孤独な老人と、若き妻の五年間
――エーデルヴァルト王国歴521年
「リネアよ。お前が実家に苦しめられてきたことは知っている。私が亡きあとも帰らなくてもいいように、財産を残してやろう。それから別邸も。いままでありがとう」
そんな言葉を残して、ウォルター・ハリントンの手からすっと力が抜けた。命が消えた瞬間だった。
「そんな……旦那様、いやです」
リネアがどれほど泣いても、ウォルターの命をつなぎとめることはできなかった。
年の差六十歳の結婚だった。
リネア・オルセンは十三歳でウォルターの後妻になり、ハリントン夫人となった。彼の息子のロバートは、十年前にウォルターとぶつかり家を出て行ってしまい、それきり行方知れずだ。
そのため、リネアは老人であるウォルターの世話をするために嫁いだ。
つまりウォルターをみとるための形だけの花嫁だ。
リネアは実家から金持ちの老人に売られたわけだが、ウォルターはリネアを孫のようにかわいがってくれていた。
心細い思いで実家のオルセン家から嫁いできたものの、実家で兄と兄嫁に受けたような虐待はなく、大事にしてもらえた。
それだけではなく、ウォルターはリネアに教育まで授けてくれたのだ。
リネアは利用されるのが怖くて、実家には魔法が使えることを黙っていた。だが、ウォルターはリネアの才能を見込んで家庭教師を雇ってくれたのだ。
温かいご飯に清潔な部屋。リネアは日々、ウォルターに感謝していた。
だが、結婚当初から車いすで過ごしていたウォルターは日に日に老いと病にむしばまれ、二年目には自由に動けなくなり最後は寝たきりになってしまった。
本当に介護は過酷で大変だったが、ウォルターは意識がはっきりしている時は常にリネアに感謝の言葉をかけてくれていた。
彼を祖父のように慕っていたので、ウォルターを失った今、リネアのショックははかりしれない。
しかし、リネアに悲しみにくれている時間はなかった。
すぐに葬儀の手配をしなければならなかったからだ。ハリントン夫人としてしっかりとつとめをはたさなければならない。
リネアは涙をこらえながら、ハリントン家の管財人と相談しつつ一生懸命葬儀の準備をした。
葬儀の日は雲一つなく晴れていたが、リネアの心の中は暗く重く沈んでいた。ウォルターはリネアの知る中で唯一まともな貴族男性で人生の羅針盤のような人物だった。
いくら気丈に振るまおうとしても涙があふれそうになる。
そっと目元の涙をぬぐった瞬間、厳かな式の最中に場違いなほど怒気を含んだ男の声が響いていた。
「おい! お前はいったい誰の許しを得てこの場所にいる!」
年の頃、三十前後の男の姿にはウォルターの面影があったため、彼が息子ロバートだとすぐに察した。
その間にもロバートはずかずかとリネアの元へ近づいてきた。
参列者がひそひそと或いはかたずをのんでその様子をみている。
「貴様、遺産目当てだろう! 今すぐこの場から出ていけ」
あまりの酷い言いようにリネアはショックで口を開くことすらできなかった。
ウォルターを失った悲しみでいっぱいで遺産など考えてもいない。
なぜならウォルターはずっとリネアの庇護者であったのだから。
ロバートはリネアの腕をひっぱって、葬儀の場から引きずり出そうとする。
あたりが騒然とし執事や管財人が止めに入ろうとしたが、彼は聞く耳をもたず、リネアを葬儀の場からから追いだした。
「今すぐ邸から荷物持って出ていけ、お前の実家オルセン伯爵家の薄汚い噂は聞いている! 金輪際、貴様らの一族とは関わり合いになりたくない!」
ひとりだけぽつんと追いだされたリネアは呆然とした。
翌日、リネアは少ない荷物を持って、世話になったウォルターの邸を去った。執事もメイド頭も管財人も、気の毒そうに彼女を見送ってくれた。
いくら彼らが同情してくれても、ロバートはすでに家長の座についているので、どうにもできない。
(せっかく居場所ができたと思ったのに……遺産なんて別にいらない……)
介護は厳しくつらく孤独ではあったが、やさしかったウォルターの姿が瞼に浮かぶ。
リネアは肩を落とし、ハリントン伯爵領から去り、王都にあるオルセン家のタウンハウスへと帰っていった。




