第三章 アルマン大法官
これで良かったのだろうか。
アターリ伯領を発つ時、妻の馬車には一切に満たない赤子の娘と、三歳になるクローディス伯爵家の令嬢エレオノールが同乗していた。
母親と引き離して大丈夫なのか。と思ったが、
「奥様は余り子育てに関与されませんので」
と付き添ってきた乳母が言う。義姉の長男、つまり俺の甥であるアンリを育てたのはこの乳母の姉であるらしい。
「地元の郷士階級の娘が領主の子の世話係として呼ばれるのは良くあるのだけれど」
と妻のラシェル。乳母の家系は伯爵家よりも古い、地元の土着勢力であるらしい。何代か前には娘を嫁がせたこともあると言う。乳母の母も伯爵家の一人娘であった義姉の乳母を務めたと言うから相当に親密な関係だ。
「領内からは出るのは初めてです」
初めての王都に期待と不安が半々と言う様子だ。
街道が東の諸侯領へ向かう分かれ道との合流点に近付いた頃、行軍が止まった。
「何事だ」
と問うと、
「前方に不審な騎馬が一騎見えます」
「たかが一騎で狼狽えるな」
と一喝し、騎馬に乗り換えて前方へ向かう。
ある程度の距離に達したところで、前方へ闘気を放つ。目的は攻撃では無く、対象の確認だ。俺の闘気はこの手の索敵の方が有効だ。
「やれやれ」
知り合いの闘気の反応が返って来たので一気に距離を詰める。
「久しぶりだな、クローディス伯」
俺がどうこうしている伯爵令嬢の父親であった。
「妻から連絡を受けて駆け付けたのだが、間に合って良かった」
夫人が鳩を飛ばして領地にいる夫に連絡をしたらしい。
「所領の方が大丈夫なら、このまま王都まで同行してくれ」
娘さんもその方が喜ぶだろう。エレオノール嬢も父を見て驚いていたが、
「そっちへ行っても良い?」
と訊いて父親の騎馬に二人乗りになった。
「もう帰って来たのか」
と陛下は苦笑していた。
「こちらに仕事を残していたので」
幸いにも使える人材を途中で拾えたので少し楽になるだろう。戦友クローディス伯ケヴィンを参謀長に任じて仕事の一部を回した。
「これで一部か?」
「有事なら省略できることも、平時には疎かに出来ないのだよ」
諸侯が雇っている私兵団を国軍に編入し、有能な人材には階級を付与する。伯爵には予備役大佐、子爵には同じく予備役少佐の階級を与える。男爵には能力に応じて現役の階級を与えて適材適所で運用する。現役時代に大佐だったケヴィンには参謀長への就任と同時に少将に昇進させた。四人居た将軍の内、二人は既に退役したので、ケヴィンは三人目になる。他の二人は階級は中将だが爵位は男爵なので、軍の序列では上だが、宮中行事の際には序列が逆転する。
「もう帰って来たのか」
官僚達も大慌てである。俺が居ない間に様々な対抗策を練っていたようだが、官僚たちの供給元である法曹界の頂点に位置する大法官が非協力的な為に全く動いていなかった。
大法官とは王都にある高等法院の最高責任者である。その大法官の地位にあるアルマン・デュ・プレシーは高名な法学者であった。旧帝国時代の法大全を王国公用語に翻訳し、注釈まで付けたと言う。ルイ陛下がこれを見出して、王国の実情に合わない部分を削って、法大全には無かった商法を新たに加えた新法典の編纂を命じた。
その大法官殿が俺の仕事場に顔を出した。直接会うのは初めてだが、思ったよりも若い。俺よりも上だが、三十代半ばと言った所か。
大法官が秘書官に運ばせたものは、
「公爵閣下を名指しにした訴状だよ」
アルマン大法官は爵位を持たない平民だが、文官の頂点にあり、武官の頂点である俺と肩を並べる存在だ。彼が唯一首を垂れるのは陛下のみ。その陛下ですら大法官に対しては師礼を取っている。
「随分と多いな」
「初めの内は口頭で持ち込まれたので、訴状の形で出せと言ったらこの始末だ」
と笑う。
「大法官殿はこれを全部読まれたのかな」
「まあそれが仕事なのでね」
「これを俺の所へ持って来てどうしろと?」
と訊ねると、
「こちらでは処理しようが無くてね。一言で言えば立証不可能」
訴状の形式を取っていても、具体的な証拠は一切提示していない。讒言の類なのだから当然であるが、
「讒訴の類は刑罰の対象にすべきだな」
と漏らすと、
「それは卓見だな。今の陛下は賢明で讒言には耳を貸さないだろうが、将来的には奸臣に振り回される暗君が現れないとは限らない」
「将来の事はさておき、これをどうすべきかな」
俺は書類の束を見て訊ねた。
「お好きなように」
と笑う。
「小官がここへ来たことは既に広まっているだろうからね」
「なるほど。誣告罪か」
俺と大法官殿は揃って陛下の元へ向かって進言した。
「問題は罪科は具体的にどの程度にするかですが」
陛下が乗り気と見て押しに掛かる大法官に、
「古代の法典には、目には目を、歯には歯をとある」
と陛下。
「同害報復ですね」
法学者であるアルマンはすぐに理解した。
「これは過度な報復を諫める意図もあるが」
