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残光の箱庭  作者: 米田
2.5章
78/78

4

 シージーちゃんと数日過ごして、分かったことがいくつかある。

 まず、レイさんのことがとっても大好きだ。四六時中引っ付いて腕を組んでいて、まるで恋人のよう。私の時はパーソナルスペースとか何とか言って、レイさん怒ってたのになあ。でも家族ぐるみの付き合いって言ってたし、小さな頃からレイさんにくっついてたみたいだし、これが二人にとっては普通なのかもしれない。

 とにかく、私がシージーちゃんと仲良くなる隙が全く無い。そもそも、私は彼女にとてつもなく嫌われているみたいだ。どうしてだろう。レイさんと一緒に暮らしていたから、恋敵として見られているのかもしれないとも思ったけれど、会った瞬間から敵意が剥き出しだったのは理屈が通らない気がする。彼女がこの家に住み始めてから私とレイさんが2人きりでいることなんてほぼ無いし、2人で交わす会話も義務的で別に嫉妬の対象になるようなことなんて一切無い。

 どうしてここまで嫌われちゃったんだろう。話そうにも無視されてしまうし、ちょっとお手上げだ。何か作戦を練らないと。




「――mRNAだと発現量のコントロールが鍵になる?」

「そう。多すぎると炎症が強くなるし、少なすぎると効かない」

「ふぅん、UTRとかで調整するやつね」

「そこも分かってるんだ。じゃあ質問するけど……」


 専門用語が出て来て、段々訳が分からなくなってきた。2人の話している内容は私にはさっぱりだ。無言で自分の作ったご飯をつまむ。

 シージーちゃんはよっぽど私とレイさんが喋るのが気に入らないようで、私の前では中国語でレイさんに話しかけていた。それを本格的に咎められたのか、昨日から英語で喋るようになったけれど内容は2人にしか分からないようなものばかりだ。レイさんも気にして私に話を振ろうとするのだけれど、限界がある。質問の内容も的を射ているようで、真面目な生徒を無視するわけにはいかないのだろう。そんなわけで、今日も私は2人の会話をラジオのように聞いている。

 食卓にいるのに疎外感を覚えるのって久しぶりかも。家族とご飯を食べている時も、私を置いて出掛けてきた遊園地の話をしていることとかあったな。あの時はちょっと悲しかったけれど、今は別にそうでもない。何だか状況が特殊で、あまり実感が湧いてないのかも。ただ、食事がいつもより味気なく、口に運ぶ作業のようになってしまっている。


「ごちそうさまでした。お風呂先にいただきますね」

「あ、うん」

「ねえ、レイ、今日教えてくれたさ……」


 チラリとシージーちゃんの顔を見る。清々しいほど目が合わない。黒目がちな潤んだ瞳はただひたすらレイさんを見つめている。一生懸命にレイさんに話しかけるシージーちゃんはとっても可愛い。正直応援したい。ただ、このやり方はどうなんだろう。同居人に対してリスペクトの無い接し方はルール違反だと明言していて、私を排除するようなやり方はレイさんの心が離れていってしまうんじゃないんだろうか。

 

 シャワーを浴びながらそんなことを考え、寝る前に家事を片付けたくてキッチンへ戻る。リビングの扉を開けるとシージーちゃんが1人でダイニングの椅子に掛けていた。レイさんの姿は無い。少し気まずく感じたが、チャンスだ。ここで何か仲良くなれるキッカケを掴まなきゃ。

 後ろから覗くと、何やらノートにびっしり書き込んでいた。専門用語だらけで分からない。今日レイさんとやった内容の復習だろうか。


「すごい、勉強熱心だ。こんなに一生懸命な生徒さんなら、レイさんも嬉しいだろうね」


 そう後ろから声を掛けると、驚いたように彼女が振り向く。ポニーテールが揺れて、肩から落ちた。私だと分かると、うんざりした顔をしてまた前を向く。その拍子に肘に引っかかった筆記用具がカシャンと音を立てて床へ落ちた。私が屈み、拾い上げても彼女はこちらを見向きもしない。

 勉強中だし、話しかけるタイミングが悪かったかな。これ以上は無理そうだ。


「……勉強の邪魔したくないからキッチンいるね。何かあったら呼んでね」

「あんたって」

「え?」

「あんたって、ただの家政婦なんだね。レイの対等なパートナーかと思ってたけど、違ったみたい」


 ノートから視線を上げずにシージーちゃんがそう言う。言葉には敵意すら感じなかった。ただ、私を見下しているという事実を全く隠そうとしていない。それは、かつて家族から感じたものと同じだった。


「シーツ」

「え……」

「替えといて。私、毎日清潔な部屋で寝たいから」

「…………」


 怒る場面なのかな。でも怒りが湧いてこない。何でだろう。レイさんが私を大事だと言ってくれたシーンが今まざまざと脳裏に思い浮かぶ。だから今ここで冷静に立っていられるのかもしれない。

 それよりも心配になってしまった。賢い彼女は私を見下すことを隠すのかもしれないけれど、レイさんに通用するかな。それだけは伝えないと、と思って口を開こうとすると、肩にトン、と手を置かれた。

 振り向くと、レイさんが立っていた。いつの間に戻って来たんだろう。音がしなかった。顔には表情も浮かんでいなかったけれど、私には分かる。ものすごく怒っている。しまった、今の会話を聞かれていたんだ。

