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※注意※
今回暴力シーンが描写されている箇所があります。苦手な方はご注意ください。
車でどこかに行ってしまおうかと思ったけれど、レイさんのことだから車内にも何か仕掛けていそうなのでやめた。
それなら自転車と頭に浮かんで、それも結局ナシにした。行けるところはたかが知れてるから。
ゴーストタウンを一人で彷徨って、それで気が晴れるとも思えなかった。とりあえずひたすら歩いた。
大きな川沿いの道を、水の流れをボーッと眺めながらだらだら歩を進める。草が高く生い茂っていて、川の中を覗き込めない場所もあった。
人の手が入らないと自然ってあっという間にこちらを侵食してくる。定期的に手入れしないと飲み込まれてしまうんだ。
私もそう。すぐに不信感とか不安で飲み込まれて、自分を信じられなくなってしまう。自分に大丈夫だよ、って言い聞かせないと今も力が抜けて立ってられない。
私、本当にシーちゃんが言うように夜中彷徨ってたのかな。ううん、そんなはずないのに。
だとしても、リビングに惚れ薬が置いてあった件を説明出来ない。それも私が無意識のうちに取ったというのだろうか。無理があるように思える。
ただ、この情報を知っているのは私だけなので、第三者がいると考えられるのは私しかいないんだ。
もうこうなったら私一人で見つけ出してしまおうかな。この村のどこかにいるのは確かだ。どこか誰かの家に潜んでいるに違いない。
でも、目的は何なんだろう。襲ってきたりするわけでもなく、モヤモヤする嫌がらせをずっとしているだけだ。
電気だってお湯だって、使えなくなればそれはそれは不便だけれど、でも別に致命的では無い。だって私たち、こんな世界で暮らしてるんだ。いつだって使えなくなる覚悟はしている。レイさんとも何度も話した。
レイさん、と頭の中で呟いた後、自分の心の中にどんよりとした澱のようなものが一気に広がった。
私はシーちゃんに自分が記憶を無くした事、話してない。レイさんが話したんだ。きっと、私の家庭環境だったり、トラウマだったりとかも。
話してほしくなかった。レイさんだから、私の心の中を覗いて、調べて、辿っても良いと思ったのに。
正直あの図書室を見た時、私は最初恥ずかしいと思った。私が病気を持っているように思われてるなんて。
でも、そうじゃなくて私を知りたいというレイさんなりの愛情なんだな、と理解した。だから何も言わず、今日まで受け入れていたのに。
あんまりだ。私の精神状態なんて、知られたくなかった。
何も考えたくなくて、頭をブンブンと振る。今日は絶対帰りたくない。顔も合わせたくない。落ち着くまで、一人でいたい。
もうすぐ日が暮れる。一日くらいなら、実家で過ごせばいいや。実家は農作業の関係で頻繁に出入りしているから、そこには誰もいないはずだ。何かあった時のために非常食や寝床は整えてあるし。
レイさんにもシーちゃんにも連絡を入れる気は無い。スマホは置いてきてしまったし。そう考えると、今犯人を探し出そうとするのは危ないのかもしれない。
はあ、と溜息をこぼして私は踵を返した。とりあえず、一旦実家に向かおう。
******
秋の虫の鳴き声が聞こえてくる。十五夜って、もう過ぎちゃったっけ。自分のベッドに横たわって、虫の声をBGMに歌を口ずさむ。ランタンの明かりの下で、弟の部屋から借りた漫画のページを捲る。
この空間でこうやって過ごすのも久しぶりだ。あの家にいると虫の声なんてそんなに聞こえない。鳥の囀りが少し聞こえてくるくらいだ。この家は一昔前の造りで、壁も薄いからこんなにも聞こえてくるんだろう。
何だか懐かしい。この部屋でいつ家族に扉を開けられ用事を言いつけられるのかビクビクしたり、そんな家族に捨てられた絶望と、もう扉を開けられることに怯えなくて良いんだ、という安堵感が混じってぐしゃぐしゃのまま夜を明かしたのも。もう随分前のことのように感じる。
段々、瞼が下がってくる。最近眠れなかったし、今日は特に疲れた。あの家では安心しなくてなかなか寝付けなかったのに、こんな何も無い家で無防備に寝てしまうのはどうなんだろうと今更ながらに思ってきた。1人だし、寝ない方が良いのかな。でも下がってくる瞼に抵抗出来ない。
今日に至るまで何も無かったんだから、どうせ私にも何もしてくるはずがない。目的も動機もよく分からないんだ。
