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「シージーちゃーん」
大声で呼び掛けるけれど、返事は無い。そもそも、私が呼んだところで返事してくれるのかなあ。目でちゃんと見つけないと。
林や森、山の中に入られてしまったらさすがに見つけるのは厳しい。でも、シージーちゃんみたいなお嬢様な子が率先してそんなところに入らないような。大人しく帰りそうにも思えないし、案外この辺りのどこか休めそうなところにいるかもしれない。といっても、この村って座れるところ少ないんだけれど。
でも確か、バス停の横にベンチが置いてあった。村の誰かが親切心で置いた、簡易的な日除けとガーデンチェアみたいなベンチ。闇雲に探すよりいいか、と思って私はそこへ向かって走った。
ポツリ、と雫が頬に落ちる。降って来ちゃった。急がないと。少しスピードを上げて目的地を目指すと、思った通り、ベンチで俯く人影が見えた。
私に気付くと、勢い良く顔を上げ、立ち上がる。私だと分かると、期待で色づいていたはずの瞳が落胆の色に染まる。
「……レイじゃないのか……」
驚いた。日本語だ。私がポカンとした顔をしていると、フッと笑ってシージーちゃんは顔を傾げる。普段の勝ち気そうな彼女も可愛いけれど、憂いを含んだその表情も綺麗で魅力的だ。
「レイの母国語だもん。ちゃんと勉強したよ」
胸が、キュンとした。恋する女の子って、どうしてこんなに可愛いんだろう?
日本語なんて特に難しいだろうに、レイさんが好きだから勉強したんだ。努力家で一途で、一生懸命で、だからここまで1人で来れたんだ。こんなの、あまりにも可愛い!私なら、メロメロになっちゃうのに!
私が胸を押さえてよろめくその姿を、シージーちゃんは訝しげに眺める。
「で、何しに来たの?私もう戻れないよ。レイに、嫌われちゃって……」
「嫌ってなんかないよ、大丈夫だよ。別れて探してたから、私がたまたま先に見つけちゃっただけ。呼ぼうか?レイさん」
「いいよ、もう、合わせる顔ないよ。泣いてたから、目も腫れて可愛くないし……」
「可愛いよ!自分に嫌われたと思って泣いちゃう女の子、めっちゃ可愛いよ!」
私がそう力一杯否定すると、シージーちゃんは苦笑いを浮かべる。
「レイがホノカみたいに単純だったら良かったんだけどね」
「…………」
私はシージーちゃんが座るベンチの、反対側の端っこに座る。彼女は足を組んで、顔を逆側に背けた。
「あの、シージーちゃんはどうして私をそんなに嫌いなのかな……?」
「…………」
「会った瞬間から怒ってたよね?こんな世界になっちゃったから一緒に暮らしてはいるけれど、レイさんとは何も無いよ?どうしてかなって……」
溜息が聞こえる。シージーちゃんは膝に肘を乗せて頬杖をつき、かつては田んぼで、今は草が生い茂った荒れた土地を見つめながら口を開いた。
「私、後悔してた。あの時レイから離れなきゃ良かったって。家族に無理矢理連れて行かれたけど、会えなくなってからレイのことばかり考えてた。…………。それで、レイが生きてるって分かって……すごく、すごく嬉しくて……」
キュッと彼女の口元に力が入るのが見えた。
そうだよね、こんな世界だから、いつだって最後のお別れになりかねないんだ。好きな人にちゃんとさよならを言えなかったこと、離れてしまったことを彼女はずっと悔やんでいたんだろう。
だからこそ、レイさんと再会出来てとても嬉しかったはずだ。今度は間違えない、と思うくらいには。
