閑話:子犬のワルツ
シージー視点のお話です。
自分がそこら辺の人間より“勝っている”人間だと分かっていた。
幼い頃から食べたい物を食べて、欲しい物は口に出さずとも手に入って、何かをやればトップの成績を出すのは当たり前。
何かを欲しがって泣いて暴れる子供を見れば可哀想と本気で思っていた。あんなに泣いて頼んでももらえないだなんて。
哀れだわ、親が馬鹿だと子供も大変ね。あなたも、そんな親の元に生まれるだなんて、運が悪くて可哀想。
「我々は優れている。いずれは全てを独占し、取るに足らない人間は我々に追従する。そのために血を尊く保つのを忘れてはならないよ」
お祖父様がよく言っていた。私は無邪気に頷いて、それが真理だと信じていた。
それに逆らう気も無かったの。私はずっと勝っている側だったから、強者の理論に立つのが楽だった。一歩線を踏み外してしまえば、簡単に私も爪弾きにされるというのに。
何故自分は絶対大丈夫だと信じていたのだろう。
12歳だった。二次性徴が遅れていることを、母は特に気にしていた。母はこの家に嫁いできた身だ。もし私に何か問題があれば自分が不良品を産んだと糾弾されるの恐れていた。私を心配していたのではない。
双子はこの国では吉兆とされる。龍鳳胎といい、男女の双子は特に。私たち兄妹は持て囃され、一族の光となるといわれてきた。
なのにその妹の方が欠陥を抱えていたら、私たちの名に傷が付く。ただでさえ出来の良い兄に比べ、私は遅れをとっていると認識されていた。その上万が一にでも子供を産めないとなれば終わりだ。一族の崇高な目的を達することができなくなる。そんな“負けている"欠陥品は不要だ。欠陥品を産んだ母も、私もゴミ箱行き。
母は私をどう扱えばいいか分からないようで不安定になっていった。
だから私は嘘を吐いた。
第二次性徴を迎えた、と。
本当かどうか母は確認しなかった。安心し、喜び、それだけ。しかし家の中の雰囲気がどこか和らいだのを感じた。
お祖父様も私への態度が、以前のように丸くなった。これで良かったんだ、と思った。
でも、私の体はどうなるんだろう。
このままでいいのか、何かに蝕まれているのではないか、そんな不安を誰にも相談できずに私は過ごしていた。
「シージー、どうしたの?」
「何でもないよ」
名前は忘れた。確か小さな会社の社長令嬢。
何かの事業で成功して、その一代目の娘の彼女は、あまり家格というものを知らなかったようだ。
彼女と同じようなレベルの人間は私を恐れ、あまり近付かない。物怖じせずに私に話しかけてくる彼女を、子供っぽい、まだ擦れていないと感じた。
12歳という年齢だけで見れば彼女のような振る舞いが普通なのかもしれない。けれど、私の周りはもう既に自分の身分に合う振る舞いを身に付けさせられ、大人の世界の窮屈なヒエラルキーを同じようにここでも受け入れることを求められていた。だから大体私の周りに集まる人間は私に媚び、何かおこぼれに預かろうと必死な人間ばかりだった。
そういう観点から見れば、彼女は異質だった。誰にでも分け隔てなく話しかけ、のんびり好きなように振る舞う。
それを疎ましいと思う人間もいれば、好ましいと思う人間もいたようだ。
……私は、最初どちらだったのだろう。もう思い出せない。
羽虫がうるさい程度の扱いだったのか、それともひらひら視界に舞う蝶のように微笑ましく思っていたのか。
「ねえ、シージー、暇?」
そう問いかけられたのはいつだったか。クラスの中で、私にそんな風に話しかけ、周りは凍った。あのシージーに暇かどうかなんて話しかけるなんて、と。
私はどう返したっけ。
「連れて行きたいところがあるの」
彼女はそう言って放課後私を連れ出した。
眼鏡の奥の丸い瞳を輝かせて、導いた先は小汚い家で開かれていたピアノ教室だった。その教室の先生は彼女の身内のようだった。柔らかく微笑んで特に理由も聞かずに私を受け入れた。
馬鹿馬鹿しい。一体この時間に何の意味があるんだ。
それがそのまま顔に出ていたようだ。彼女は笑って私の顔を覗き込んだ。
「シージー、元気が無かったから。ストレスを溜めているんだと思って」
ストレス?
私が?
欲しいものは何でも手に入るのに?何故?