それにここに来るまで一応用心して来た。正面から家に入らず、険しい道を通って帰って来て、わざわざ家の裏の石垣を登ってこっそり敷地の中に入ったんだ。慣れた人間じゃないと分からないんじゃないと思う。
うつらうつらとして、開いていた漫画が顔に落ちてきた。痛むおでこを撫でつつ、それを傍に置いて、私は再度目を閉じた。
鈴虫の高い鳴き声がだんだん遠ざかっていく。ぼんやりとしてきて、心地良くて、夢と現実の間で溶けていくような――
「みっけ」
グッと喉を締め付ける圧迫感で現実に引き戻される。何が起こったのか分からず、パニックで首元を掻き毟る。背筋がゾワゾワして肌が粟立ち、心臓がバクバクと鳴り響いて苦しい。頭の方にある血が下に降りられず、行き場を失って暴れていた。苦しい、苦しい。
急にパッと首を解放されたかと思うと、また思い切り絞められる。何度か繰り返されて、声を出したくても、恐怖で引き攣って意味のある言葉は出て来ない。そんな私の様子を見て愉快そうに笑う声が聞こえてきた。
この声、聞き覚えがある。
「探したよ、死に損ない!」
記憶から消そうとしても消えない、この声。
アズマさんだ。
アズマさんの、声だ。
月明かりで朧げに浮かび上がるその姿は、記憶の中の彼女から変わらない。ただ服装は以前とは違い、首元まで詰まったアースカラーのパーカーに、似たような暗い色のキャップを目深に被っていた。ピシッとしたシャツとスラックスの印象から打って変わって、犯罪者のような格好だ。
満足したのか私の首から完全に手を離す。
心の底から嬉しそうに、私が咳き込み嘔吐く姿を見下ろしていた。帽子の端から覗く瞳が、獰猛に鈍く光る。
彼女は私の胸の上に馬乗りになり、片手で私の両腕を捻り上げる。抜け出そうと体を捻ったけれど、ビクともしない。
私の両頬を片手で鷲掴み、顔を近付けてくる。鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、彼女の口が開いた。
「フフ、ホノカ、良い眺めだね」
「っ……」
「君、意外と肝座ってるよね。普通この状況で外に一人で逃げ出すなんて」
「…………」
「全く、いつまでも私を振り回す、可愛い可愛い子猫ちゃんだ。見つからないかと思って諦めかけたよ」
「…………」
「おや、恐怖で声も出ないのかい?」
そう言い、首を傾げる。頬を掴まれた手の力が緩められ、私は精一杯口元を歪めて笑顔を浮かべた。
「さっきから、ベラベラと。どちら様ですか?」
「……フフッ」
「や、うっ」
顔から手を離され、また首を絞められる。気道を塞ぐような絞め方では無く、首のサイドにある血管を塞ぐように思いっきり力を込められた。息は出来るのに、苦しい。喉の奥が圧迫されているように感じ、痛む。血が堰き止められているせいか、目の前がカッと燃えているみたいだ。視界が、歪む。
「君、そういう反抗的なタイプだったっけ?何かあったのかい?」
「レイ、さん、のこと、傷付けたの、許さない……」
「アハハ!勝手に君が毒薬飲んだだけじゃないか!」
「ち、がう」
「ん?」
「顔、踏んだ」
「…………」
アズマさんは驚いた表情を浮かべ、私のことを見つめる。そして興醒めだというように鼻で笑って首から手を離した。
心臓の拍動はずっと荒ぶったままだし、呼吸は乱れて整わない。恐怖で頭が真っ白に染まったままで、涙も止まらない。喉の違和感はまだ残っていて、ずっと絞められているような感覚がする。
でも、そういう姿を見て悦ぶ人だ。絶対に、恐怖に飲み込まれて全て折れてはいけない。
すぐに泣き出して縋ってしまいそうな心を、無理矢理に奮い起こす。
「まあ、いいさ。とりあえず私は君をここで殺さなきゃいけない」
「ふ、ふふ。なら、寝首を掻けばよかったのに」
「その前に一つお願いがあるからさ」
「お断りですね」
「聞かなくていいのかい?レイの安全にも関わるが」
私がぴくり、と指を動かすとアズマさんはニヤリと笑う。
「というか、そもそも考えなかったのかい?なぜ私がここにいるのか」
「……シーちゃんをここまで連れて来たから」
「正解。馬鹿でも分かる話だ」
そうだ、簡単な話だ。シーちゃんはアズマさんにレイさんの居場所を聞いたと言っていた。そもそも彼女一人で船で海を渡ってくるなんて土台無理な話だった。
「じゃあ他にも人がいるってことですか?ケイさんでしたっけ」
「ハハ、何だそっちは覚えてるのかい?……私たち二人だけさ。ケイはいない」
