第三部序章 結婚式
即位一周年記念式典の後、王とブロワ侯爵令嬢ヴァネッサの婚約が発表された。
「まだ婚約なんですか。結婚では無くて?」
「結婚となるとその前に片付けることが山ほどあるんだよ」
とぼやく王。
「新たに王領直轄となったオルレアンとブロアの旧侯爵領の再編を進めているのです」
とブルージュ宮中伯エドモン。オルレアン領内の総代官であったエドモン伯は主君の即位により王領すべての代官をまとめる立場となり、新たに宮中伯に叙された。ヴァネッサを王妃に迎えることでブロワ領も彼の統轄下に入ることになる。
「オルレアンとブロワの城を改修して、それぞれに一軍を置くことにした」
現在王都にいる四人の将軍の内の二人をそこへ配置すると言う事だが、
「送るのは?」
「当然軍縮反対派の二人だ」
と即断である。
「王都が敵に攻められたら、両城から直ちに討伐軍が発進する」
「それは良いけれど、そもそも国内に敵なんかいないだろう」
「将来の話だよ」
国内における王権は建国以来最も強まったと言って良いだろう。では国外はどうか。
王国の西は大海が広がり、妖精が棲むと言われるアルビオン諸島が見える。但し、建国以来島との往来は無い。島の周りには常に霧が立ち込めていて、こちらからの航行を不能にしている。西部の民は妖精の血を受け継いでいるとも言われるが。
東はダーグン山脈を挟んで銀十字教会の総本山を戴く聖教国がある。山脈はその名前の通りかつては竜が棲んでいたと言われるが、建国の際に討伐されたという。聖教国へ行くには山脈の南端にある狭い街道を通るか、海路を行くしかない。山脈のどこかに険しいながらも軍が通過可能な峠があるらしいが、それは王国には伝わっていない。そして聖教国は多数の海洋都市国家を従えており、制海権は向こう側にある。
つまりこちらから兵を送るすべはないが、向こうにもこちらを攻めるだけの戦力は無い。聖教国の面積は王国の半分。人口は三分の一で、その制度上女性が圧倒的に少ないので急激な人口爆発が起こる可能性も皆無である。
となると問題は北と南。南はフェニックス山脈が立ち塞がる。こちらは本当にフェニックスが生息しているらしいが、竜ほどに危険ではないので放置されている。その向こう側は王国より若干広い半島があり、海峡を挟んで暗黒大陸が広がる。半島から向こうには異教徒、すなわち銀十字教会と対立する黄金の三日月教の信徒が暮らす。
幸いにと言うのか、異教徒には宗教上の中心や教会組織は無い。半島も三つから五つの王国が興亡を繰り返していて統一されたことは無い。大陸側は深い熱帯雨林が広がっていて、海岸沿いの僅かな平地に人が暮らしている。豊かな森の恵みを受けて、狩猟採集によって暮らしている温厚な民らしい。教会は彼らを啓蒙教化しようと幾度か伝道師を送り込んでいるが、悉く失敗に終わっている。
そして北である。王国の北限はモンノワール。その名の通り黒く聳え立つ巨峰だが、そこから東西に流れる二本の大河が北の国境線を形成する。南に暮らすのは信じる教えは違っても同じ種族と言えるのだが、北に住むのは言葉も通じぬ異形の種族である。教会では彼らを総称して蛮族と呼んでいる。
北の蛮族は力こそすべての弱肉強食社会で、統一国家など影も形も無いが、教会の果敢な布教活動により帰依した者たちが集落を形成しつつあると言う話も聞く。
モンノワールからは南方向へ流れる大河があり、王都のある段丘で西へ折れ曲がって大海へ注ぐ。一部が支流となって南へ流れ、辿り着くのがアターリ伯爵領になる。この大河は王都にとって北と東を守る天然の濠となっている。
オルレアンは南の支流沿いにあって馬で約四日、ブロワは西へ流れる本流の南岸に位置して同じく三日掛かる。王都を含む三都市で形成される直角三角形に囲まれた地域はすべて王領となった。
「オルレアンとブロアは今でも街道で繋がっているが、この道幅を広げ、更にそれに沿って運河を掘って流通を盛んにしたい」
