第二章 アターリ伯アンリ
俺たち夫婦がコーバス城で改築計画を練っていると、甥のアターリ伯アンリからの使者がやって来た。
現状ではコーバス領へ入る為には、アターリ伯領を通るしかない。コーバス領の裏には大きな山と深い森があるが、そこを通る道はまだ開かれていない。
「此処へ来るまでも無い。俺の方から城へ向かおう」
俺は馬に乗ってアターリ城へ駆けさせる。俺の家臣が詰めている城堡へ入ると、そこから内城へ使者を送った。
「こちらから出向くと申し上げましたのに」
使者と共に甥っ子が現れた。
「兵は拙速を尊ぶと言う。待っているよりも俺から出向く方が早いと思ってね」
久しぶりに会った甥っ子は、我が兄アンリ、彼の亡き父親そっくりに育っていた。ただし髪の毛だけは母親似の黒髪である。
「それで、俺に何の用があったのかな?」
「叔父上に稽古を付けて戴きたいのです」
十歳になったアンリは身長は俺に迫っているが、まだ線が細い。だがかすかに闘気の片鱗が見える。平民ならいざ知らず、上級貴族の子弟がこの年で闘気を身に付けているのは極めて珍しい。闘気は生命の危機に際して目覚めるモノなので、上級貴族がその様な状況に置かれることは稀なのである。例外は王族とそれに近しい貴族で、宮廷闘争などに巻き込まれた事で自衛的に発現する事がある。不幸な事例だが俺の妻ラシェルもその口だ。
「では下へ行こう」
城堡は四階層で最上層の四分の一が俺の居室で、残りの四分の三が士官たちの個室である。二・三階層は兵卒たちの兵営で、最下層は訓練所になっている。
「まずはこれを身に付けろ」
部屋から持ってきた革製の胴着である。この訓練所にも胴着はあるが、とても伯爵さまに着せられるような上等なものではない。
訓練用の木製の武器も一通り揃っているが、
「まずはこれから行こう」
俺がアンリに持たせたのは双剣。短めの剣を左右両方に持つ兵装だ。これは応用が利くので士官学校で最初に教わる武器でもある。
俺は普段使っているモノよりは若干短い剣を右手に持ち、左手に短剣を握る。短剣は腰の後ろに回して、長剣を切っ先を下にして顔の前で垂直に構える。これを目標にして打ち込ませる、武術教官が用いる構えである。
初めの何発かは全く闘気が乗っていなかったが、次第に剣に気が伝わるようになってきた。そして十発目を越えた所で、俺の剣が鈍い金属音と共に切れた。そう折れたのではない。いやそもそもどちらも木剣で刃は付いていないのである。単に闘気を込めて強化しただけではこうはならない。
「どう見た、中尉?」
俺は気配を消して控えていた部下に声を掛ける。
「え?」
存在に気が付いていなかったアンリは驚いているが、
「鋭刃化ですね」
武器に込めた闘気を刃と化す特性だ。今回の様に刃が付いていない武器でも斬撃を生じる。もし刃が付いている武器を用いたら通常の強化に加算されて威力が倍になる。
「君もそう見るか」
厄介だな。白兵戦に特化した特性で、遠戦に秀でた俺の放出とは相性が悪い。つまり距離を置いて戦うなら俺が圧倒的に有利だが、間合いを詰められたら俺に勝ち目はない。俺は剣に闘気を込めて維持するのが苦手だ。全身に秘めた闘気の絶対量なら俺の方が大きいが、瞬間的に発揮できる量となれアンリは俺と遜色のないレベルだ。そこに鋭刃化が加われば俺の武器は容易く折られるだろう。
「君の技を教えてみないか」
シャルル中尉の得意はレイピアとマンゴーシュの二刀使いである。突きに特化したレイピアから、鋭刃化による斬撃を仕掛けられたら、
「それは初見ではまず受けられませんね」
と乗り気になった。
シャルルはレイピアを模した細身の木剣を二本取って、一本をアンリに渡す。代わりにアンリが持っていた双剣の片方を受け取る。アンリは右手に長い方、左手に短い方を持つ。左利きであるシャルルはその反対。
「自分の動きを真似てください」
二人は対峙して、鏡に映った如くに動きを合わせる。
中尉が教えているのは基本的な技だけ。鋭刃化の特性があるので、使えない技や必要のない技もある。変化については本人が自ら研究・研鑽を積むしかない。
それにしても中尉の動きを正確にトレースする呑み込みの早さもさることながら、それを生真面目に繰り返す様子は亡き兄を思い起こさせる。
「武術に付いては今後も練習を続けてもらうとして、問題は既に感じているであろう闘気の制御法だな」
アンリの様な身分には稀な闘気の早期覚醒の原因は俺に有る。この城で闘気を使える兵を訓練しているので、それに触れた若き伯爵が闘気を目覚めさせることは十分に予想できたのだ。これもまあ俺が五年も王都に居続けた所為である。もっと頻繁にここを訪れていればもっと早くに対応できたであろうに。