「なのに、なのに、レイ……!私が泣いて再会を喜んでるのに、すごくあっさりしてるんだもん!『生きてたんだ、良かった』くらいのテンションなんだよ?!信じられる?!一緒に暮らそう、帰ろうって行っても、自分はここで暮らしてるから行かないって……!!」
「…………」
涙混じりのその声に、なんて返せばいいのか分からず、私は黙った。レイさん確かに淡々として冷静だし、喜んでいたとしても伝わりづらいかもしれない。
ふと、私がリカコさん達の元からここへ戻って来た時のことを思い出す。あの時はすごくニコニコしてくれて、とっても優しかったな。あれ、レイさんってクールなようで見えて結構感情表現が豊かな時もあるよね?あの時もそうだったような。
でも、シージーちゃんからしたら物足りなかったのかも。嬉しい!と言ってぴょんぴょん飛び跳ねるような喜び方はしなかっただろうし。そうだ、文化の違いもあるのかもしれない。
「レイさん、嬉しかったと思うよ。ただ、ちょっと分かりづらいだけで……」
「私の方がレイとの付き合いは長いんだから、分かったような口利かないでもらえる?」
鋭い視線で射抜かれる。
しまった、地雷だったか。確かに私とレイさんが一緒にいる時間はそんなに長くも無い。まだ一年くらいだ。シージーちゃんとレイさんの付き合いに比べたら、とっても短いだろう。
「そうだよね、ごめん」
「……それで、一緒に暮らしている人間がいるっていう話でしょ?絶対、レイが私のところへ来ない理由は、『そいつ』じゃない!私が、そこのポジションだったはずなのに!」
シージーちゃんが叫んだ。
次の瞬間、雨がザーッと降り始めた。日除はあるものの、劣化しているので隙間から雨粒が入り込んでくる。慌てて濡れないように、身を縮こませる。
「『そう』じゃないかはどうでもいい。レイの中では確実にあんたが大事なの。だから、最初からあんたが大嫌い。それだけ」
雨粒が地面や日除を思い切り叩く音が聞こえる。
シージーちゃんが私に向ける敵意の正体が分かった。でも、それは私にはどうにも出来ないことだと思った。私たちには一緒に過ごして積み重なった時間があって、今の関係を形作っている。レイさんが私と暮らしたい、大事だと思っているのは事実だ。本人にそういう風に言われているから。
レイさんの心の中まで私にはどうしようも出来無い。そう思われていること自体が気に入らないと言われてしまえば、私にはお手上げだ。それを謝ったり、否定してしまったら彼女は余計にイライラするだろう。
つまり、八方塞がりだった。
「……ねえ、ホノカはレイのことが好きなの?」
「え?」
「振られたって言ってたから」
「ああ……ううん、そういうのじゃないよ。ああいう風に言ったけれど、うーん、えっと、冗談でレイさんは私が好きなの?って聞いたらきっぱり否定されたって感じ。だから私も別にそういう感情は無いかな」
「ふーん?そう。分かった」
しばらく、沈黙が流れる。雨の音が響いて、空気が先ほどよりも冷えてきた気がした。そろそろ戻った方がいいだろう。レイさんが心配するだろうし、風邪もひいちゃう。でもこの雨の中走らせたら、シージーちゃんには辛いかな。レイさんに連絡して車で迎えに来てもらおうかな。でも場所分かるかな。普段通らないような場所だし、見つけづらいかも。私が家まで走って、車で来ればいい……
そんなことを考えていると、トン、と肩に重さが増す。驚いて横を向くと、シージーちゃんが私の肩に頭を預けて、上目遣いで私を見つめている。隙間から入ってきた雨に当たってしまったのだろうか。前髪が濡れて額に張り付いている。雨で濡れたような潤んだ黒目に、私が映る。
か、かわいい!
心臓が飛び跳ねた。こんなに近距離で急に可愛い女の子に見つめられたら、みんなこうなってしまうに違いない!
