表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/36

マチルド2

「私も、クラウスと結婚した時は考えていたのよ。もしアシュリーが私に懐いてくれたら、この館でずっと暮らしてもいいかなって。クラウスは、確かに今は領主代理よ。でも、クラウスが家督を継ぎたいと国王陛下に願い出れば、可能かもしれないじゃない」


「ええっと……それはどういう意味でしょうか?  この家の跡取りはアシュリー様ではないのですか?」

 今までマチルドがそんな不遜なことを考えているとは、思いもしなかった。


「でも、アシュリーにはクラウスに育ててもらった恩があるでしょ?  家督くらい譲ってくれたっていいじゃない」

 マチルドの勝手な言い分に、リネアの心が急速に冷えていく。


 少なくともアシュリーはこの館に深い愛着を持っている。


 春に実る野イチゴや、古木にアプリコットが実る夏の日を毎年楽しみにしているのだ。


 そんなアシュリーの気持ちも知らずに、マチルドは自分の都合ばかりを口にする。


 それに何より、アシュリーの規格外の魔力でなければ、この館の地下は守り切れない。


 実際に、アシュリーの魔力はすでにクラウスを凌駕している。だから、跡取りはアシュリー以外考えられなかった。


 むしろクラウス自身、この館を守る重圧から早く解放されたいと思っているはずだ。


 しかしそれは、地下の秘密も知らず、魔力もほとんど無いマチルドには知る由もないことだった。


「アシュリー様は、ご両親との思い出が詰まったこの館を愛していらっしゃいます」

「だから何よ? 使用人の分際で、なぜ継承権にまで口出しをするの?  やっぱりあなた、アシュリーに何か吹き込んでここに居座ろうとしているのね!  だからいつまでたっても、あの子は私に懐かないのよ!」

 さすがにそれは被害妄想が過ぎると思う。


「マチルド様、私はそのようなことは一切しておりません。きちんと一週間後には出ていきます。どうかその点はご安心ください。ご心配なら、クラウス様に確認をとってください」


「それなら、あんたがお茶を淹れに行っている時に聞いてきたわよ!  クラウスは自分が留守の間、私を一人でこの館に置いておくのは寂しいだろうから、あんたにいてもらうと言っていたわ。私は別にいいって断ったのに!」


 そこで初めて、リネアはマチルドの苛立ちの正体を理解した。


 地下から魔物が湧いてくることを秘密にしているせいで、マチルドとクラウスの間で致命的なすれ違いが生じているのだ。


 マチルドはアシュリーが自分に懐くことなく、使用人であるリネアばかりを大切にする姿を見てきた。


 そのうえ、クラウスとの間にまだ子供ができないことで、底知れない不安に苛まれているのだろう。


 この国の貴族は、本妻に跡継ぎができなければ側室や妾を持つことを許されている。


 だからこそ余計に焦り、嫌な想像ばかりが膨らむのだ。マチルドは自分の制御できない焦りや不満を、八つ当たりとしてリネアにぶつけているだけだった。


「すみません。ですがクラウス様の命令ですので、どうか、あと一週間だけ耐えていただけませんか?」


「嫌よ! せめて五日にして!」


 怒鳴りながらも、マチルドの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 そんな姿を見ると、リネアの気持ちもわずかに揺れ動いてしまう。


 マチルドは遠慮なくすべてを口にしているようで、本当はずっと不安を抱えながら我慢していたのだ。


 自分だけがこの館の仲間外れだと、孤独を感じて焦っていたのだろう。


「あの……では、クラウス様がお戻りになり次第、即刻出ていくということでよろしいでしょうか?」


 次の瞬間、突然マチルドに手元の紅茶を激しく浴びせられ、リネアは呆然と立ち尽くした。


「勝手にすればいいじゃない! どうせ誰も私の意志なんて尊重してくれないわ! こんな辺境までクラウスについてきたのに、アシュリーも懐かなければ、公爵家の地位ももらえない……もうたくさんよ!」


 そう叫んで、マチルドは乱暴に部屋から出て行った。


 リネアには、マチルドの後を追う気にはなれなかった。そんなことをされても、彼女は嬉しくないだろう。




 ほどなくして、クララとセバスがノックの音とともに入ってきた。


「まったく……クラウス様は、どうしてあんな我がままで、甘やかされて育ったお嬢様が良いんでしょう!」

 クララが悔しそうに言うと、リネアの顔と髪にかかった紅茶を素早く拭ってくれた。


「マチルド様はまるで、少女のまま大人になってしまわれたようです。それに公爵家を譲れなどと……この館の何にも貢献していないというのに」


 セバスが呆れたような口調で、紅茶が跳ねたテーブルを拭いてくれている。


 それから、悲しそうにセバスがリネアを見た。


「クラウス様は、本当に人を見る目がない。お坊ちゃまが戻られたら、どれほど悲しまれることか。リネア様、この理不尽な出来事を、どうかお坊ちゃまにお伝えください」

「え?」

 セバスがそのようなことを言うとは思いもよらなかった。


「まさか、そんなことできません」

「お坊ちゃまなら、きっとリネア様をこの館に引き留めてくださいます」


「でも、そんなことをしたら、クラウス様とアシュリー様の関係が悪くなってしまうかもしれないし、マチルド様とクラウス様の関係も壊れてしまうかもしれない……。私には、できません」


 リネアが静かに首を横に振ると、クララもセバスも同時に肩を落とした。


「リネア様、どこかに落ち着かれたら、どうかお手紙をくださいね」

 クララが絞り出すような声で言う。


「クララ……」

「近況報告のやり取りをしましょう。リネア様もアシュリー様の成長をご覧になりたかったはずです。だから私は、リネア様からのお便りをお待ちしておりますわ」


「ありがとうございます。そう言っていただけて、とても嬉しいです」

「リネア様は、優しすぎるのです」

 そう言ってくれるセバスとクララの温かさに触れて、リネアの冷え切った心はぬくもりを取り戻した。


(私がここを去ったとしても、ここで過ごした時間が消えるわけではないわ)


 それに、クララやセバスの手紙からアシュリーの成長を知ることができるのなら、これほど嬉しいことはない。


 だが、リネアは最初から手紙を書くつもりはなかった。


 きっと、文通していることがマチルドにバレたら彼女は再び傷つき、クラウスやアシュリーとの間に、修復不可能な溝ができてしまうかもしれないから。


 リネアは使用人という立場でありながら、この家族の中に入り込みすぎてしまったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