秘密の場所
翌日リネアとシャーリー、そしてクラウスの三人で散歩に出かけた。
クラウスには領主としての忙しい仕事もあるはずなのに、驚くほどシャーリーの世話を焼いている。
やはり、甥のことが心配でたまらないのだろう。
だが、当のシャーリーはいたって元気だった。
リネアの前で正体がバレてしまったので叱られると思っていたようだが、逆にクラウスから「よく屋敷を守った」と褒められたのが嬉しかったらしい。
同時に「セバスも、クララも、リネアも強いのだから、緊急時は絶対に彼らの指示を聴くようにしなさい。それから、絶対に人前で変化しないように」と釘も刺されていたが。
モフモフとしたシャーリーは、神妙な様子でクラウスの話を聞いていた。その紫の瞳には、叔父への完全な信頼が宿っている。
さらっとリネアも戦闘要員に入れられていたが、特別手当が出ているので文句は言えない。それに聖魔法は、物理的な攻撃魔法の効かないリビングメイルのような魔物には特に効果的だ。
(別に、ウォルター様のところで、時々庭に出るスライムとかをやっつけていたからいいけれど……)
露見した魔法は聖魔法だけだが、実は土魔法も水魔法も多少は使える。
だが、わざわざ披露する場面もないだろうと思い、黙っていることにした。
自分の能力を無闇にひけらかしても良いことはないと、リネアは身に染みてわかっている。
――それから一週間後、リネアは久しぶりに人間の姿に戻ったアシュリーに会うことができた。
やっとフェンリルから戻れたようだ。
どちらが彼の本来の姿なのかは、リネアには分からない。
驚いたことに、リネアが朝の挨拶に行くと、アシュリーは初めて子供らしい無邪気な笑顔を見せてくれた。
「リネア、リネア! 僕が犬になった時も、ご本を読んでほしい」
犬ではなくフェンリルだと訂正したいところを、リネアはぐっと堪えた。
「はい、承知いたしました。ではアシュリー様、これから書庫へまいりましょう」
「うん!」
上機嫌で頷いたアシュリーは、リネアの後をついてきた。
そして、ぎゅっとリネアの手を握る。
柔らかくて暖かい、子供らしい手。
リネアは心の底から、この手を守りたいと思った。
書庫で座る席にも変化があった。アシュリーはリネアの隣にちょこんと腰かけるようになったのだ。
教える方としてはこの方がずっと楽で、そのおかげで勉強もはかどり、あっという間に勉強の時間は終わった。
そして、読み聞かせの時間はアシュリーにとって最大の楽しみのようだった。
朗読するリネアの隣にぴったりと寄り添い、美しい挿絵を見ながら冒険譚に聞き入っている。
リネアが「続きはまた明日ですね」と言ってパタリと本を閉じると、「もっと聞きたいのに」と子供らしく拗ねてみせた。だが、頭を撫でてあげるとすぐに上機嫌になる。
リネアが散歩の提案をすると、いつも喜んでついてきた。
どうやら座っているより、体を動かす方が好きなようだ。
クラウスやセバスが言うように、両親が亡くなる前は活発な男の子だったのだろう。
散歩の習慣は、アシュリーの姿でもシャーリーの姿でも変わらない。
午前と午後の二回だ。
忙しい仕事の合間を縫って、クラウスが散歩に連れて行くときもあった。
そんな時、アシュリーははしゃぎ疲れるせいか、いつもはしないお昼寝をした。
風が草木の香りを運んでくるテラスで、クラウスとアシュリーが一緒にお茶を飲む姿は実に微笑ましい。
そんな彼らを見ると、リネアはつい考えてしまう。
(叔父と甥、とても仲がいいのね。私は実兄に愛された記憶なんてないもの……)
「ねえ、リネアもおいでよ! 一緒にお茶を飲もうよ!」
「え? 私がですか?」
時々こうしてアシュリーはリネアとお茶を飲みたがるが、クラウスがいるときは遠慮していた。
クラウスはここの主人で、リネアは子守という名の使用人だ。
