EP 2
プロデューサーの壁ドンと『心』の探求
ルナミスコーポ101号室。
西日が差し込む、わずか六畳の板間。そこには、壁際に追い詰められた美少女と、その横の壁に強く手を叩きつけた青年の姿があった。
いわゆる『壁ドン』である。
「……いいか、リーザ。よく聞け」
俺――ルランは、前世のプロデューサー時代でも出したことがないような低い声で、至近距離からリーザを睨み据えた。
「ひゃいっ……! ぷ、プロデューサー、近いです! 鼻の穴、膨らんでます!」
「うるさい、膨らんでない! お前は自分が何者か分かっているのか!? お前は世界を救った聖獣機神を呼び出し、一億人の人間が見守る帝国の空で歌った、選ばれし『歌姫』なんだぞ!」
ドンッ! と、さらにもう一度壁を叩く。安アパートの壁が「みしっ」と悲鳴を上げた。
「なのに……なんだ、あのパチンコ屋での姿は! 床を這いずり回り、店員の目を盗んで銀玉を拾い、あろうことか景品の『サバ缶』を手に入れて満面の笑みだと!? 情けなくて涙が出てくるわ! そんなのアイドルのすることじゃない、ただの『たくましい生存競争』だ!」
俺の熱弁に、リーザは長いまつ毛を伏せ、シュンと肩を落とした。
胸のポケットから身を乗り出した子猫ガオンが、追い打ちをかけるように毒を吐く。
「フン、全くだ。我のような高貴な聖獣を呼び出す器が、銀玉を足の指で拾うなど……。我がサバ缶に釣られて起動したとでも思われたら、ルチアナ様に合わせる顔がないわ」
「……違うんです」
リーザが、震える声で呟いた。
「何が違うんだ。お前にはプライドってものが――」
「プライドじゃ、お腹は膨らまないんです!……じゃなくて!」
リーザはガバッ! と顔を上げ、潤んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「プロデューサー、新曲……作りたいって言いましたよね。ガオガオンを動かすための、もっと強くて、次元の壁を壊すような『パッション』がこもった歌を」
「ああ、言ったが。それがサバ缶とどう繋がるんだ」
「今の私には、足りないんです。……この国の人たちの『日常の心』が」
リーザの声から、いつもの能天気さが消えた。
「私の歌は、海の国のお姫様としての歌でした。でも、ルナミス帝国で暮らす人たちは、みんな必死です。毎日泥にまみれて働いて、パチンコ屋の銀玉一粒に一喜一憂して、夜の安酒とサバ缶を楽しみに生きてる……。そんな人たちの『泥臭い幸せ』を知らなきゃ、本当に心に届く歌なんて歌えません!」
「…………」
「私が銀玉を拾ったのは、卑しいからじゃないんです! この街のどん底にある『必死な喜び』を、自分の体に刻み込みたかったんです!……あと、サバ缶は、ガオンさんが昨日『たまには生臭いものが食べたいニャン』って言ってたのを思い出したからで……!」
「誰がニャンだと言ったか、このタヌキ娘がぁッ!!」
真っ赤になって怒るガオンを無視して、俺は壁から手を離した。
……負けた。
こいつは、ただの天然ボケじゃない。プロデューサーである俺以上に、表現者としての「業」を背負おうとしている。
泥臭い日常を知り、それを輝き(アイドル)に変える。
そのプロセスこそが、このアナスタシア世界で「死蟲機」という絶望を打ち破る唯一の光になるのかもしれない。
「……分かった。お前の勝ちだ、リーザ」
俺は深いため息をつき、彼女の頭を乱暴にかき回した。
「パチンコ屋の件は目をつぶってやる。だが、お前がそこまで言うなら……俺も付き合ってやるよ。その『日常の心』ってやつを探しに、徹底的にな」
「本当ですか!? プロデューサー!」
「ああ。明日から早起きしろ。お前の言う『日常』を、俺がプロデューサーの視点で完璧にスケジューリングしてやる」
「はいっ! よろしくお願いします!」
リーザが満面の笑みで、サバ缶の蓋をパカッと開けた。
香ばしい魚の匂いが部屋に広がる。
「ほら、ガオンさんも。どうぞ!」
「……フン、貴様らの殊勝な心がけに免じて、毒見くらいはしてやろう」
ガオンは不機嫌そうに尻尾を振りながら、サバ缶の中身をハフハフと頬張り始めた。
こうして、俺たちの「世界救済」とは程遠い、しかし最も重要な「タダ活」の旅が、本格的に幕を開けることになった。




