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残光の箱庭  作者: 米田
2.5章
92/96

17

 うっすら夜明けを告げる鳥の囀りが聞こえてくる。そういえばほんの少しだけ辺りが白んできたような。こんな場所でこんな状況なのに、私ってよく眠れるな、と寝ぼけた頭で思う。

 でも今まで散々怖い目に遭ってきたので、それに比べたら狭い部屋に閉じ込められるなんてそうでも無いかも。むしろ逆に安心して寝れたような。

 ゴロリと寝返りを打って、陽の光から逃げる。もう一度眠りに落ちようとすると、何だか扉の外がガタガタと騒がしくなってきて、ガチャンと何かが床に落ちた音がして扉が開いた。


「――ホノカちゃん!」

「れ、レイさ……わっ」


 慌てて体を起こした私に、レイさんが抱き付く。その勢いでバランスを崩し、またマットに倒れてしまった。レイさんは力強く私を抱きしめた後ガバッと起き上がり、素早く、でも的確に私の顔と体をペタペタ触りながら、目視でも怪我がないか確かめていく。その慌てように、思わずされるがままになった。


「無事?!あ、髪の毛切られてる?刃物出されたの?首はその時に?」

「あ、えっと……まあ、はい。でも大したことないので……」


 アズマさんに絞められた首は、短時間だったからか痕は何も残らなかった。

 問題は噛み傷だ。噛まれた箇所はかなり痛々しい痕が付いていたので、家で消毒し大きな絆創膏を貼った。レイさんに直接見られなくて良かった。絆創膏を見ただけでこの反応だ。傷を見たらもっと大騒ぎになっていたかもしれない。

 心配そうに私の切られて乱れた髪に触れ、首と交互に眺めている。


「やれやれ、無事で良かった。さて、そろそろこれを外してくれないかい?」


 後ろからアズマさんがスッと出て来て、首輪を指差しながらレイさんに声を掛けた。

 この人がレイさんを呼びに行っていたのか。私を助けるなんて意外だ、と思ったけれど端末と引き換えに交渉して私の居場所を教えたのだろう。ちゃっかりした人だなあ。

 レイさんは一切合切全てを無視して、私の体に他に傷がないかどうか確かめ続けていた。


「他は?怪我してない?こいつに何かされたんじゃない?」

「するわけないさ。大事な人質だ」

「殺されかけました」

「ホノカ?君また余計なことを言ったね?」


 ベーッと思いっきり舌をアズマさんに向けて突き出して、私はフンッと顔を背けた。

 私の言葉を聞いた後、みるみるレイさんの目が据わっていき、表情が顔から抜け落ちた。

 そして徐に懐から何かを取り出す。シーちゃんが持っていた端末だ。レイさん、手に入れられたんだ。シーちゃんにお願いしたのかな、なんて思っているとアズマさんが狼狽え出す。


「そ、それをどうするつもりだい?レイ」

「死ね」

「待ってくれ!!」

「わーー!!待ってレイさん!!」


 私はすぐにでもボタンを押そうとするその手を押さえた。レイさんは無表情のまま、私の手を優しく、でもすごい力で剥がそうとする。


「何で?生かしておく必要ある?」

「爆発する可能性があるんだって!私たちまで巻き込まれちゃう!」

「あれ?私の命の心配はしてないんだね?」


 私の発言を受けて、レイさんは馬鹿馬鹿しいとでも言うように大袈裟に両腕を広げて頭を振った。


「ブラフでしょ。周りに被害出るようなシステムなら、首輪の意味無い」

「あ、確かに……?でも一応、離れてからでも……」

「話が違うじゃないか!約束しただろう!」

「黙れ。対等な立場なわけないだろ。弁えろよ」


 まるで道端に落ちたタバコの吸い殻でも見るような目でアズマさんを睨んだ。それもすぐに睨む価値も無いと言わんばかりに視線を外して、また私の体を触りながら傷がないか確かめ始めた。


「シージーの元へ先に帰ってください。後から行きます。彼女に手を出したらスイッチを押します。カメラを設置しているのでこちらには筒抜けです。勿論、車は置いて行ってください。徒歩でどうぞ」

「分かった分かった……」


 冷たい声音で事務的にレイさんはそう言い放つ。アズマさんは舌打ちをして大きな溜息を吐いて足音を立てて出て行った。いつも上品ぶっていたのに、舌打ちするなんて意外だ。よっぽどこの状況が腹に据えかねるのかもしれない。全部自分が悪いのに。

