第六話
不意の攻撃に身体が固まった。
その隙を見たのか、兎が大きく俺へ跳びかかってくる。鋭い角が目前に迫り、思わず身をかがめようとした。
だが、それより早く、横から伸びた手が兎を叩き落とす。
「木に背中を付けて!」
緊張感のある言葉に俺は言われるがままに、背中を大木へとつけた。直径1メートルはあろう木は後ろからの攻撃を守る壁となる。
その安心感からか、俺は冷静に腰のナイフを抜くと前に向けた。
「こんな街道の近くに出るなんて」
キマラはそう吐き捨てると、再び勢いをつけてきた兎に向かってナイフを構える。
「あっ、危ない!」
その時、不意をついたかのように彼女の左側から、もう一匹の兎が飛び出してくる。
彼女は一瞬視線を移すと、いとも簡単にその突進を避けた。
まるで熟練のボクサーのように。
「す、凄い。あれが冒険者」
「気を抜かないで! 避けて!」
彼女の掛け声と同時に、最初に飛び込んできた兎が俺に向かって駆けてくる。そして、それが跳んだと同時に、俺は右へと避けた。
だが、俺の反応速度はキマラの半分もない。鋭い角は俺の顔ぎりぎりを通り過ぎ、大木へと突き刺さった。
懸命に角を抜こうと後ろ脚で木を蹴る兎。刺さりどころが悪かったのか、抜けずにもがいていた。
「何やってるの! 早く刺すのよ!」
ぼうっと見ていた俺に向かって怒鳴るキマラ。彼女の怒声にナイフを振り上げると、俺は兎の横っ腹へと突き刺した。
一回では死なない。直感的にそう思った俺は、自然と何度も何度もナイフで突いていた。
「大丈夫よ。もう死んでるわ……ごめんね、街道の近くには滅多に出ないんだけど」
彼女は申し訳なさそうに俺の肩に手をやると、もう片方の手でナイフを振り上げた俺の手を止める。
その手が自分でもわかるほど、小刻みに震えていた。
そして、我に返った俺は、彼女の顔を見上げる。
「お、俺……」
「怪我はない?」
心配そうに覗き込む彼女の言葉に、自分の腕や脚を確認する。
特に痛い箇所も無い。それに安堵した俺は、いつの間にか弓を手にしている彼女に気がついた。
地面にはいつの間にか増えていた兎に矢が刺さり、転がっている。そのキズ跡はあの速度で走ってくる獲物を、正面から射貫いたことを表していた。
「す、凄い」
「そんな、凄くないわよ。えへへ、まあ、D級冒険者ともなればこのくらい当たり前よね」
褒められたことがよほど嬉しかったのだろうか。彼女は少し照れたように頬を染めるとそう言った。
「チャージラビットは角を持って行くと報酬をもらえるのよ。肉も少ないけど美味しいの」
彼女はサクサクと角と肉をはぎ取っていく。俺は木に刺さった兎を抜いてみるが、力いっぱい引っ張っても全然びくともしなかった。
角が相当深く刺さってしまったのだろう。
「その角は諦めるしか無いわね。肉だけもっていきましょうか」
彼女はそう言うとそのまま腹を切り裂き、ダメージの少ない部分の肉を切り取った。最初の猪の時もそうだったが、どうやらモンスターは完全に死ぬと血を流さないらしい。
採取した肉は、そのまま布に包んでも血がにじむことはなかった。
「さて、休憩にしましょ」
「そ、そうだな」
俺は少し興奮していたのだろう。彼女が木陰で休んでいる間も、ちょっとした物音も気になってしまう。
おかげで心も身体も休まらなかった。
「ナイフの使い方だけでも覚えないと」
俺はそう思い、腰のナイフを手に取ってみる。
「いいわよ、私が守ってあげ……でも、やっぱり自分で少しは守れたほうがいいわよね。いいわ、後で時間がある時に教えてあげる」
「うん、よろしくな」
俺のその言葉にキマラは「じゃ、もう行くわよ」と上機嫌に返事をすると、荷物を手にして歩き出した。
☆
街道沿いとはいえ、歩いている人とすれ違うのはまばらだった。そもそも旅をする人が少ないのだろう。
「オラオラ、邪魔だ! どけ!」
後ろから馬車が二台くると、そんな怒鳴り声とともに迫ってくる。俺が思わず振り返ろうとすると、キマラが俺の首に手をかけ、ぐいっと力強く自分の方へと引き寄せた。
や、柔らかい。
革の胸当てをしてても、その胸の弾力は十分腕に伝わってきた。それと密着したキマラのいい匂いに、一瞬にして顔が火照り熱くなる。
だが、そんな幸福をかき消すように、さっきまでいた場所を減速もせずに馬車が通り過ぎた。
「おら、亜人がちんたら歩いてるんじゃねえよ」
後ろからきた馬車の男が、俺たちに向かって叫ぶ。外套のフードを深く被っているので、俺を人間だとは思われていないのだろう。
彼らは大きな砂埃を巻き上げて去っていった。
「ヒロ、大丈夫?」
「うん。それよりあの言いぐさはなんだ!」
怒りを露わにする俺を見て、キマラは少し驚いた表情をする。そして、俺をその腕の中から解放すると服に付いた砂埃を払いながら言った。
「亜人に対する扱いなんてあんなもんよ」
「それにしても……」
口答えしようとした俺の唇を、彼女は人差し指で止める。
「大丈夫、ヒロが怒ってくれるだけで嬉しいわ。さあ、行きましょ。早くいかないと野宿になっちゃうわ」
「う、うん」
いまいち納得いかなかったが、彼女の向ける柔らかい表情を見た俺は何も言えなかった。
☆
そのまま歩き続けると、前方に小さく見えていた山がだいぶ大きくなる。そして、視界に入りきらなくなったころだった。
俺たちが街道沿いにかかる橋の下で、水を補給していると一台の馬車が止まった。
「な、なんだ?」
俺はさっきのこともあって、何か言われるのかと御者の方を見る。いかにも中年太りの男がこちらを見つめると、重そうな体でゆっくりと馬車から降りてきた。
それに俺が腰のナイフに手をやると、キマラは言った。
「大丈夫よ」
「知ってる人?」
「そうね。知ってるわ」
彼がこっちに向かって手を振ると、キマラも同じように振り返す。そして、それに合わせるように荷台から人が降りてきた。




