EP 3
忍び寄る機械の羽音
ジジジジジジジジ……!
それは、夏の夜の羽虫などという可愛らしいものではなかった。
空気を振動させ、鼓膜を直接削り取ってくるような、無機質で暴力的な駆動音。
「な、なんだあれ……?」
テント村にいた労働者の一人が、ぽかんと口を開けて空を指さした。
ルナミス帝国の上空を覆う、不可視の魔力防衛結界。通常なら飛竜の群れすら弾き返すそのドーム状の盾が、まるで熱したフライパンに落ちたバターのようにドロドロと溶け落ちていた。
結界の穴から這い出してきたのは、悪夢のような姿をした魔獣だった。
全長2メートルを超える、鋼鉄の装甲を持った巨大な蟻。
そして、鋭利な刃の羽を広げ、空を飛び交う巨大な蜂。
ただの生物ではない。関節の隙間からは不気味な紫色の光が漏れ、明らかに『機械』と『蟲』が融合したような異質な存在だった。
「ひっ……!」
「ば、化け物だァァァッ!!」
先ほどまでリーザの歌で活気にあふれていたテント村は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
ズンッ!
一匹の『死蟻型』が、重々しい金属音を立てて広場の中央に降り立つ。
逃げ遅れた労働者が尻餅をついた。死蟻型はその無機質な複眼で男を見下ろすと、顎をガチリと鳴らし――強烈な酸液を吐き出した。
「ぎゃあああああっ!?」
酸を浴びた屋台の鉄板が、シューッと音を立てて一瞬で気化する。
男自身には当たらなかったものの、その威力を目の当たりにして全員の顔から血の気が引いた。
「リーザ! 逃げるぞ!!」
俺は即座にリーザの細い腕を掴み、全速力で走り出した。
前世でエンタメ業界の修羅場をくぐり抜けてきた俺の危機管理能力が、最大級のアラートを鳴らしている。あれは、俺たちみたいな一般人がどうにかできる相手じゃない。
「プ、プロデューサー! あの虫さんたち、何なんですか!?」
「知るか! 控えめに言って、関わっちゃいけないデザインしてるだろ!」
「でも、みんなが! 私のファンの人たちが!」
リーザが振り返る。
テント村では、バフを受けて元気になっていた労働者たちが、スコップや鉄パイプを手にして化け物に立ち向かおうとしていた。
「お前ら、下がれ! 衛兵隊のお出ましだ!」
そこに、帝国の正規兵たちが駆けつけてきた。
手にはクロスボウ、そして後方にはローブを着た魔導師部隊が控えている。
「構え! 『ストーンバレット』、撃てェッ!!」
隊長の号令と共に、魔導師たちが一斉に魔法を放つ。
一般的な魔導師が放つストーンバレットは、拳大の石が時速150キロで射出される、れっきとした殺傷兵器だ。それが数十発、雨あられと蟲たちに降り注ぐ。
ガキィィィィンッ!!
だが、鈍い音が響いた直後、衛兵たちの顔が絶望に染まった。
時速150キロの石弾が、死蟻型の鋼鉄の装甲に当たって粉々に砕け散ったのだ。傷一つ、いや、凹みすらしていない。
「う、嘘だろ……!?」
「装甲が硬すぎる! クロスボウも弾き返され――ぐあっ!」
上空から急降下してきた『死蜂型』が、衛兵の肩に毒針を突き刺した。
刺された衛兵は一瞬で顔を紫に腫らし、泡を吹いて倒れ伏す。
圧倒的な蹂躙。手品のように魔法と矢を無効化する化け物たちを前に、前線はわずか数分で崩壊しつつあった。
「逃げろ! 早く!!」
俺はリーザを庇うようにして、路地裏へと飛び込んだ。
背後では、テント村が燃え上がり、人々の悲鳴が響き渡っている。
「プロデューサー、私、歌います! 私が『戦神の凱歌』を歌えば、衛兵さんたちももっと強くなって……!」
リーザが立ち止まり、みかん箱を取り出そうとする。
俺は彼女の両肩をガシッと掴んだ。
「馬鹿野郎、やめろ! 相手の装甲を抜けない以上、いくら筋力をバフで上げても無駄死にが増えるだけだ! それに……」
俺は上空を指さした。
空を飛ぶ死蜂型たちが、まるで見えないセンサーでも持っているかのように、逃げ惑う人々の中から『魔力や闘気の高い者』を優先的に狙って襲いかかっていた。
「あいつら、明らかに強い魂を狙ってる。今お前がライブなんか始めてバフ魔法を撒き散らしたら、真っ先に蜂の巣にされるぞ!」
「そんな……!」
リーザが唇を噛む。
その時だった。
ジジジジジ……。
真上の建物の壁を這って、一匹の死蜂型が俺たちの頭上に回り込んでいた。
赤く光る複眼が、真っ直ぐにリーザを捉えている。先ほどの路上ライブの余韻で、彼女の体からまだ微量な魔力が漏れ出ているのを感知したのだろう。
「しまっ――」
死蜂型が、鋭い毒針を構えて急降下してくる。
避ける暇なんてない。
俺は考えるより先に、リーザの前に立ち塞がり、彼女を抱き込んで背中を向けた。
俺には戦闘力はない。でも、プロデューサーが担当アイドルを盾にするわけにはいかないだろうが!
「プロデューサー!?」
死の恐怖に目を閉じた、その瞬間。
『チッ、どいつもこいつも弱ぇくせに群れやがって! 邪魔だ、どけ!!』
空から、怒声のような低い声が響いた。
直後――黄金色の閃光が、夜の闇を一直線に切り裂いた。
ガァァァンッ!!
何かが凄まじい速度で上空から叩きつけられ、俺たちを襲おうとしていた死蜂型を、アスファルトごと粉砕したのだ。
「……え?」
もうもうと舞い上がる土煙。
その中心で、爛々と輝く黄金の瞳が二つ、ゆっくりと持ち上がった。
四肢は鋼鉄。たてがみは燃え盛る炎のよう。
それは、圧倒的なまでの威圧感を放つ『機械仕掛けの獅子』だった。
「なんだ、これ……ロボット……?」
俺が呆然と呟くと、機械の獅子――聖獣ガオンは、チッと舌打ちをしてこちらを一瞥した。
『おい、そこのヒョロガキと歌姫。死にたくなきゃ、物陰で震えてろ。ここからは、俺の仕事だ』