 アズマさんが出て行き、さっきまでの騒がしさも落ち着く。レイさんは私の足の裏まで見て他に怪我はないことを確認し、やっとホッとしたように息を吐いた。

 過保護だなと思い、でも自分が飛び出した負い目もあるので何も言えない。寝転んだまま脱がされた靴下を無言で履き直した。


「大きな怪我は無いみたいだね。髪は残念だけど……」

「まあ、洗うの大変だし短くしてもいいかなって」

「綺麗な髪なのに」

「シーちゃんと比べたら、全然」


 私がそう言うと、レイさんは首を振った。何も言わずに私の髪に触れて、指で梳く。サラサラとレイさんの指が私の髪の間を通って行き、何だかそれが昨日眺めた川みたいだなと思った。

 そしてレイさんは何かを思い出したように、梳いている途中で指を止めた。手が私から離れ、少し体が後ずさる。不思議に思いながらも、私はやっと自分の上体を起こした。

 レイさんは気まずそうに一度視線を床に這わせた後、意を決したように顔を上げる。


「……あの、謝りたくて……」

「え?」

「図書室のこと。見たんだよね?」

「あっ」


 思い出した。そういえばレイさんに対して怒ったな。

 私の記憶喪失の件はアズマさんがシーちゃんに伝えたのであって、完全にレイさんは冤罪だ。むしろ私が謝るべきだ。

 首を左右に振って私が口を開こうとすると、その唇の前に人差し指が立てられた。言おうとしていた言葉を飲み込むと、レイさんが手を引っ込めて口を開いた。


「リカコさんが言ったこと、覚えてる?ホノカちゃんの記憶喪失はトラウマ由来じゃないかって」

「……はい」

「私、正直そういう分野は疎いから、これからもしホノカちゃんがそれで苦しんだとしても寄り添えないと思って。……リカコさんにそうやって指摘されたのも悔しくて、関連する本は全部漁って読んでたんだ」

「…………」


 レイさんはそこで小さく息を吐く。首を振って唇を噛んで、そして息を吸ってから再び私をまっすぐ見つめた。


「あんなの大量に読んだところで、結局何も分からなかった。答えなんて載ってないよね。本当に知りたいことはいつも、どこにも書いてない。どうしたらホノカちゃんが楽になるのかな、って」

「レイさん……」

「裏でコソコソ、ごめん。そもそも私はホノカちゃんの苦しみについて診断出来るほど知識も経験も無いし、それを和らげられる技術も無い。それなのに、ホノカちゃんを助けたいって傲慢で踏み込んだことしてしまって……本当に、ごめんなさい」


 レイさんがそう言って、頭を下げる。

 私は驚いて首も手も横に激しく振った。どう考えても、今回は暴走して外に飛び出していった私が悪い。


「い、いやいや!私の方こそごめんなさい!レイさんが私の事情他の人にベラベラ喋るわけないし、それにその、私の頭がおかしくても一緒にいてくれるのに」

「おかしくないよ」

「…………」


 柔らかく、でも隙を与えない鋭さを含んでレイさんがそう言う。

 私はそれに心の底から安心した。今はちゃんと、レイさんの言葉を心の中に受け取れる。信じていいんだ。緊張の糸が一瞬フッと緩んで、でもまだ引き締めなくてはいけない、と深く息を吸い込んだ。


「……えっと、私のことを知りたくて調べてくれたの、嬉しかったです。私も私のこときちんと理解してないから……。ほら、愛着障害とか、初めて知れたし。……だから、謝らないで。私の方こそ、疑っちゃってごめんなさい」


 私がそう言うと、レイさんは首を振ってから微笑んだ。

 少し口角を上げただけなのにあまりにも綺麗で慈しみに溢れていて、そしてそれが私に向けられているなんて信じられなくて、見つめたまま数秒は動けなかった。

 こんな表情をシーちゃんにも向けていたのかな、と思うと何だか少しだけチクリと心が痛んだ。ふと、シーちゃんの前で私を庇わなかったり、第三者がいると訴える私に子供をあやすような態度を取るシーンを思い出した。