「覚えてる?シージー、ピアノのコンテストでよく賞をとっていたでしょう。私ね、動画であなたの演奏を観てからずっとファンだったの。まさかやめたなんて思っていなかった」
ピアノ、ピアノね。あれも兄の方が才能があった。どうせ勝てないものを続ける必要は無いと父に言われて辞めたんだった。
それもそうよね。時間は有限だもの。他の分野で兄より秀でているものを探す方が優先されるべき。
いくら探しても見つからなかったけれど。
でもいいの。一族の血を確実に引いた子を産めるのは女の私だけだもの。兄が為そうとしても為せないもの、私にだけできること。
お腹が痛い。
痛い、痛い。
内臓をかき混ぜて、思い切り握り潰されたような痛みが走る。それでも私は澄ました表情を浮かべていなくてはならない。弱味を見せたら、負けてしまうから。
「聴きたいな。子犬のワルツ」
きらきら光る子供っぽい瞳に見つめられて、私は何年振りかに白黒の舞台に指先を下ろす。
そういえば、私はピアノを弾くのが好きだったな。自分の指が踊るように跳ねて音を紡ぐ。私とピアノの世界。視線は鍵盤に張り付いて、余計なものは見なくていい。
「いつでもおいで。好きに弾きに来ていいから」
お人好しの2人はそう言って、私を何の値踏みもせずに受け入れる。
馬鹿だ、愚かだと思うのに、思い切り拒絶もできなかった。
態度には出ていたはずだ。それなのに、2人ともそんな私の態度を気にしなかった。
ピアノを弾いている間だけは不安も痛みも忘れられた。
私はいつの間にかのめり込んでいった。
それが良く無かった。不安も痛みも全て忘れてはいけない、引き受けるべきものだった。常に勝つとはそういうことだ。
「発表会があるの。小規模だけどね。ピアノ教室のみんなでホールを貸し切って演奏するんだ。はい、シージーもどうぞ」
チラシを渡された。随分小さなホールだ。ピアノはきちんとメンテナンスされているのだろうか。
「シージーにも弾いて欲しいな。みんなファンだもの」
センスの無いデザインで、幼い丸い書体で印字された日付を確認する。その次の週にはお祖父様の生誕パーティが開かれるが、その日は予定が何も無かった。
特に断る理由も無かった。私は出るよ、と答えた。
その日の夜に発表会に参加すると両親に伝えた。父母は私に甘いので見にくるだろうと思っていた。同級生の誘いでどうしてもと言われて断れなくて、と言うと2人は顔を顰めて私を見た。
「ピアノはもう終わったことでしょう」
無駄なことを続けるな、と言外に突き付けられる。
お腹が、痛んだ。
いつもならそれもそうね、と受け入れられたはずなのに、そこで私は反発してしまった。
趣味で続けるくらいなら別にいいのでは、と。
2人は何も言わなかった。ただ目配せをお互いにして、その日は話が終わった。
次の日にはあのセンスの悪いチラシはゴミ箱にくしゃくしゃになって捨てられていた。
お祖父様のパーティの日程が変更されたのは、その後すぐのことだった。発表会と同じ日。
あの2人がお祖父様に何か言ったのだろうか。
私が勝ち続けるためには、ピアノは必要無いことなのだろう。
パーティには参加しないと言った。生まれて初めて怒鳴られた。癇癪を起こしたように怒り狂う両親を見て、これが勝ち続けた大人の姿か、と心底軽蔑した。
「お前、あれか、レイの影響か!」
父が思い出したようにそう言って、母が慌てて父を止めた。
レイ?何故レイが出てくるのだろう。
兄にそれとなく聞いてみると、彼は嘲笑うように言った。
「あいつ、お祖父様に直々にパーティに誘われたらしいのに、断ったらしいぜ。ものすごい神経してるよな。信じらんねー」
その話を聞いて、私はすぐにレイに連絡を取った。私もお祖父様のパーティには参加しないと。レイは私に理由を聞いて、そう、とだけ返事をした。何かを期待していたわけじゃ無いけれど、少しがっかりした。
結局私は当日まで両親に罵られながら、発表会の方に参加した。お祖父様は怒るのだろうか。
日付をわざわざ変更したのは私を試したからなのだろうか。
ギリギリと痛む腹部を押さえ付けて、何でも無い顔をして赤い緞帳の横をすり抜ける。
小規模なホールに、生徒も数人のピアノ教室だ。人数が集まるわけがない。
そう思って客席へ挨拶をするために顔を向けると、私は衝撃で目を見開いた。
花だ。
色とりどりのスタンド花で埋め尽くされている。普通、こういったものはホール外に置かれるものなのに、どうして。収まりきらなかったのだろうか。