 そのまま、ノートに視線をおろしている彼女の横に腕を組んで立ち、レイさんは口を開いた。


「シージー、出て行って」

「え?」

「レイさん、ちょっと……」

「言ったよね?一緒に住む相手にリスペクトを持ってって。それが出来ないなら一緒には暮らせないから。再三注意したのに、ルールを破った。もう出て行って」


 声を荒げるわけでもなく、淡々と冷静に彼女へ告げた。反論しようと口を開く彼女へ対し、それを制して首を振り、扉を指差して出て行くように促した。私が口を挟める雰囲気では無かった。

 シージーちゃんは瞬きもせずにレイさんを見つめ続け、その目にはじわじわと涙が溜まり、やがて粒となって頬を滑り落ちた。静かに涙を流すその姿に胸が痛くなってくる。声を荒げて叫ぶかと思ったのに、彼女はそんなことはしなかった。

 ただ見るもの全ての憐憫を誘うようなその泣き方を持ってしても、レイさんは1ミリも表情を変えなかった。彼女は静かに立ち上がって、部屋から出て行く。

 扉が閉まった音がして、部屋に静寂が訪れた。耳鳴りがしそうなくらい無音の部屋で、私は意を決して、唾を飲み込んでから顔を上げた。


「……れ、レイさん本当に追い出して良かったんですか?夜だし、危ないですよ……」

「こんな辺鄙で人もいないところで?野生動物に襲われるくらいじゃない?」


 冷ややかな声でレイさんがそう言う。ちょっと驚いた。だってレイさんって、クールだけど優しいイメージだったから。本当にこのままシージーちゃんを放っておくつもりだ。


「お灸を据えるつもりだったのかもしれないですけど、本当に追い出しちゃったら、その、可哀想……」


 私がそう言うと、レイさんは鼻で笑って肩をすくめた。


「あんな風に言われても怒らないんだ。優しいね」

「んん……あの、レイさんが私のために怒ってくれたのは嬉しいですよ?でも……」

「私は追い掛けないよ。そのまま出て行ってもらって構わない」

「……レイさん、シージーちゃんのこと、大切じゃないんですか?だって、小さい頃から知ってるんでしょう?あんまりですよ……。確かに一緒に生きていく上でリスペクトって大事ですけど、その、伝え方があったと思う……」


 こんなに他人に冷たいレイさんが想定外で、どうしていいのか分からない。アズマさんに対して、あの態度だったのはまだ分かる。でもシージーちゃんってレイさんの身内みたいなものじゃないのかな。どうしてこんなに冷たくなっちゃうんだろう。 

 レイさんは深く溜息を吐いて、テーブルに寄りかかり私を見つめる。久しぶりに見つめられた気がして、ちょっとドキッとした。

 そういえばあの夜から気まずいままだった。あれ以来2人っきりになることも無かったし、その雰囲気を少し引きずっているのかもしれない。

 怒るでもなく、あくまで冷静にレイさんは口を開いた。


「大切じゃないとは言わないけど、ルールを守れない人間とも一緒にいられない。分かるでしょ?リカコさんの時にもアズマの時にも、失敗してる」

「それは、そうですけど……」

「私はホノカちゃんとの生活を、もう壊したくない」

「…………」


 はっきりそう言われ、嬉しいけれど複雑な気持ちだ。私との生活のために他者を排除することも厭わないと言われているみたい。そうでは無いんだろうけれど、それくらい過激なことを言われている気がした。

 いつの間にか私はお腹の前で手を組んで、親指同士でくるくると円を描いていた。ちょっと頑なな雰囲気のレイさんに自分の意見を言うのって勇気がいる。


「……私、あの、でも、やっぱり放っておけないです……ダメ、ですか?」

「…………」

「だって、ここで何かあったら、絶対後悔する。きっと私の態度がダメだったからこうなっちゃっただけで、話せばシージーちゃんも分かってくれると思います。そう、私とシージーちゃん、全然話す機会無かったし」


 レイさんは小さく溜息を吐いて、私から顔を背けた。そのまま扉の方へ歩こうとするので、私も付いて行く。


「あのね、レイさん、私が怒らないでいられるのは、レイさんが私のこと大事にしてくれてるからですよ」

「…………」

「レイさんが私を好きって、大事って言ってくれるから、見下されても悲しくなんか無かった……わっ」


 立ち止まり、急に振り向いてレイさんが私をギュッと抱き締める。ふわっといつもの薔薇の香りがした。キツく抱き締められて、ちょっと苦しい。でも、まだ私を抱き締めてくれるんだ、と思って少しホッとした。やっぱりレイさんに抱き締められると、安心して幸せな気持ちになる。


「本っっ当に、人たらし!」

「え?」

「ごめんね!」

「え、何がですか?」

「何でもない!」

「んん?」


 レイさんは私の頭をわしゃわしゃ撫で、それからパッと体を離した。ぐちゃぐちゃになった髪の毛を、手櫛で何とか整える。


「レイさんも探しに行ってくれるんですか?」

「いや、外で煙草吸うだけ」

「じゃあ、私は林の方面探すので、逆方向をお願いします」

「………」

 

 靴を履いて、私たちは外へ出た。夜なのに少し明るい。グレーの雨雲が辺りを覆っていて、もうすぐ雨が降るかもしれない。雨で視界が悪くなる前に見つけないと。

 辺りを見回しながら、小走りで駆け出した。

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