異変
クラウスが館を去った日、セバスは地下の魔穴から魔物が湧いてくると言っていたが、リネアはアシュリーとともに穏やかに楽しく過ごしていた。
だが、クラウスが魔物討伐に旅立ってから十日後の深夜に異変は起きた。
いつもは静寂に満ちている館の中が、ざわざわと騒がしい。
魔物が現れたとき特有の瘴気を感じ、リネアは目を覚ました。アシュリーが心配でいてもたってもいられなくなって、リネアはさっとガウンを羽織ると、アシュリーの部屋へ向かうために階段を下りた。
二階と三階の間にある踊り場で、アシュリーを連れたクララと出会った。
クララの顔は、いつになく緊迫していた。
「リネア様、なぜ、こちらに?」
「なんだか、館内がざわざわしていて嫌な予感がしたんです。アシュリー様の様子が心配で、ここまで来ました」
そこでクララは表情を引き締めた。
「緊急事態でございます。アシュリー様を連れて四階に避難してください。北通路にある左側の三番目の空室をお使いください。鍵はこちらになります。騒ぎが静まるまで、どうかそこでなるべく音を立てずにお過ごしください」
リネアはクララの言葉に頷いた。
「わかりました。くれぐれもお怪我のないように気を付けてください」
「はい、リネア様も」
踵を返すクララを引き留めた。
「あの、魔法で魔物を退治できる者は、この館に何人いるのですか?」
「魔法を使える者は希少で、私とセバスを含めてざっと五名ほどでしょうか……」
その言葉に、リネアの胸はぎゅっと締め付けられる。
(私は多少魔物を倒せる心得がある。このまま安全圏に逃げていていいの?)
すると今までクララに手を引かれたまま震えていたアシュリーが、口を開いた。
「ねえ、クララ、今大変な状況なんでしょ……だったら、僕も魔物退治に参加する」
リネアは、アシュリーの言葉に驚いた。
「いけません、お坊ちゃま! リネア様と一緒に四階へ避難してください!」
「で、でも! 僕は魔法が使える。……叔父様がいない今、館を守るのは僕の役目だよ」
拙い口調ではあるが、アシュリーが必死に訴える。
するとクララが「お坊ちゃま、失礼いたします!」と言って、アシュリーを抱き上げてリネアに押しつけた。
小柄なアシュリーは驚くほど軽くて、柔らかだ。彼の体からはぬくもりと震えが伝わってくる。
「リネア様、どうかお願いいたします!」
クララの堅い決意が伝わってきた。
「承知いたしました。アシュリー様は私がお守りいたします」
リネアはアシュリーを抱いたまま階段を上る。
「嫌だ、リネア戻って! セバスもクララも、お父様やお母様のように戻ってこなくなったらどうしよう!」
泣きじゃくりながら言うアシュリーに胸が痛む。
なんとなく察しはついていたが、アシュリーが両親を亡くした本当の理由をこんな状況下で知りたくはなかった。
「きっと大丈夫ですよ、アシュリー様。さあ、避難しましょう」
アシュリーと四階のの部屋へと移った。
なんとかなぐさめようと思ったが、アシュリーは落ち着かない様子で部屋を歩き回る。
そして、今日のアシュリーは気が高ぶっているのか珍しくよく喋る。
「僕……こんなところに逃げていていいの? 叔父様なら、進んで魔物をやっつけに行くのに。それに結界が……」
「結界のことはセバスから聞きました」
「そう……普段は結界で守られている。でもたまに緩むから、叔父様が補修している。そのうち――僕の仕事になる。完璧に補修できるのは僕だけだから」
僕だけというのはどういうことだろうとリネアは思ったが、アシュリーはこれ以上話す気はないようだ。
彼はじっと虚空を見つめている。
幼いながらも心細さに泣き叫ぶこともなく、現状何が起こっているのか理解しているアシュリーを見て、リネアの覚悟は決まった。
「アシュリー様、ここで大人しくしていられますか?」
「え? まさか……リネアも行くの? 」
アシュリーはこぼれんばかりに目を見開いた。
リネアは彼に微笑みかけた。
「アシュリー様、実は私には秘密があります」
「ひ、秘密?」
「はい、私は子供の頃、両親を馬車の事故で亡くして、一時的に修道院に預けられたことがあります」
「え? リネアもお父様とお母様がいないの?」
リネアは静かに頷いた。
「その修道院は、魔物が出没する地域にあったんです。だから修道院で魔法が使える者は魔物討伐に駆り出されました。もちろん、近隣の村に結界を張るのも修道院の仕事でした。だから、私は結界を張れるのです。おそらくこの館の地下にある結界の補修くらいならば、私にも対処できます」
実はリネアは魔物退治を引き受ける代わりに魔法を使えることを内緒にしてほしいと修道院のシスターに約束してもらったのだ。
当時のシスターはその約束を守ってくれた。
「なら、僕も行く!」
アシュリーが即座に言った。
「それはいけません」
「僕がみんなを守らなきゃ!」
「アシュリー様が守るのはこのヴァルハイト領であって、私たち使用人ではありません。あなたはこの先公爵の地位を守り受け継いでいかなければならないのです」
リネアの言葉にアシュリーが大粒の涙を浮かべる。
幼い子供のそんな姿をみると、心がずきりと痛む。
(本当なら、温かい愛情に包まれて育つはずだったのに……)
するとアシュリーが堰を切ったようにしゃべり始めた。
「嫌だ! セバスも、クララも、リネアも僕が守るんだ! 僕、本当は強いんだ!」
「ええ、わかっております。でも、アシュリー様はまだ子供です。どうか私たち大人に守らせてください」
魔法が使えることは隠すつもりだったが、親切にしてくれていた館の者たちを見捨てるわけにはいかない。
その時、ドンという大きな音が響いた。どこかの扉が壊されたようだ。
一刻の猶予もない。
「アシュリー様、リネアとの約束です。絶対にこの部屋から出てはいけません。セバスもクララも、私が守ります。だからどうかこちらでお待ちください。すぐに戻ります」
リネアは今にも泣きだしそうなアシュリーに微笑みかけて、踵を返した。
外から部屋の鍵をかけてアシュリーを閉じ込める。
「久しぶりの魔物退治、腕が鈍っていないといいのだけれど」
リネアは緑色の瞳を光らせて、魔物の気配がする一階へと駆け下りた。




