果実水
20話「 レストランで」がぬけておりました。先にこちらを読まれ方すみません!
レストランを一歩出たところで、アシュリーがぎゅっとリネアの手を握った。
子供は意外に敏感だ。特にアシュリーのような聡い子供は。
「アシュリー様、お散歩でもしますか?」
「うん、僕、公園に行きたい」
幸い、このレストランの近くには、綺麗な花々が咲き、芝生が美しく整備された公園がある。
御者に行き先を告げてから、アシュリーと歩いて向かうことにした。
ここに来てからずっとはしゃぎっぱなしだったアシュリーが、突然無口になる。
リネアはそっと彼を見守った。
手は繋いでいても、心の距離は一定に。これが使用人の鉄則だ。
ほどなくして公園に着いた。
公園には花の香りが漂っていてバラが咲き乱れ、水を含んだ土の香りを運んでくる。
幸せそうな家族連れが散歩を楽しんでいた。
リネアにもあったかもしれない未来。今は望むべくもない未来。
二人はしばらく遊歩道に沿って歩くと、池の前にあるベンチに腰掛けた。池にはブラックスワンが泳いでいる。
「アシュリー様、喉は乾きませんか?」
アシュリーがゆるゆると顔を上げた。その紫の瞳には、どこか影があった。
「うん、喉が渇いた」
「では、そちらの店で、果実水を買ってきますね」
「果実水?」
「そういえば、アシュリー様は紅茶やハーブティー以外はお飲みになりませんね。美味しいですよ」
リネアはクラウスから預かったお金は使わず、自分の懐から払って二人分の果実水を買い、アシュリーに手渡した。
果実水を一口飲んだアシュリーが言った。
「甘くてぬるい」
「そうですね。でも私は、このやさしい甘さが好きです」
リネアの言葉に、アシュリーがパッと顔を上げる。
「リネアは果実水が好きなの?」
笑顔で頷くと、アシュリーの顔に子供らしい明るさが戻ってきた。
「ねえ、冷やしたらもっとおいしいよ。リネアのカップを貸して」
アシュリーはリネアのカップを受け取ると、魔法をかけた。
「ほら、これで冷たくなった! 飲んでみて」
冷たくなった果実水は、すっとのどを通っていく。
「アシュリー様、すごくおいしいです」
「よかった!」
アシュリーは目を輝かせて喜んだ。そんなアシュリーに、立派な領主になる片鱗を見た気がした。
(十歳にして、この気遣いは凄いわね……)
果実水を半分ほど飲んだところで、アシュリーがぽつりぽつりと話し始めた。
「あの人はね、叔父様の元婚約者なんだ」
「はい、そうだと思いました」
リネアは静かに頷いた。
「僕が原因で、叔父様たちは別れたんだ」
「そんなことはありませんよ。大人の事情があったんでしょう」
アシュリーはそれには答えない。
「多分、叔父様たちは結婚すると思う」
なぜアシュリーがそう思うのかは分からないが、リネアも二人の雰囲気を見て、決して嫌い合って別れたのではないと感じていた。
「叔父様は僕を大事にしてくれるし、もしあのマチルドと結婚することになっても、僕を捨てたりしない」
十歳の子供の言うセリフではない。アシュリーは子供なのにどこか達観している。そのことにリネアの胸は痛んだ。
「クラウス様にとって、アシュリー様は大切な存在ですからね」
アシュリーは切羽詰まったような目でリネアを見る。
「ねえ、リネア、叔父様がマチルドと結婚しても出て行かないで!」
リネアはアシュリーの言葉にびっくりした。
「アシュリー様、ありがとうございます。とても嬉しいですが、それは私の雇い主であるクラウス様が決めることです」
やんわりと断った。
アシュリーは賢いので、もう子守ではなく優秀な家庭教師が必要だ。
やがて彼はこの国の貴族子弟が通う王立魔法学園に通うようになるだろう。
その前にしっかり教育を受けてもらいたい。
すっかり情が移ってしまったが、アシュリーの未来に自分がいないことは分かっていた。
「リネア、いやだよ。そんなこと言わないで! ずっと一緒にいてよ」
目を潤ませてアシュリーが言う。心細いのだろう。
(クラウス様とマチルド様が復縁するとして……マチルド様にとって私は邪魔な存在よね)
しかし、親を亡くしてまだ心細いだろうアシュリーを見ると、側にいてやりたくなる。
そこへ影が差した。
「アシュリー、リネアを困らせるな」
クラウスの声に振り返ると、彼の横には不機嫌そうなマチルドが立っていた。
「叔父様は、マチルドと結婚するの?」
「アシュリー、呼び捨てにしてはいけないよ」
「……アシュリー、前回は悪かったわね。あなたに八つ当たりをしてしまって。いきなり子持ちになるって聞いて、私も気が動転していたのよ」
マチルドがさらりと言うと、アシュリーが身を固くした。
「叔父様。結婚するの?」
「それは、家に帰ってからゆっくり話そう」
「あら、クラウス、焦らすことないじゃない。そうよ、アシュリー、私たちは結婚するわ」
マチルドのその通告は、暗にリネアの解雇を意味していた。
「マチルド、今はやめてくれ」
クラウスがため息をつく。しかし、マチルドは続けた。
「アシュリー、私はあなたの母親にはなれない。でも、あなたを尊重して大切にするわ。だから私を信じてほしいの」
アシュリーは大きな瞳でじっとマチルドを見る。
「本当に、僕を尊重してくれるの?」
「もちろんよ。だってクラウスはワグナー家に養子に入るんですもの。あの大きな領地はアシュリーのものよ。でもクラウスはあなたの後見人だから、あなたを見守る義務がある。だから、あなたが成人するまで私はあの……ちょっと不気味な屋敷で暮らしてあげるわ」
マチルドはそこまで言い切ると、クラウスを振り返った。
「ねえ、クラウス。あの屋敷の庭くらいどうにかしてよね。せめてバラを植えるとか。雑草が生い茂る庭なんて嫌よ。綺麗な芝生に変えてもちょうだい」
アシュリーが下を向いて、じっと小さな拳を握りしめる。
あの庭には、そこかしこにアシュリーと亡き父母の思い出が詰まっていた。
しかし、こうなってしまうとリネアは部外者だ。
ここにいてもいいものかと思ってしまう。
「あの、クラウス様、私は席を外した方がいいのでは?」
リネアがそう言ってベンチから立ち上がると、すっとマチルドが入ってきてアシュリーの横に座った。
その間に、リネアはアシュリーの持つ果実水のカップと自分のカップを片付けた。
(楽しかったなあ。でも、あっという間だったわ)
そんな感傷がリネアの頭に広がる。
帰りの馬車は別だった。
リネアは荷物を積んだ後続の馬車に乗った。
それが使用人としての正しい在り方だ。
そして前の馬車には、クラウスとアシュリーとマチルド。
気のいい使用人たちと過ごした日々が頭に浮かぶ。
(みんなにお礼を言わないと。いつ頃、館を出ることになるかしら……)
アシュリーと仲が良くなりすぎて、あの館で使用人として雇われ続けることは無理だと分かっていた。
ワグナー領から戻った翌日、クラウスから使用人に向けて報告があった。
マチルドと結婚して、アシュリーが成人するまで彼らはこの館で暮らす、と。