「どうだか」
「人数がいるならレイを無理矢理連れていけばいいだけだ。こんなまどろっこしいことは、しない」
サラリとそう言ってのける。ゾクッと背中に悪寒が走った。場所がバレるってやっぱりこういうリスクがあったんだ。他にも拠点を、と言っていたのは正解だった。今回は間に合わなかったけれど。
「何でそんなにレイさんを……」
「彼女がレイを好きだからさ」
「いやでも、だからって」
「私たち二人しか来なかったのは、レイはすんなり付いてくると思っていたからだ。ホノカは死んだと伝えていたからね」
眉を顰めてアズマさんを見る。私が本当に死んだと考えていたのかな、この人が?死ぬ場面を見ていないのに。さすがにそこまで考え無しではないだろう。
その方が面白いという理由で黙っていただけだ、きっと。
だからか、シーちゃんの初対面でのあの態度。死んだと思っていた私が生きていて、すんなり付いてくると思ったレイさんが拒否をした。私というイレギュラーに対する拒否反応だったんだ。
「そもそも、レイやシージーの一族がどんなものか、君は詳細を知らないんだろう?ただのとんでもない金持ちくらいの認識のはずだ」
「……知らないですね」
「ハハ、だろうね。レイは喋らないはずだ」
ザワッと嫌な胸騒ぎがした。レイさんを信じるって決めたはずなのに。私に意図的に話していないことがあるのだろうか。
ううん、でも理由があるはず。この人に惑わされちゃダメだ。一度殺されかけてるのだから。
私の様子を特に気にせず、アズマさんは上機嫌に話し始める。
「世界史は得意かい?」
「興味無いです。単刀直入に話してください」
「フフ、残念だねぇ。面白いのに。……まあ、端的に言うと、レイは世界的に有名な名門家系の出身なんだ。世界的有名企業は、彼女の一族が経営していることが多い。その莫大な富と影響力で、各国の政治の中枢にも食い込んでいると言われている」
「…………」
「まあ、レイはその中でも傍系なのだけれど、当主の大のお気に入りで……」
「ふ……」
「ん?」
「あはははははははは!!」
私はアズマさんに乗っかられていて大きく息を吸えないのに、お腹の底から笑ってしまった。息が満足に吸えなくて、少し苦しい。
「あはは!おっかしい!真面目な顔して、急に漫画みたいなこと言い出すんだもん!」
「……。事実なんだけどね?」
「それが何なんですか?知ってます?今もう世界って、ウイルスで滅びちゃってなーんにも機能してないんですよ?そんな立派な家柄持ってても、あっさりウイルスで死んじゃうんだから!何だ、もっと深刻な話かと思った」
「…………まあいいよ。さて、本題はシージーの方だ」
私の反応を見て、面白く無さそうにそう吐き捨てる。
シーちゃんはレイさんの家系とは縁がある、家同士の仲が良いと言っていた。つまり、同格の家柄なんだろう。だからと言って、それ以上の話があるのだろうか。今この世の中で、そんな話はどうでもいいことのように思えた。
「興味無さそうだね?そもそも、彼女がレイを好きで、連れて帰りたいのがおかしい話だと思わなかったのかい?本当に好きなら、ここで一緒に暮らせば良いじゃないか」
「それは……そうですね。そう思います」
そう、シーちゃんはレイさんのことを連れ帰ることに固執していた。自国に家族も暮らしているからなのだろうと思っていたけれど、ちょっと引っかかっていた。
命を賭けてまでレイさんに会いに来て、無事会えたからそれで嬉しいのかと思えば全くそうでは無いようだった。自分を好きになってもらって連れ帰ることがゴールであり、両思いになることが目的では無さそうに見えた。それが少し不思議だった。
アズマさんは私が興味を持った反応をしたからか、満足そうに体を起こす。
さっきから隙を見て体を動かそうとしてるけれど、一ミリたりとも動かない。自由になるのは下半身と顔だけで、それ以外は全く動かせなかった。
「知りたいかい?シージーの目的」
「まあ、はい」
「フフ……」
怪しげな手付きで、私の手を拘束しているのとは逆の手で臍の下あたりを撫で始める。とんでもなく不愉快で、私は思いっきり顔を顰めた。
アズマさんはグッと私の耳元へ顔を近付け、そして囁く。
「――連れ帰って、レイに子供を産ませたいのさ。一族復興のために」
思わず彼女の顔を見る。
外では繁殖のために番を求める虫の声が響き、夜の生温い空気が、ジトッと私の肌に絡んだ。