完成すれば王領を囲む巨大な濠が出来る。実に壮大な計画であるが、
「途方もない大工事だな」
「工期は十年くらいかな。工事は余剰の兵員を充てる。掛った費用は運河の通行料で補填して、まあ十五年もあれば元が取れるだろう」
「一つ提案だが、この街道沿いは水源が少なくて開拓が進んでいない。そこで運河のついでに溜池を作って農業用水路を整備する。工事が終わった後はここへ入植させればいい。工期は余分に掛かるが、収益はもっと早くから出せるぞ」
「素晴らしい。直ちに計画を修正させよう」
この決断の速さこそ、俺が王として見込んだ資質だ。
義姉のアターリ女伯アリエノールはクローディス伯爵ケヴィンとの再婚を決めた。
「式は領地で挙げることにする」
伯爵領を暫定統治している貴族官僚達は異母弟支持派が多いので大幅な人事刷新が必要になるらしい。
「有能な人材には新たな職場を用意する必要もあるしね」
譜代の家臣の中には人脈に縛られて行動が制約された嫌いがある。
「取り敢えず半年は見て欲しい」
と言われ、
「困ったな。伯爵領をあまり長く開けておく訳にもいかないし」
「それなら貴方が戻るしかないですね」
とラシェル。
「式を挙げたらアターリ伯領へ向かいましょう」
「え、君も来るの?」
「いけませんか?」
「アターリの城はまだしも俺のコーバスは城と言うのも憚られる質素なものだから」
そんなことを愚痴っていても日程は粛々と進む。大司教を迎えての婚儀にはルイ陛下と王妃に内定しているヴァネッサ様も列席した。
「さて余から祝いの品がある」
と言って侍従長から言い渡されたのが、
「オーエン家を公爵に叙する」
既に五大侯爵家による王の推認システムは破綻した。オーエン家の陞爵は王を認定する側から認定される側への立場の変化を意味する。王に子が生まれるまではラシェルが王位継承権第一位と言う事になる。
「君、驚いていないね」
「ええ。内々に聞いていましたから」
オルレアン家は侯爵家の中でも最も王家に近いとされていて、ルイの曽祖父は当時に王の第二皇子で婿養子に入っていた。またヴァネッサ様の母親、つまりラシェルの母方の祖母も王女だった。
という次第で、俺たち夫婦が所領へ帰るに当たって近衛中隊千人が随行する事となった。その隊長は、
「お久しぶりですね。ラヴァリエ先輩」
アルセーヌ・ド・ラヴァリエ中佐。俺よりも二期上で、士官学校時代は可愛がってもらった。
「流石に近衛は出世が早い」
最も安全で最も早く出世できるのが近衛兵だ。但し近衛は能力よりも外見重視で、むしろ能力が高すぎると弾かれるとも言う。
「貴様、じゃない。閣下が言うと嫌味にしか聞こえませんね」
俺も近衛を志願したが身長で落とされた。その代わりに最も危険な部署へ配置され、あり得ない速度で昇進する事に成った訳だが。
「無理に敬語を使わなくても良いよ」
アルセーヌは子爵の次男。父は伯爵家の跡継ぎで、オルレアン家の譜代である。
「実家は代替わりしたんだっけ」
「ああ。祖父が隠居して親父が伯爵、兄貴が玉突き人事で子爵になったよ。兄貴には既に跡継ぎが居るから、俺の出番は無いけれど」
だからこそ彼は軍人の道を選んだ。
「先の内乱では役に立たなくて申し訳なかった」
彼は当時少佐で、あのシャルル殿下付きだった。オルレアン侯爵が挙兵して王都に迫っているとなれば、その譜代は警戒されるのが当然だ。
「殿下が俺を信じて任せてくれれば、死なずに済んだのにねえ」
シャルルが王都を遁走した時、王都に五千居た近衛でシャルルが引き連れたのはわずかに二百。彼らはシャルルに殉じて討死した。新王は彼らを反逆者として扱わず、二階級特進の上で遺族に恩給を与えた。アルセーヌは置き去りにされた近衛から千八百を集めて南門を開いてルイを出迎えた。この帰参組はもれなく昇進を果たしたが、どちらにも付かなかった残りの三千は役立たずとして軍籍を剥奪された。新王はオルレアンから率いてきた兵から近衛を充填して三千まで戻したが、そこから千を俺に付けて寄越した事になる。元からの近衛が八百で、二百は新採用である。