「どっどどどうしたの?!」
「ホノカ……私のこと嫌い?」
ブンブンブンと音が鳴りそうな勢いで首を振る。嫌いじゃない、むしろ一生懸命真っ直ぐレイさんを想う気持ちはとても素敵だ。それ故に私が嫌いになってしまうのも、なんとなく分かる気がした。
「家政婦って言って、ごめんね。そういうことにしたかったの。レイとホノカは、特別な関係じゃないって」
「いいよ、全然気にしてない!私ほら、家事嫌いじゃなくて率先してやってるから、そういう風に思われても仕方無いかなってちょっと思ってたし……」
「……あのね、ホノカ」
「な、何?」
躊躇いがちに伏せられたまつ毛に雫が乗る。雫を乗せたまま、私を見つめてシージーちゃんが愛らしい唇を開いた。
「協力してほしい。私、レイが本当に大好きなの。振り向かせたい。今までの態度は改めるよ。だから……」
「……協力?」
「うん。2人になれそうな時にしてくれるとか、私がお願いしたことしてくれるとか、そんな感じ」
「それくらいなら、全然」
レイさんにシージーちゃんを好きになるよう説得してくれ、とかだと困っちゃうけど、2人にするくらいならいいか。今までもそんな生活だったし。
私がそう返事をすると、パアッと彼女は顔を明るくする。そして私の手をぎゅっと握った。眩しい!可愛い!
「ありがとう、ホノカ!嬉しい、私頑張るね」
「応援してるよ、シーちゃん。レイさんにシーちゃんの魅力を存分に見せつけてやろうね!」
「……シーちゃん?」
「へへ、呼びやすいから。だめ?」
手を握り返しながらそう言うと、一瞬顔を顰めたけれど、こくりと頷いてくれた。
良かった、これでちょっとは仲良くなれたかな。
「じゃあそろそろ帰ろう。雨もすごいし、寒いし風邪ひいちゃう。私車取ってくるからここにいて……」
そこまで言いかけたところで、遠くからパッとこちらを照らされた。車のヘッドライトだ。私たちの前に車が止まり、スライドドアが自動で開く。
私とシーちゃんは顔を見合わせ、車の中へ乗り込んだ。まずレイさんへお礼を言ってから、後部座席に座る。
「――レイさん、どうして場所分かったんですか?」
「GPS」
運転席に座るレイさんが、こちらを見ずに自分の手首をトントンと指で叩く。私は自分の手首に着いているスマートウォッチを見た。そうか、忘れてた。
「動かないから、見つけたんだと思って」
「そっか、連絡入れるの忘れてました。ごめんなさい」
「いいよ」
「…………」
シーちゃんは気まずそうに車の窓の外を眺めている。私は後ろのシートに置いてある荷物の中から、タオルを取り出して彼女へ渡した。
車はゆっくりと動き出す。ワイパーが雨粒を弾くのを眺めていると、レイさんが喋り出した。
「シージー、ホノカちゃんには謝った?」
「うん……謝ったよ……」
「ならいいよ。ルールは守って」
「……うん」
ホッとした。良かった、本気で追い出そうとは思ってなかったんだ。安心したせいか、くしゃみが出る。連続で3回くらいしてしまい、ちょっと恥ずかしかった。雨に濡れたせいか、体が冷えたのかな。またシャワー浴びなおさなきゃ。
「シージーもホノカちゃんも、帰ったらすぐシャワー浴びた方がいいよ。風邪ひきそう。シャワールームもう一箇所準備するから」
「え?必要ありますか?準備面倒だし、一緒に入っちゃいますよ」
「えっ」
私は隣に座るシーちゃんへ向かって問いかける。
「いいよね?別に」
「……そうだね。レイも一緒に入る?まだでしょ?」
「…………。いや、遠慮しておく……」
「レイさん、恥ずかしがり屋だなあ」
「昔は一緒に入ってたじゃん、レイ」
「何年前の話それ……」
2人で顔を見合わせてクスクス笑った。バックミラー越しに見えたレイさんの顔は心無しか微笑んでいるように見えた。