もちろんアシュリーも仕えるべき主人ではあるが、そんな寂しそうな目で見られると断ることが難しい。
「リネア、こちらに来るといい」
「さあ、リネア様のぶんもお茶の準備をしましたよ」
まるでタイミングを計ったように、セバスがリネアのためにティーポットとカップを運んでくる。
戸惑いつつも、お言葉に甘えて同席させてもらうことにした。
テラスにある丸テーブルにはリネアの席が用意され、目の前にはバターの匂いがするクッキーと熱々の紅茶が置かれる。
アシュリーがクラウスにねだる話は、たいてい決まっていた。魔物退治の話だ。
「ねえねえ、叔父様、ゴブリンの集団を倒した時はどうだったの?」
「あれは、なかなか手こずったな」
「どうして? 図鑑で見たけど、そんなに強そうに見えなかったよ」
アシュリーが好奇心に目を輝かせて、身を乗り出して聞いている。
「あいつらは集団行動をし、武器を使うんだ。弱いと侮るとケガをする」
「そうなんだ。でも、僕がシャーリーになったら蹴散らせるよ。叔父様はいつになったら僕を魔物討伐に連れて行ってくれるの?」
アシュリーがねだると、クラウスは静かに首を横に振った。
「アシュリーはまだ子供だ。もっと大きくなったら連れて行ってやる」
するとアシュリーは、リネアを振り返った。
「ねえ、リネアは僕が強いことを知っているよね?」
「はい、存じていますよ。アシュリー様は優しくてお強い、立派な紳士です」
リネアの言葉に、クラウスが少し渋い顔をする。
「リネア、あまり褒めてくれるな。魔物討伐に行きたいとまた駄々をこねられる」
「これは失礼いたしました」
しかし、実際にアシュリーに助けられたリネアからすれば、子供とはいえ彼の強さを否定することはできなかった。
それに、結界が張ってある地下室のオーク製の分厚い扉は、生半可な力で蹴破れるようなものではなかったのだ。
アシュリーはにこにことして、再びクラウスを見る。
「ねえ、叔父様、僕に剣術を教えて! それから魔法も!」
「わかった。少しずつな。お前の体はまだ完成していない。だから無理をするのは良くないぞ」
「僕がシャーリーになれば無敵なのに」
「アシュリー、それはダメだ。少しずつコントロールしなさい。そうすれば人の姿でもシャーリーの力を操れるようになる」
その会話を聞いて、リネアは少し落ち着かない気分になる。
(やはり、ここって獣人の家系なのね……。王族に近しい貴族に獣人の血が入っているって噂は本当だったんだわ……)
子供のお世話係の仕事は期間限定だ。
アシュリーは利口なので、もう間もなく優秀な家庭教師が必要になるだろう。
家の深い事情には踏み込まず、しっかりと特別手当を貯めていく決意をリネアは改めて固めた。夢の独り立ちに向かって。
◇
リネアがこの館にやってきてから二か月が経った頃、アシュリーは九歳の誕生日を迎えた。
「ねえねえ、リネア、叔父様がいなくて寂しいから、僕と一緒にご飯食べてよ」
上目遣いでねだってくる。
九歳という年齢にしては小柄な彼にそう言われると、本当に断りにくい。とにかく可愛いのだ。
「アシュリー様、私は使用人ですよ。一緒に食堂でお食事することはできません」
こちらに来たばかりの頃は部屋に籠もりがちだったアシュリーだが、今は貴族の子息らしく、食堂で給仕されながら食事をとっている。
「叔父様がいなくて寂しいの」
ちょっと悲しげに、紫の瞳をウルウルとさせる。
そんな姿を見ると胸がきゅっと締め付けられた。リネアも両親を早くに亡くしているからアシュリーの寂しさは痛いほど理解できるが、教育には良くない。
それに、どう考えてもクラウスの許可が必要だ。
「アシュリー様は、クラウス様のように強い魔法騎士になるのが夢なのでしょう?」
「うん、僕、叔父様みたいになりたい」
「それなら、頑張って一人でお食事しましょうね」
「むぅ」
アシュリーはぷっくりと頬を膨らませた。しかし、結局は諦めて食堂へとトボトボと向かっていった。