お飾りの近衛兵だけでは戦力として心許ないと思ったら、
「それなら実家から五百ほど兵を回してもらいます」
とラシェル。
「取り敢えず手許にいる五十だけ」
と言って加わったのがアンニバーレが率いていた傭兵の残り五十名。率いているのはもう一人の副長だった。フィリップと言う名前に反して馬は苦手ならしい。
「残りの四百五十は道中で合流する手筈です」
前衛に新参近衛二百と傭兵五十、これを指揮するのはアンニバーレだ。そして馬車が二台。一台は伯爵領から乗ってきたモノで、甥の伯爵とお付きの子供たちが乗る。往路で一緒だった義姉が居ないので、ラシェルの侍女に世話役を任せた。もう一台はオーエン家のモノでこちらには俺とラシェルが乗る。来るときに乗ってきた馬は馬車の隣を歩かせる。そして後衛の近衛八百はフィリップが統轄する。こちらは戦闘経験が少ないので、戦力的には前衛の二百五十の方が上だろう。
アターリ伯爵領に入る手前で行軍が止まった。
「ちょっと様子を見てくるよ」
俺は馬に乗り換えて先頭へ向かう。
「何事だ?」
「合流予定だったオーエン家からの兵が前を塞いでいるようです」
とアンニバーレが報告してくる。
「面倒な事に成ったな」
俺は馬をアンニバーレに預けて徒歩で敵方に近づく。
「貴様らはここで何をしている?」
「我々はオーエン家の兵だ」
それで判るだろうと言う口ぶりだ。
「近衛兵の行軍を遮ると言う事は国家反逆罪に等しいと言う事を理解しているのかと聞いている」
俺は少しだけ闘気を放出して威嚇した。
「我々は公爵様に合流せよとの命を受けて、ここでお待ちしていたのです」
「それが天下の公道を塞ぐ理由になるのか?」
「今、指揮官を呼んで来ますので」
「呼んで来るだと。主君を待つに当たって、何故指揮官が最前線に居ない」
後方に居た指揮官が騎乗のまま俺の前に現れた。しかも馬を走らせるでもなくゆっくりとだ。
俺は闘気を馬に当てた。馬は恐怖で棹立ちになって騎乗者を振り落とす。
受け身も取れずに無様に地面に叩きつけられた男の頭を踏みつけて、
「全員頭が高い。剣を腰から外して跪け」
と怒声を浴びせる。
兵たちが膝を付いたのを確認して足を外す。
「オーエン公子アルチュールだ」
と名乗っておいて、
「貴様は誰だ?」
と指揮官の名を問う。
「サガーエン伯爵の長子、ウェダ子爵ベルナール」
オーエン家の継承権を持つ分家のドラ息子だ。
「俺は何故ここにいる?」
「は?」
「本来ならお前の方から俺の所へ出向いて来るべきではないか。何故俺がお前の所まで来なければならないのだ?」
「申し訳ありません」
絞り出すような声だ。
「この部隊の副長は誰だ?」
「ジュスタン・ド・ミュラであります」
ベルナールの後を追ってきて、すぐに下馬した男だ。特殊な形状の斧槍を携えている。これを扱えるのはミュラ家の一族郎党だけだが、
「伯爵家の血縁か?」
「本家の三男です」
思ったよりも大物が来たと思ったが、ミュラ家はオーエン家の譜代なので別に不思議でもない。このジュスタン卿は一門でも屈指の使い手で、本来なら彼が派遣軍を率いるはずだったらしい。
「では今後は君がこの部隊を率いるように」
と指示を出して、
「アンニバーレ。この男の甲冑を剥いで、縄で縛って置け」
「待って下さい。彼は」
ジュスタンはベルナールをかばおうとするが、
「罪人だ。叛逆罪までは問えないとしても、不敬罪は免れん。もしこの場に陛下がいらっしゃったら、俺は即座に首を刎ねていたところだ」
俺はいつでも抜けるように鯉口を切った状態にしていた剣を鞘に納めて左手を鞘から離す。納刀の音に威嚇を込めて。
「道を開けろ」
と一喝すると、兵が立ち上がって左右へ分かれた。
「前進」
と部隊に号令を掛けて、
「貴様らには最後尾を任せる」
とオーエン兵に指示を与えた。