「つまり告発が虚偽であった場合には、告発されたものが受ける筈だった罪科をそのまま告発者に科すのが妥当と言う事ですね」
と大法官は納得するが、
「いいえ。倍にするのが妥当と考えます」
と反対意見をぶつけてみる。
「それは些か厳しすぎないか?」
「倍にするのは誣告の乱発を抑制する為。その代わりに告発が真実であった場合には報奨を与えればいい」
「では二倍を上限とすれば良いだろう。褒章に付いては、ある程度の証拠まで揃えて告発してきた場合に限定する」
と陛下が二人の意図を汲んだ妥協案を出してくる。
「まあ宜しいでしょう」
大法官が了承するなら俺がそれ以上口を挟む事もない。
「一つ追加して欲しい案件がある」
「何でしょうか?」
「大逆罪だ」
王族へ危害を加える行為を差すが、誣告もここに含めると言う考えだ。
「王族を訴えられるのは同じ王族だと思うが」
と首を傾げると、
「つまり将来的に生じるであろう王位をめぐる争いへの対策と言う事ですね」
なるほど。現状では王族は王と王妃、その二人の子供だけだが、
「他人事ではないぞ。お前の息子も継承権を持つ準王族なのだから」
確かに。現状でも継承権二位。陛下に何かあれば一気にキナ臭くなる。
さて、この場には一切発言していないがもう一人いる。王領の管理を任されているブルージュ宮中伯エドモンである。王家の家政を一手に引き受けるが、国政には一切関与しないと言う生真面目な男だ。
王家の直轄領は王国最大である。当たり前に聞こえるかもしれないが、ルイ陛下の登場以前はそうでは無かった。王国内で最大の領地を有していたのは五大侯爵家であり、王領は公爵領の半分程度であった。建国当時にはほぼ同規模であったのだが、功臣たちを伯爵に任じて領地を与えていった結果、王領は半分にまで減ったのだ。
ルイ陛下の即位により三つの公爵領は王領へ吸収、ディジョン家は領地の半分を没収された。健在なのは俺が婿入りしたオーエン侯爵家のみ。陞爵による加増は特になかったので、我が公爵領は、家臣の中では最大だが、王領と比べると四分の一に過ぎない。
拡大した王領は開拓により収益を増やしているが、その為の資金投入もあって収益が黒字化するまでに三十年から五十年は掛かると見られている。よってその間は王家は戦争を起こせない。現状の国軍も王家の直属兵は半分程度で、残りは諸侯からの派遣兵で賄っている。最大の供出元は言うまでも無く我がオーエン公爵家で、直属兵の半数を国軍に提供している。俺が国軍の最高司令官であるので現状には何ら不都合を生じていないが、俺の後任は面倒な事になる。俺がこの職を容易に退けないのはこれが理由なのである。
「ちょうど良い機会なので、かねてより提言していた軍役免除税についてのご判断を伺いたい」
諸侯は保有する領土に応じて国軍に兵を提供している。俺としては外様の諸侯には兵の代わりに金銭を出してもらって、それで兵を雇う方が良いと提言していた。
「外様に限定する理由は?」
とアルマン大法官。
「譜代の諸侯の多くは当主自らが軍務に就き、それが王家への忠誠心の証とみなしているので、金を出せば帰っても良いよ。と言うのは彼らに対して侮辱になるのです。逆に外様の諸侯の兵は士気も低いので、軍の統制上の観点からも外れてもらった方が良い」
「なるほど。では金か兵かの完全二択ですか。その中間は?」
「例えば伯爵家以上なら中隊単位、子爵家以下は小隊単位でまとめて、端数を金銭で埋めると言うのも有りですね」
「オーエン公爵家はどうされます?」
「立場的にも統制面からもすぐに全部を引き揚げる事はしないが、減らす方向で進めるつもりだ」
ルイ陛下が不満そうな表情になったのを見て、
「全部引き上げる事はしないよ。代価を捻出するのが難儀だからね」
「免除税は軍部の予算に組み込まれるのですね?」
と宮中伯エドモン。
「それは当然でしょう」
と答えたのは大法官だった。
「新規開拓地に入った退役兵は十年間免税ですからね」
彼らから税収が入るまだあと五年ある。
「ならば市民から取るしかないな」
と陛下。
「しかし課税となると参議会が了承しないでしょう」
と大法官が疑問を呈する。
「まずは参議会が有志を募って行っている市内の警備活動を軍に移管する」
「こちらの負担が増えますが」
と反論すると、
「負担が減る参議会から費用を徴収する」
「それだと金が入るのは軍と言う事に成りますが」
と宮中伯。
「ここからが本題だ。城門を通過する際に税を掛ける」
城門の警備を民兵から軍兵に代えるのはその為か。
「全員から徴収するのは無茶では?」
と大法官。
「課税の対象は荷馬車だ。具体的にはそれを引く馬だ。これなら徒歩で通過する市民や農民は対象に成らず、荷物を運んでいる商人だけを狙えるだろう」
「課税の名目は?」
「街道の維持整備費用とでも言えば整合性が取れるだろう」
大法官のキャラに迷って時間が掛かってしまいました。
初めは政敵にしようかとも思ったんですが。