「普通ならば闘気の制御法を学ぶ過程で特性に目覚めるのだけれど、伯は順番が逆になってしまったようだ。これを収めるのは少々荒治療になるが」
俺は両手を左右に開いて闘気を部屋いっぱいに広げる。闘気を消す特性を持っていて、更に俺の闘気に同調できる中尉は平気だが、闘気を自由に操れないアンリは身動きが取れなくなる。普段は闘気使いを拘束するために使う技だが、今回はさらに圧を強めてアンリの闘気を完全に封じ込める。闘気は生命の危機に置いて発現する。俺の闘気に抗することで闘気の制御法を体得させるためだ。
「無茶なやり方ですね」
と中尉。
「これ以外に方法が無かった。上手く行って良かったよ」
アンリは闘気を使って身を守る術を身に付けた。特性が先に発動したのは過剰防衛であって、普通の闘気で身を守れることが分かれば、闘気の暴走で周囲を傷つける事は避けられるだろう。
「今一度習った動きをやってみろ」
今度は剣にだけ鋭刃化の特性が付与されている。
「もっと鍛錬を積めば、必要な時だけ、つまり武器が相手に当たった時だけ鋭刃化を発動させる事が出来るだろう」
「それは闘気を節約する為ですか?」
「それもあるけれど、特性を敵に知られない為だな」
アンリの鋭刃化はほぼ必殺の特性で、炸裂すれば敵は確実に死ぬ。こんな特性を持っていると知れ渡れば、戦場では真っ先に狙われるだろう。
臨時特別訓練を終えて、アンリと共に天守塔へ向かう。
「当面の間、このシャルルを武術指南として傍に付けることにする」
とアンリに告げる。
指名を受けたシャルルの方は驚いてはいたが不満の声は上げなかった。一方で伯爵家の家臣団からは予想通り難色が示された。
「公爵の立場として、独立した伯爵家の家政に口出しするのは越権行為であるが」
と一定の線引きを示しつつ、
「叔父として、甥っ子の扶育に関しては口を挟ませてもらう」
城堡に駐留している俺の私兵はコーバス子爵家に属するので、上位である伯爵家の内情に手を出せない。かと言って公爵家から兵を送り込むのは無理筋である。
「如何に城内とは言え、伯爵の立場にあるものが警護も付けずに自由に動き回るのは些か問題があるな」
要するにシャルルの任務は指南役兼護衛隊長である。
伯爵家の家産官僚たちは俺の介入を嫌っている風だが、裏で不正を働いている訳では無かろう。官僚と言うのは縄張り意識は強くて、外部からの干渉を嫌う習性がある。
「もし何かやっていたらどうしますか?」
とシャルルに訊かれたが、
「そんな証拠が上がって来たら、反逆罪で首を刎ねて全財産を没収すれば収支が合う」
「ご自分の領地ではそこまでしませんでしたよね」
「これは自分の領地で無いからこそやれる事だな。余所者である俺が厳罰を与えた後で、伯爵の名前で遺族を取り立てれば家臣団の忠誠心も増して、家政も引き締まるだろう」
軍でも用いられる北風と太陽の手法である。軍の場合は下士官が北風を受け持ち、士官が太陽を演じる。公爵領では俺が北風を受け持つと、太陽役がいない。ただでさえ俺は婿養子の余所者なのだから厳しくするのも限度がある。将来的には息子にその位置を担って欲しいのだが。
アンリの母アリエノールは俺の友人でもあるクローディス伯ケヴィンと再婚し、この五年の間に一男一女を儲けている。三歳になる姉は母と同名だが北方風にエレオノールと呼称される。間もなく二歳になる弟は父方の祖父の名を貰ってジョフロワと言う。彼はクローディス伯家の跡取りとして、かつて父親も名乗っていたコーディ子爵の称号を与えられている。
義姉が再婚で産んだ子供たちにはアターリ伯家の継承権が有るので、良からぬことを考えるものが出てこないとも限らない。それを考慮してケヴィンは自分の警護を受け持つ数名の騎士のみを同行し、アターリ伯家の家政には一切口を出さない。もし余計な策動をした場合、クローディス家の方も只では済まない。万が一の為に異母弟のロベールを俺の庇護下に置いているのだ。何かあれば即座に首を挿げ替えられるように。
問題は義姉のアリエノールである。
「二人の息子はそれぞれ伯爵家を継ぐことになるけれど、娘にも何か遺してやれないかしら」
と言い出している。
「ではお嬢様をお預かりしましょうか」
とラシェルが言い出した。
「と言うと?」
「王都へ連れて行って、王女様の遊び相手に推挙したいのです。うちの娘はまだ幼いので」
王都に居れば大貴族の子弟の妻に、いや場合によっては王太子の期先の候補にもなり得る。と匂わせた。まあ現状では王妃の第一候補は俺の娘なのだろうが。
「ご迷惑でなければ」
義姉も大乗り気だった。
と言う訳で、息子を領地に残してきて、代わりに義姉の娘を王都に連れて帰る事となった。




