新しい転売先
リネアの両親は早逝し、いまは兄のレオナールが後を継いでいる。
オルセン伯爵家の兄夫妻は、リネアより十歳うえで年が離れていた。
彼らの間には跡継ぎとなる子供はおらず、兄夫妻は怠け者で親からの遺産を食いつぶしていた。
リネアはレオナールと彼の妻のマリエッタとこれから会うかと思うと憂鬱だった。
彼女が暗い気分で家に帰ると、邸のエントランスでは兄のレオナールと兄嫁マリエッタが怒りの形相で待ち構えていた。
うんざりしたが、予想通りの行動だ。
彼らはハリントン家に嫁いだリネアにたびたび金の無心をしていたのだから。
「あなた、いったい何しに戻ってきたのよ!」
リネアはマリエッタにいきなり頬をはたかれた。
「こののろまが!」
レオナールとマリエッタは、自分たちが贅沢をして借金をこしらえたくせに、「金持ちの後妻にやってやったのに、遺産の一つも取れずになんて信じられない」、「この役立たず」とリネアを激しく罵倒した。
「何のために、お前をあの爺のもとに嫁がせたと思っているんだ!」
リネアはレオナールの言葉に悲しくなった。ウォルターはとてもいい人だった。
「そんな言い方しないで……ウォルター様は――」
「もう我慢できないわ! こんなとろい娘、追い出しましょう!」
リネアの話を遮ってマリエッタが怒鳴り散らす。
「まあ待てよ、マリエッタ。こいつをどこに追い出すかを考えるから」
「まさか、また後妻にいかせるつもり? 十六歳の未亡人に相手が見つかるかしら」
この国での結婚年齢は女性が十二歳で男性が十四歳から許可が下りる。そして結婚適齢期は十七歳から二十一歳。
リネアが嫁ぐのに決して遅すぎることはない。
しかし、残念ながら、その年齢で結婚する者たちは幼い頃から婚約者が決まっている。
リネアにも婚約の話があったそうだが、それはすべてレオナールが断ってきた。財産持ちの家の後妻として嫁がせるためだ。
そして今のリネアは出戻りだ。
「リネアの顔ならまだ売れる」
そんなレオナールの言葉に、マリエッタが悔しそうに歯噛みする。
「そんな大した器量でもないじゃない! 金髪で色白だから多少よく見えるだけよ。あなたの部屋は屋根裏よ! さっさと私の前から消えて!」
結局、怒られたあげくリネアは、次の嫁ぎ先が決まるまで屋根裏部屋で暮らすことになってしまった。
疲労で重くなった足を引きずり、屋根裏へと続く階段を上っていく。
それから黙々と埃っぽい屋根裏部屋の掃除をして、寝るスペースを作った。
ふと自分の荒れた手に目を落とし、幸せだったが過酷な介護を思い出す。
リネアは介護を使用人任せにしなかった。ウォルターは彼女にとっては祖父であり、恩人だからだ。
「旦那様……最後は穏やかなお顔で逝かれてよかった」
心にはぽっかりと穴が開き、虚脱感で思考が停止した。
しかし、それもつかの間のことだった。
屋根裏には当然のようにベッドはなく、床で寝るしかない。
リネアは鞄を枕によこたわった。
ウォルターが亡くなった日からよく眠れなくなっていた。
しかし、この日からリネアの強烈な生存本能が覚醒し、ぐっすり眠れた。
やはり実家は恐ろしい場所だ。
リネアがその朝目覚めたのは、ひとえに空腹だったからだ。
帰宅後何も口にしていない。
それに床で寝たせいか、体がバリバリで背中が強烈に痛む。
リネアは痛む体をだましだまし、ゆっくりと慎重に起き上がる。
「おなかすいた。厨房で何かもらおう」
厨房までの階段を降りていく間、あたりを観察するまでもなく、掃除が行き届いていなかった。
使用人も減ったうえに入れ替わっている。
(人使いが荒いからやめていくのね……)
一階にある厨房に行くと、見知った使用人が数人いたので、パンとスープを分けてもらった。
彼らがリネアをこの邸の「お嬢様」だと覚えてくれていて
ほっとする。
しかし彼らも保身のためにリネアに必要以上に接しようとはしない。
(お父様とお母様の代ではこんなことなかったのに……)
リネアが七歳の時に両親は亡くなり、兄夫妻は家督をついだ。当時兄夫妻は新婚だったため、邪魔になったリネアを少ない持参金で修道院に預けた。
修道院で教育は受けられたものの、その後は辛い労働が待っていた。そして十三歳になると、兄が迎えに来てそのままハリントン家に嫁いだ。
リネアは感傷を振り払い、食事に専念していると、ほどなくして兄の叫ぶ声が聞こえてきた。
「リネア! どこにいる!」
リネアは隠れようかと思ったが、厨房に隠れる場所はないし、使用人たちにも遠巻きにされている。誰の助けも期待できない。
リネアがパンをかじったまま固まっていると、兄が上機嫌で厨房に入ってきた。
「やはりここにいたか。よろこべ、お前の行先が決まったぞ!」
「え? もう?」
リネアはずっと介護をしていたので社交などしておらず、噂には疎い。だから、今度はどこへ送られるのかと戦々恐々である。
(また、優しい人だったらいいなあ。でなければ、今度こそこの家から逃げる!)
「ヴァルハイト公爵領だ! なんでも子守を探している! うまくいけば領主の愛人くらいにはなれるのではないか!」
「ヴァルハイト公爵家って、魔物が出る土地じゃないですか!」
リネアでも知っている領地だった。
王都には大きな結界が張られていて魔物が入ってくることはないが、王都と隣接しているヴァルハイト領ではなぜか魔物がよく出没する。
「ははは、最近代替わりしてな、詳しいことは知らん。家督を継いでいた長男が亡くなって、王宮騎士団にいた次男が継いだらしい。詳しいことはわからんが、今から行け! 推薦状は書いておいたぞ!」
「推薦状って……」
リネアはオルセン伯爵家の娘だ。まるで使用人のような扱いに頭がくらくらする。
そんなリネアの思いを知ってか知らずか、兄は高圧的に命令を下す。
「今度こそ、愛人なり、妾なり、確固たる地位を築くのだぞ!」
リネアにはそんな気はさらさらなかった。
「あの、道中魔物に襲われる心配は?」
「さあな。街道沿いから外れなければ平気だと聞いた。早速行ってこい!」
そういう兄の横から、いつの間にか来ていたのかマリエッタが顔を出す。
「介護より、子守りの方がずっと楽じゃない。感謝なさい。こんど追いだされたら、この家に入れないから!」
事実上の絶縁宣言である。
だが、リネアの脳ではこう変換された。
(介護も子守もできれば、この実家に頼らなくても一人生きていけるんじゃないかしら)
彼らには秘密だが、リネアは魔法が使えるので、ある程度魔物も討伐できる。なぜ秘密にしているのかというともっとひどい場所に売られそうだからだ。
だから、ひっそりとお金をためて、いつか貴族の身分を捨てて彼らから逃亡しようと考えてた。
「ほら、何ぼうっと突っ立っている。サッサと家から出ていく準備をしろ!」
レオナールの言葉にリネアは当然の要求をした。
「お兄様、旅費が無ければ行き倒れてしまいます」
彼らは怒りながらもリネアに旅費を包んで、追い立てるように邸から放り出した。




