね」
相変わらず何をやらせても器用だ。
彼は慣れた様子で火加減を見て、窯の中にタルト生地を入れる。
その後、タルトの焼き具合は料理人に任せて、リネアはアシュリーに誘われて彼の執務室に行った。
もとはクラウスが使っていた場所だ。
今は主が違うせいか、雰囲気が変わっている。重く暗い色のカーテンの色も変わり、窓が開いていて繊細なレースのカーテン越しにさわやかな風が吹き込んでくる。
二人で執務机の前にあるソファーに座る。
テーブルにはすでに軽食と、紅茶が準備されていた。
一口紅茶を飲んでからアシュリーが口を開く。
「リネアがうちに来て一年目にロバート・ハリントンが来たんだ。君の最初の夫ウォルター・ハリントンの息子だよ」
リネアは息を呑んだ。
「リネアに謝りたいから、一目会わせてほしいと彼は言ったそうだ」
「……苦情ではなく、謝りたい、ですか?」
ロバートには遺産目当てというあらぬ疑いをかけられて、ウォルターの葬儀の最中に追い出されたはずだ。
あれほど激怒していたロバートが謝るなど考えられない。
「リネアを誤解して追い出して済まないと届けてきたそうだ。ハリントン家の執事や使用人たちから懇々と諭されたらしい。リネアにひどく感謝していたそうだ。それと、ウォルター・ハリントンからの財産分与を受け取ってほしいって」
「え! 私が財産分与ですか?」
リネアは大きく目を見開いた。
「叔父が黙っていた。リネアにここにいてほしかったからだよ。聖魔法の使い手は珍しいからね。まあ、さすがにお金には手を付けていないし、ハリントン卿からの手紙も保管していた。僕がこの家を実質的に仕切るようになって初めて知ったよ」
アシュリーは苦い顔をしてそう言った。
彼はロバートの手紙を取り出してリネアに渡す。
リネアは手紙をゆっくりと開いて読んだ。
そこにはリネアを誤解してしまったことの詫びと、ウォルターの介護を親身になってやってくれた礼が切々と綴られていて、謝っても許されることではないと結ばれていた。
ハリントン伯爵領にある邸の権利証と、一生暮らせるくらいの金額が書かれた小切手とリネア名義の信託財産があたえられていた。
リネアの手は震えた。
「こ、こんなに……実家は何も言ってこないのですか?」
「そこはクラウスが、いい塩梅に封じ込めたようだよ。僕もクラウスから当主を代わって、リネアの実家はしめておいたから心配はいらないよ」
「しめるって、どういうふうにしたんですか?」
アシュリーはちょっと困ったような顔をしてリネアを見る。
「伯爵家の籍にリネアを置いてもらっているけれど、事実上は縁切りさせたんだ。リネアへの接触禁止だよ」
「………」
リネアの体はフリーズした。
心配そうにアシュリーが覗き込む。
「リネア? あんな奴らでも君にとっては大事な家族だった?」
アシュリーの許しを請うような紫の瞳を見て、リネアはぶんぶんと首を振る。
「とんでもないです。アシュリー様、ありがとうございます。私の人生で最大の望みはあの家族からの自立でしたから。それがアシュリー様のおかげで叶いました」
リネアは感動に打ち震えて深々と頭を下げる。
しばらくの沈黙を挟んだ後、アシュリーが口を開く。
「リネア、もしかしてこの家から出ていくつもり?」
リネアは弾かれたように顔を上げる。
「いえ、今は何も考えていませんでしたが、アシュリー様が私を不要だと感じれば出ていきます」
するとアシュリーは紫の瞳を見開いた。
「僕はリネアを救うために十四の春から、学校生活と両立しながら研究を続けてきた。どうして邪魔だなんて思うの?」
リネアの心は罪悪感と、なんともいえない疼きに揺れた。
「アシュリー様、ありがとうございます。 成長したアシュリー様が見られて幸せです!」
「じゃあ、ずっと僕とここで暮らして」
アシュリーの言葉は嬉しいが、リネアは結局クラウスとマチルドの邪魔になってしまった。
その時になってふと気づく。
(クラウス様は、なぜ最後までロバート様のことを話してくださらなかったのかしら? きっと私が出ていくときに話すつもりだったのね)
「ねえ、リネア。僕はリネアを縛るつもりはないよ。ただこのまま平穏な暮らしをしたいだけ。五年待って、やっとリネアが帰ってきてくれたんだから」
「もちろんです。アシュリー様がもういいと言うまで、おそばで仕えさせていただきます」
リネアが思わず頬をほころばせて言うと、アシュリーはなぜかがっくりと首を垂れた。
「アシュリー様? どうかしましたか」
「別に……タルトの焼き加減を見てこよう」
そう言ってアシュリーは先に立って執務室を出てしまった。
リネアは慌てて後をついていく。不機嫌なのか、落ち込んでいるのか、傷ついているのかわからない。
「あの、アシュリー様、私はアシュリー様を傷つけてしまいましたか?」
前を歩いていたアシュリーがぴたりと足を止めて振り返る。
その顔には少し不服そうな表情が浮かぶ。とりあえず彼が傷ついていないようでほっとした。
「ああ、またそれだよ、リネア」
「え? それとは?」
「僕のことを子供扱いしているでしょ? 僕は学園も卒業した立派な大人だよ?」
「失礼しました! これから気をつけます」
リネアが慌てて言うと、アシュリーは首を振った。
「いいよ。僕がリネアと別れたのは五年前でも、リネアが僕と別れたのはつい最近だからね」
「はい、一週間もしないうちに、アシュリー様が大人の姿になって現れたので驚きました。思わず夢がかなったのかと思ってしまいました」
「夢がかなったって、どんな夢?」
「それはアシュリー様が立派に成長したお姿を見ることです。ただ成長過程を見られなかったのはすごく残念です」
「すごく不思議。年だって変わらないのに、いまだにリネアに子ども扱いされているのが」
「私はそんなつもりはないですよ?」
今目の前に立つアシュリーは綺麗な青年になっている。
でもどうしても幼い頃の愛らしくかわいい姿が脳裏に浮かんでしまう。
アシュリーは本当に世界一かわいい子供だった。
焦るリネアを見てアシュリーはくすくす笑う。
「別にいいよ。リネア、僕は焦らないから、まずは季節ごとにタルトを焼いて、それから僕の執務を手伝ってもらおう。散歩もリネアの仕事だよ」
アシュリーはそう言ってにっこり笑うと、リネアに手を伸ばした。
「ほら、リネア、手をつなごう? 僕はまだ子供なんだろう」
「え?」
よくわからないまま、アシュリーに手を引かれて厨房まで行った。
途中、館の使用人たちに出くわしたが、微笑ましい表情でアシュリーとリネアのことを見ている。その温かな眼差しは変わらない。
やっぱりこの館は居心地がいいとリネアは感じた。