(こうして大人になっていくのね……。アシュリー様、強い大人になってくださいね)
ここでアシュリーが大人に成長していく姿を最後まで見届けることはできないけれど、いつか立派になった彼に会ってみたいなとリネアは思った。
そして今日も今日とて、アシュリーと広大な庭を散策する。
今日はアシュリーがリネアの手をぎゅっと握り、ぐいぐいと引っ張っていた。
「ねえ、リネア、叔父様も知らない秘密の場所があるんだ!」
それを聞いて微笑ましくなった。
きっとリネアが昨日読んだ本の影響だろう。
その物語の中では、悪に対抗する騎士が秘密の隠れ家を作っていたのだ。
リネアが連れていかれた先は、北にある旧城壁の一角だった。
石造りの壁にぽっかりと穴が空いている。
「この中だよ!」
そう言って、アシュリーがすばしっこく壁の穴に入っていった。
驚いたことにそこには大きな空洞があり、梯子を降りた先には地下へと続く通路が伸びていた。
「アシュリー様、危険です!」
いつもは聞き分けの良いアシュリーが、するすると梯子を降りていってしまう。
とんでもなくやんちゃな行動に、リネアは面食らった。
「ほら、何ともないでしょ!」
アシュリーは地下に降り立つと、そのまま通路の奥へ入っていってしまった。
「アシュリー様、お待ちください!」
(やっぱり、男の子って大変!)
梯子を踏み外さないように慎重に降りると、リネアは急いでアシュリーの後を追った。
地下通路は短く、少し進むと出口付近の頭上から光が射し込んでいるのが見えた。
ほどなくして、外に出るための梯子が現れる。地上からアシュリーの声が響いてきた。
「リネア! こっちこっち!」
「はい! ただいま向かっています! アシュリー様、危ないことはしないでくださいね」
リネアは懇願するように言いながら梯子を上った。
その先には、アシュリーが自慢げな様子で立っていた。
黄金色の実のなる古木をバックに、誇らしげに胸を張っている。
リネアはものすごく心配したのに……そう思うと、ふと切なさが込み上げてきた。
「ごめんなさい、リネア……僕、心配かけちゃった」
先ほどとは打って変わって、しょんぼりと俯いて謝るアシュリーを見て、リネアの心に安堵と、彼をシュンとさせてしまったのではないかという不安が湧き上がる。
「私は大丈夫ですよ。アシュリー様、すごく立派なアプリコットの古木ですね」
手入れこそされていないが、アプリコットの古木は日差しを浴びて金色に輝いていた。枝には実がたわわに実っている。
「うん、これはね。父様と母様の思い出の木なんだ」
リネアはアシュリーの口から両親についての言葉が出て、少なからず動揺した。
(もう、立ち直りつつあるの……?)
ふと、アシュリーが儚く消えてしまいそうな気がした。
「ありがとうございます。そんな大切な場所に連れてきてくださって」
するとアシュリーは、泣き笑いのような、いとおしい表情を浮かべた。
「この木は僕の誕生日に実をつけるんだ。去年は食べられなかったアプリコットのタルトを、今年はリネアと一緒に食べたい」
「アシュリー様……」
こんな健気なことを言う子供を、どうして叱ることなどできるだろうか。
「ここは秘密の場所。だから叔父様にも秘密だよ。リネアだけが覚えてて」
「承知いたしました、アシュリー様」
その後、二人は再び袋を取りに戻り、たくさんのアプリコットを収穫して厨房へと向かった。
館の料理人は、アシュリーが差し出したアプリコットを見ると、大きく目を見開いた。
「お坊ちゃま、これは……」
「うん。今年からまた毎年、夏にはアプリコットのタルトが食べたいんだ」
「はい……! 腕によりをかけて作りますよ」
そう言って、料理人はそっと涙ぐんでいた。
これはきっと、この館に深く染み込んでいた、失われた家族の温かい記憶なのだろう。




