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善人が裁かれる日 ~人を救えば死刑、悪人ほど生き残る世界~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第4話 最大級の警備

十二月二日、午前八時四十分。


九条ホールディングス本社ビルの正面玄関には、朝から報道陣が詰めかけていた。


地上四十八階。都心のオフィス街にそびえるガラス張りの高層ビルは、普段なら出勤する社員たちで賑わう時間だった。しかし、今日は玄関前に警備員が並び、建物へ入ろうとする人間を厳しく確認している。


「九条会長は現在、どちらにいらっしゃるんですか!」


「メーターが0になったという情報は事実ですか!」


「DoAによる処刑について、どのような対策を取っているのでしょうか!」


記者たちの質問が飛び交う中、広報担当者は険しい表情で頭を下げた。


「現在、確認できる情報はございません。正式な発表をお待ちください」


その回答に納得する者はいなかった。


無理もない。


九条ホールディングス会長、九条重光。六十八歳。


国内有数の企業グループを率いる実業家が、善悪逆転システムによって犯罪者と認定されたのだ。


しかも、その原因は犯罪ではなかった。


医療機関への支援だった。


九条は以前から複数の病院に資金を提供していた。善悪逆転システムが出現してからも、医療従事者の減点を恐れた離職や診療体制の混乱が広がる中、病院の運営を支えるために支援を続けた。


その行動が善行と判定され、彼のメーターは0に到達した。


病院を守ろうとした男が、犯罪者になったのである。


本社ビルの最上階では、その九条が大きな窓の前に立っていた。


眼下には、朝の東京が広がっている。


道路を走る車も、駅へ向かう人々も、昨日までと変わらないように見えた。


しかし、九条の視界には、その日常とは相容れない数字が浮かんでいた。


《0》


「……馬鹿げている」


低い声が、静かな執務室に響いた。


九条は机の上に置かれた資料を見つめた。


病院への支援記録。医療機関から届いた報告書。そして、善悪逆転システムに関する各国の調査情報。


どれだけ読み返しても、納得できる説明は見つからなかった。


人を助ければ減点される。


悪事を働けば加点される。


メーターが0になれば犯罪者として認定され、二十四時間以内に回復できなければ処刑される。


昨日までの常識を、何もかも否定する仕組みだった。


「会長、警備体制の最終確認が終わりました」


扉の向こうから声がした。


「入れ」


黒いスーツを着た警備責任者が入室し、九条の前で足を止めた。


「本社ビルの警備員は、予定どおり百名を配置しました。正面玄関、地下駐車場、各階の出入口を警戒しています。最上階へ通じる経路についても、許可のない者は通れません」


「屋上は?」


「確認済みです。外部からの侵入にも備えています」


九条は頷いた。


「監視カメラはどうだ」


「すべて稼働しています。異常があれば、直ちに報告が入る体制です」


「よろしい」


九条は椅子へ腰を下ろした。


机の上には、世界で最初に犯罪者認定された消防士の記事が表示されている。


昨日、火災現場で大勢の人間を救った消防士が、メーター0となった。


その後、システムは二十四時間以内の回復を要求し、期限を過ぎればDoAが処刑を実施すると告げた。


しかし、DoAの正体は依然として不明だった。


人間なのか。


機械なのか。


そもそも、実在する存在なのかさえ分からない。


「会長、本当にこのまま待機なさるおつもりですか?」


警備責任者が尋ねた。


「ほかに何をしろと言う?」


「政府も調査を進めています。安全な場所へ移動するという選択も……」


「ここ以上に安全な場所があるのか?」


九条は窓の外を指さした。


「この建物には最新の警備設備がある。百人の警備員も配置した。それでも危険だと言うなら、どこへ逃げても同じだろう」


警備責任者は返事に詰まった。


九条は再び資料へ目を向けた。


「私は六十八年間、生きてきた。会社を大きくするために、何度も難しい判断をしてきたつもりだ」


その声には、怒りよりも困惑が滲んでいた。


「だが、今回ばかりは理解できん。病院を支援したことが、なぜ処刑される理由になる?」


「……分かりません」


「私にも分からん」


九条は深く息を吐いた。


「病院が困っていると聞いた。だから金を出した。それだけのことだ」


警備責任者は黙っていた。


「もちろん、私は聖人君子ではない。会社を経営していれば、誰かに恨まれることもある。だが、今回の支援は必要だと思ったから行った。それが犯罪だと言われても、納得できるものではない」


