取り返しがつかない
「マチルド! なんてことをしてくれたんだ!」
マチルドは、クラウスの態度に猛然と腹が立っていた。
ここはクラウスの執務室で、彼は魔物の襲撃から一夜明けた後に帰ってきたのだ。
彼は目の下にくまをつくり、憔悴しきっていた。
だがクラウスはマチルドに多くの隠しごとをしていたし、その秘密について未だに口をつぐんでいる。
「そんなこといわれても、何が起こったかなんて私はわからないのよ! クラウス、何を隠していたのかきちんと教えて!」
マチルドの言葉にクラウスは絶望したような表情を浮かべる。
「君がやったことは……人ひとりの命を奪ったも同然なんだぞ?」
「そんなことはしていないわ! あなただってリネアは仮死状態だと言っていたじゃない!」
マチルドの言葉にクラウスががっくりと肩を落とす。
「しかし……あんな魔物のあふれる穴に、人を落としたら、どうなることくらい判断がついただろう……」
「判断ですって? そんなことわかるわけがないじゃない! 館の中で魔物を見るなんて思ってもみなかったわよ!」
リネアは魔穴に落ちることなく、奇跡的に地下の結界の中にとらわれていた。
今は昏々と眠りについているように見える。
触れようとしても結界に阻まれて彼女に触れることはできないし、無理に引きずり出すこともできない。
「彼女自身が結界と一体化してしまった……人ひとりが消えたんだぞ。彼女を紹介してきたオルセン伯爵家にいったいどう説明したらいいのか」
マチルドへの説明責任を果たすどころか、クラウスは自分の保身に走っている。
「オルセン家? あんな落ちぶれた伯爵家、どうでもいいじゃない。それよりごまかさないで、あの地下からあふれてきた魔物は何? どうしてこの館はこんなことになっているの? クラウスはアシュリーのためじゃなくて、あの魔物が出てくる穴を守るためにここにいるのね。どうしてあんな場所に魔物が出てくることになったの! 私はまだ何の説明も受けていない! それなのに私だけ責め立てるのは筋違いじゃない!」
「マチルド、あの魔穴については説明できない」
「どうしてよ!」
「王家との密約だ」
マチルドは悔しげにぐっと唇をかむ。
王家との密約と言われてしまうと、マチルドが口をはさむことはできない。
「でも、少なくともリネアは知っていたんでしょ! それに館の使用人たちも。それなのにどうして私には知らせないの!?」
「君はこの家の人間ではない。君と結婚した俺も正しくはこの家の人間ではないが、血筋の盟約で直系のアシュリーがいない間は俺が守ることになっている」
「じゃあ、リネアは? リネアは何なの? ただの子守じゃなかったのね!」
「そうだ」
マチルドが泣こうが喚こうが、クラウスがリネアとこの館について口を開くことはなかった。
ただ、彼女がクラウスの執務室を去るときにぽつりと一言言った。
「すまない、マチルド。すべて俺が悪いんだ」
クラウスとの話が終わってもマチルドの怒りは冷めやらなかった。
鼻息荒く、使用人たちを次々に尋問していく。
「ちょっと、あの地下からわいてくる魔物はどうなっているの?」
しかし、誰もこたえる者はいなかった。
どれだけ脅してもなだめすかしてもだめだった。金品をプレゼントすると言っても誰も口を開かない。
誰も彼女に同情して心を開く者はいなかった。
その日から、マチルドの眠れぬ夜は続いた。
深い孤独にさいなまれた。
夜中に館の中を歩き回ることと、地下に行くことを禁じられた。
しかし、どうしても目がさえて眠れない。
酒でも飲もうかと呼び鈴を鳴らして使用人を呼ぶも、応答する者は誰もいなかった。
「いったい全体どういうつもりなのよ! みんなで私をないがしろにして!」
孤立感よりもしだいに苛立ちが増して、我慢ができなくなった。
使用人が誰も来ないのなら、自分で厨房に酒を取りに行くしかない。
マチルドは二階の寝室から廊下に出た。
廊下は静まり返り、誰もいない。マチルドは一階への階段を下りていく。
(誰に見とがめられようが構わない。秘密を隠していたクラウスや使用人たちが悪いのよ。私は悪くない。それとも私がほとんど魔力を持たないから、馬鹿にされていたの?)
くさくさした気分で厨房に向かう途中、地下に繋がるドアがガチャリと開く音がした。
マチルドは反射的に階段の影に身を隠す。
そこから出てきたのはセバスとクララだ。二人とも沈痛な表情を浮かべている。
彼らが、リネアを失って悲しんでいるのが伝わってきて、余計イライラが募る。
マチルドはそれを振り切るように、厨房へと廊下を歩いていく。
厨房に入ると酒をあおるように飲んだ。
「なんでよ……全部私のせいだっていうの」
マチルドの瞳から涙がにじむ。彼女は今、深い孤独の中にいた。
腹が立ってリネアの背を押したのは衝動的な行為だった。
別にこんな結果を望んでいたわけではない。ただ彼女の姿がチラつくこの館が嫌だったのだ。
ふとマチルドは思う。
今のリネアの状態は仮死状態とのことだが、あのまま目覚めなければ、彼女の体は青黒く腐るだろう。
やがて骨に。
その前に再び、あの穴から、魔物が襲ってきたらどうなるのだろうか。
(リネアの体は引きちぎられるの? それにクラウスの両親は急逝したとしか聞いていないわ)
マチルドはその場で吐いた。
「いやよ。気持ち悪い。こんなところに住んでいられない!」
マチルドは泣きながら、酒を飲んでは吐いた。
あっという間に瓶は空になり、次の酒を探す。
(飲まなきゃやっていられないわ。私のせいじゃない、私は何も知らなかった)
いくら自分をだまそうとしても、マチルドの目からとめどなく涙があふれた。
(リネアのことは嫌いだった。アシュリーに懐かれて、クラウスも信頼をおいていた。私より綺麗な金髪にエメラルド色の瞳。私より若くてずっと美しい女がそばにいるなんて、この家の家族の中に入り込んでいるなんて……そんなの耐えられない!)
アシュリーはつねにリネアを気遣い、彼女に寄り添っていた。
七歳も離れているというのに、まるで恋人を守る紳士のように。
それがたまらなく悔しくて、気に入らなかった。
ある晩、気づくとマチルドは地下の結界のそばにぺたりと座り込んでいた。
ずっと毎晩のように酒をのみつづけていたから、どうしてこうなったのかわからない。
あれから一週間くらいはたっただろうかと、マチルドは酒で濁った頭で考える。
リネアの体は綺麗なものだった。腐臭もしない。
「あんたって、死んでも綺麗なのね。いやみだわ……」
マチルドは衝動的に手に持っていた酒瓶を振り上げてリネアになげつけようとした。
その時、強い力で腕を掴まれた。
ハッとして振り返ると、凍えるような紫の瞳をした美しい少年が立っていた。
「マチルド、二度とこの家に近づくな。今すぐここから出ていけ」
少年は、そう冷然と言い放った。