ハッとして舞台上にも視線を走らせると、演奏の邪魔にならない程度に装花で彩られている。
客席にはまばらに人がいる程度で空席が目立つが、それよりも花に目が行く。
普通、こんな小規模の発表会で花なんて置かれないだろう。一体、どこの過保護な保護者の仕業だろうか。
動揺して客席に視線を這わせると、座っている保護者もチラチラと1人に視線を向けていることに気付く。
ど真ん中に1人で、しれっとした顔で座っている女性。
レイだ、レイがいる。
私が見ていることに気付くと、レイはニコリと微笑んで首を傾げた。
その笑顔が、会場のどの花よりも美しく、そして私の心に鮮やかな色を咲かせた。
我に返って慌ててお辞儀をし、ピアノの前へ移動し椅子に腰掛ける。
あまりに驚いて、痛みも吹っ飛んだ。
息を吸い込んで、鍵盤の上で指が舞う――
「いや、ごめん。規模間違えた」
恥ずかしそうに目を伏せ、こめかみに指を当てる。
片腕に抱えた大きな花束には、珍しいブルーの薔薇も添えられていた。
「え、何で、こんな……このためにわざわざ飛行機に乗ってここまで来たの?」
「そうだよ」
ひどくあっさりレイは頷いた。まるで今日の天気は晴れですね、という世間話でもしているかのように。
正直わけが分からなかった
「お祖父様の誕生会は断ったのに……?」
「あのジジイ、まだ毎年生誕祭なんて言って祝ってるの、はっきり言って頭おかしいでしょ。古希でも米寿でも無いくせに。また花火もあげてるの?」
レイは鼻で笑って肩をすくめた。散々な言い様だ。
「でも……私のピアノなんて……」
「何で?いい演奏だったよ。来た価値あった。ジジイのパーティよりよっぽど」
「…………」
「花火はあげられないけど、せめて思いっきり華やかにしたくて。……でもやりすぎたね」
抱えていた花束から一本、青い薔薇を選んで抜いて私へ差し出す。それを受け取って、背の高いレイを見上げた。
「素敵な演奏だった。来れてよかったよ。また開催される時に教えてね。他の子にも花、渡してあげて」
目を細めて、わずかに口の端を上げる。それだけなのに、レイから目が離せなかった。
モノトーンの服に身を包み、控えめなシルバーのアクセサリーを着けていて目立つ姿では無い。それなのに、周りのどんな色とりどりの花も全て引き立て役に見えるくらい、レイは美しかった。
しばらくドキドキして、レイのことしか考えられなかった。
みんなに配ってと言われたのに、花束を独り占めにした。
親も見に来てくれなかった。
レイ、レイだけが、私を、
でもそんなのは2時間しか効かない痛み止めみたいなもので、すぐに現実に引き戻された。
発表会が終わって数日後、あの子が学校からいなくなった。転校したらしい。
何でも取引先が全て引き上げてしまい、首が回らなくなったと。社長令嬢から転がり落ちた彼女は、今はどこに行ってしまったかも分からない。
あのピアノ教室も閉じて、物件は売りに出されていた。
すぐに分かった。お祖父様の仕業だ。
自分を侮辱されたと感じたのだろう。俺に逆らえば、こんな風にしてやるぞ、というのがありありと伝わってきた。
ズキリとした腹の痛みが、ぶり返す。
「お祖父様、この間はごめんなさい」
「何だ、そんなことか。気にしていないからもっとこっちに来なさい」
いつものように優しいお祖父様が、私を呼ぶ。
嘘だ。本当は怒り狂っているくせに。
私は微笑んでお祖父様の座っているソファの、すぐ隣に腰掛けた。
「私の誕生日プレゼントで猫をくれたでしょう?でも私はメスのダイリュートキャリコが良かったの。お兄様のは希望通りだったのに」
「ああ、そうだったのか?」
「そう。だからちょっと反抗してみたかっただけなの」
「今すぐにでも取り寄せよう。可愛い孫のためだ」
そう言って、私は頭を撫でられる。目を細めて、首を傾げた。まるでその行為をとても喜んでいるように。
「お前の友人はあの後大変だったようだな」
「…………」
「力になろうか?」
目を閉じる。
痛みは、顔に出してはいけない。
「誰のこと?私の周りに大変だった友達なんて、いないけど」
そう答えると、お祖父様は目の周りの皺を更に深めて微笑んだ。
「そうか」
満足気にそうお祖父様が答えるのが聞こえた。
その声音に、私はまだ勝者側でいれるのだとひと時の安堵を覚えて、それに何の意味があるのだろうと再び目を閉じた。