九条は自分のメーターを見上げた。


《0》


数字は変わらない。


昨日まで、九条にとって数字とは利益や損失を示すものだった。


売上高、株価、資産、従業員数。


どれも努力や判断によって変えることができた。


しかし、今目の前にある数字だけは違う。


金を積んでも、命令しても、思いどおりにはならなかった。


「……人間は、数字一つで死ななければならんのか」


九条の呟きに、警備責任者は何も答えられなかった。


同じ頃。


井出勇気は、会社の休憩スペースでニュースを見ていた。


画面には九条ホールディングス本社ビルが映し出され、建物の周囲を取り囲む報道陣の姿が確認できる。


『九条重光会長は現在、メーター残高0の状態にあり、本社最上階で待機しているとみられます』


「すごい警備ですね……」


隣にいた白石奈々が呟いた。


テレビには、ビルの出入口を警戒する警備員たちが映っていた。


『九条ホールディングスは、会長の安全確保のため、百名規模の警備体制を敷いているということです』


勇気は画面を見つめた。


「百人もいるのか」


「それだけ怖いってことですよね」


「……そうだろうね」


奈々は自分の視界を確認するように目を動かした。


「九条会長って、病院を助けたんですよね?」


「ニュースではそう言ってる」


「だったら、どうしてこんなことに……」


勇気は答えられなかった。


今朝、会社へ向かう途中でも、同じ疑問を何度も考えていた。


誰かを助けることが減点される。


その仕組み自体は、もう疑いようがない。


しかし、だからといって善い行いをした人間が処刑されることまで受け入れられるわけではなかった。


「井出さん」


奈々が静かに言った。


「もし、あの警備員さんたちが九条会長を守れたら、少しは安心できますよね」


勇気は頷いた。


「そうだね。何か対抗する方法があるって分かれば……」


そこまで言って、勇気は口を閉じた。


自分たちは、何に対抗しようとしているのだろう。


DoAという名前だけが分かっている。


姿も能力も、どこから現れるのかも不明だ。


それなのに、九条は百人もの警備員を集めている。


「……本当に守れるのかな」


勇気が呟くと、奈々はテレビへ視線を戻した。


その表情には、期待と不安が入り混じっていた。


午後になると、九条ホールディングスの警備体制はさらに注目を集めていた。


本社ビルの周囲には報道陣だけでなく、一般市民も集まり始めている。


ある者は九条の無事を願い、ある者はDoAの正体を確かめようとしていた。


SNSでは、さまざまな意見が飛び交っていた。


《百人も警備員がいれば大丈夫だろ》


《相手が何なのか分からないのに、どうやって守るんだ?》


《九条会長が助かれば、ほかの人も救えるかもしれない》


《そもそも処刑なんて本当に起こるのか?》


誰も確かな答えを持っていなかった。


九条の警備が成功するかどうかは、世界中の人々にとって重要な意味を持ち始めていた。


もしDoAが現れなければ、システムの警告は脅しにすぎないのかもしれない。


もし警備員たちが処刑を阻止できれば、人間の力で対抗する方法があると証明できる。


しかし、そのどちらでもなかった場合。


勇気は、その先を考えたくなかった。


九条ホールディングス本社ビル、最上階。


夕方が近づくにつれ、九条の執務室には緊張が漂い始めていた。


警備責任者は何度も無線で各所の状況を確認し、監視室から送られてくる映像を確認している。


「異常はありません」


「地下駐車場、問題なし」


「屋上、異常なし」


次々と報告が入る。


九条は窓際に立ち、沈み始めた太陽を見つめていた。


西の空が赤く染まり、高層ビルの影が街へ長く伸びている。


その景色を見ながら、九条は静かに口を開いた。


「君は、私を守れると思うかね」


警備責任者は一瞬、言葉に詰まった。


「……全力を尽くします」


「そうか」


九条は小さく笑った。


「正直でよろしい」


必ず守れるとは言わなかった。


九条も、それを責めるつもりはなかった。


相手の正体すら分からないのだから、当然のことだった。


「一つだけ、頼みがある」


「何でしょうか」


「もし私に何かあっても、警備員たちに無理をさせるな」


警備責任者が顔を上げた。


「会長……」


「君たちまで命を落とす必要はない。私一人の問題だ」


「しかし、我々は会長をお守りするために……」


「分かっている。だからこそ言っているんだ」


九条は窓の外へ視線を戻した。


「私は、誰かを守ろうとしてこんなことになった。だからといって、今度は私を守るために誰かが犠牲になるのは望まん」


警備責任者は何も言えなかった。


その言葉が善行と判定されるのかどうか、九条には分からなかった。


ただ、メーターはすでに0だった。


それ以上、減ることもない。


やがて、警備責任者の無線から報告が入った。


『各配置、異常ありません』


九条は静かに頷いた。


百人の警備員。


厳重に管理された出入口。


建物中に設置された監視カメラ。


九条ホールディングスが用意できる限りの警備体制だった。


それでも、九条の視界には変わらない数字が浮かんでいる。


《0》


その下に、残された時間が表示されていた。


九条は腕時計を確認した。


そして、誰に聞かせるでもなく呟いた。


「……さて、本当に来るのかね」


窓の外では、街の明かりが一つずつ灯り始めていた。


本社ビルを取り囲む報道陣は、まだ誰一人として帰ろうとしない。


世界中の人々が、九条重光の運命を見守っていた。


百人の警備員に守られた男を、正体不明の執行者は本当に処刑できるのか。


その答えが明らかになるまで、もう長い時間は残されていなかった。

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