 あれだって何か理由があるはずだ。そう信じたい。私はそんな気持ちを誤魔化すように視線を外す。


「……埃っぽいし、もう移動しようか。立てる?」

「はい。……あの、これからどうするんですか……?」


 レイさんはスッと目を細めた。その目の奥に激しい怒りの炎が見えたような気がして、私はたじろぐ。


「シージーには自分の口から説明してもらわないと。散々ごっこ遊びに付き合ったことだし」

「…………」

「帰ろう。後のことは、車の中で話したい」


 そう言いながら、レイさんは立ちあがろうとする私の手を取った。




******




「――え、じゃあ最初から第三者がいるって思ってたってことですか?」

「うん。というか、アイツしか考えられないから。シージーにはずっと、どうやって来たのか、何のために来たのか聞いても口割らなくてさ……」

「ああ、だからあんなに最初雰囲気悪かったんですね」


 車の中で、お互いの情報を整理する。助手席の開いた窓から朝方の澄んだ空気が入って来て心地良い。何だか久しぶりに深呼吸ができるような気がした。

 アイツというのはアズマさんのことだろう。名前も呼びたくないくらい露骨に毛嫌いしているのが伝わってきて、ちょっと笑いそうになってしまった。


「アイツもやっぱりプロだからなかなか尻尾を見せないし、シージーも夜妨害してくるしでなかなか、ね。それでホノカちゃんが言ってくれたでしょ?疑うにしても探り方がある、って。それもそうだよね。こっちが頑なじゃ、相手も隙を見せない。……シージーもやり方変えて来てたし、こっちもそれに乗った振りして態度を変えたんだ」


 言った。記憶にある。でもそれは企みを暴くためではなく、単純にシーちゃんの一生懸命な気持ちを応援したくてそんなことを言ってしまっただけだ。まさかそんな風に捉えていたなんて。

 ……いや、でも私は探るなら探り方がある、拒否してばっかりじゃ相手も頑なになるって、ストレートに伝えた。あの状況でそう言われたら、言葉通りの意味にしか聞こえないだろう。

 そう考えると全部の辻褄が合う気がしてきた。レイさんはそういう作戦をとっていることを私も了承していると思ったんだ。私から提案したのだから。

 そしてすぐに思い至る。レイさんとの日常のやり取りの中での違和感を。


「……盗聴器、もしかして仕掛けられてました?」


 私が聞くと、レイさんは肩をすくめた。


「途中からね。全く、どこから調達してきたんだか。でもそれに気付いてるって思わせるわけにもいかないし。探り合いだったよ、ずっと」

「だから私が第三者いるって言っても、取り合ってくれなかったんですか?」

「そうだね。ホノカちゃんと話をしたくても、スマホに連絡入れたところでバレそうでさ。……それに、ホノカちゃん、吐いて寝込んだでしょ?シージーの当たりも強かったし、ストレスだったかなって。第三者がいるって確信したら、もっと不安にさせてしまうだろうし。会話も聞かれてるしで、根拠も無いのに安心させるようなことしか言えなかった。ごめんね」

「…………」

「ホノカちゃん?」

「は」

「は?」

「恥ずかしい…………!!」


 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!

 レイさんはこんなにいろいろ考えてくれてたのに、一人で暴走して、家を飛び出して!

 そりゃレイさんからしたら私をターゲットにして嫌がらせされてるなんて分かんないよ!私しか知らない情報だって、あったもん!それを私は、思惑にまんまと嵌って!レイさんに怒って、飛び出して!

 幼稚な自分が恥ずかしくて、顔から火が出そう!

 思わず自分の頬に両手を当てた。


「じゃあプールで話した時のやつも!」

「ああ、あそこなら声拾いづらいだろうと思ったんだけど、万が一があるから。あの時言ってた監視カメラの映像は復元出来たよ。ただ洗濯物干してる姿が映ってるだけだった。不安定なホノカちゃんが消した、ってことにしたかったんじゃ無いかな」

「シーちゃんが私が犯人だと言った時に目の前ですぐ否定しなかったのも!」

「出方を伺ってた。あからさまな否定は怪しまれると思って。でもダメだね、泳がせる場面じゃなかった。私の読みが甘かったね。……ごめん」

「…………」


 私は思わず両手で顔面を覆った。頭の中が沸騰しそうで、今すぐ車の扉を開けて外に飛び出したかった。

 思えばレイさんは私に大丈夫とか、安心するよう常に強く言っていた。子供のように扱われていると思ったけど、そうすることで私に意図を伝えたかったんじゃ無いだろうか。それも汲み取れずに私は、私は…………


「恥ずかしい……」


 口から再びポロリと漏れる。衝動的に窓を全開にして、顔面に朝の風を浴びた。髪の毛がバサバサ暴れて、視界が遮られる。

 ああ、もう過去に戻ってあの時の自分に言ってやりたい。もうちょっと冷静になって考えなよって。卑屈になって大事なことを見失うなんて、あまりにも幼いって。

 私がとんでもなく恥ずかしがっているからか、レイさんは優しい声で私を慰めるように言う。


「同じ状況だったら私も飛び出してたと思うよ」

「…………」

「……今度からハンドサインでも作ろうか。こういう場合でも意思疎通取れるように」

「そう、ですね……」


 こんなことまたあったらたまらない。今回だけで終わって欲しい。

 それでもまたレイさんを、自分を、疑いたくなるような状況になったとしたら、今日のこの恥ずかしさを思い出して堪えなくては。

 私は風に髪の毛を任せたまま、視界に流れていく伸び放題の緑の風景を眺めて、そんなことを考えた。

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