メイド
また、夢を見た。
◇
「…………」
そこにいたのは、また幼いエラーラだった。
見覚えのある庭。
そして――。
「トニックおじいちゃん!」
やはり、そこにはトニック・ウィクスがいた。
けれど、今回は少し様子が違う。
(……多い)
周囲には、何人もの従者がいた。
屋敷の中を行き交う人々。
料理を運ぶ者。庭を手入れする者。
幼いエラーラの後ろには、何人もの人間が控えている。
(今では一人しか残っていないのに……)
もし今の屋敷をトニックが見たら、どう思うのだろう。
そんなことを考えていると――。
「……あれは?」
トニックの隣に、一人の女の子が立っていた。
年齢は、幼いエラーラとそう変わらない。
けれど。
服は薄汚れていて、髪も整えられていない。
どこか怯えたように俯いている。
そして、トニックと手を繋いでいた。
「エラーラ」
トニックが優しく笑う。
「今日から、この子が君の召使だ」
「えー!」
幼いエラーラが驚いた顔をする。
「この子、子供じゃない!」
そして、女の子をじっと見つめる。
「しかも……なんか、くちゃい」
鼻をつまむ。
「ハハハハ!」
トニックが豪快に笑った。
「なら、一緒にお風呂でも入ってやりなさい」
「え?」
「これはエラーラにしかできないことだよ」
「えー……」
幼いエラーラは少し考える。
そして。
「まぁ、トニックおじいちゃんがそこまで言うなら仕方ないわ!」
女の子の手を掴む。
「ほら!」
「えっ……」
「一緒に行くわよ!」
幼いエラーラが女の子を引っ張っていく。
「…………」
その光景を見ながら、私は思った。
(ああ……)
(なんて幼いエラーラ、可愛いんだろう……)
思わず頬が緩む。
だが。
(……いや、待って)
(それより――)
私は女の子を見る。
(この子……)
何か、見覚えがある。
顔。
声。
そして――。
「……まさか」
そう思った瞬間。
景色が歪んだ。
ザザザザザ――。
「――ハッ!」
私は勢いよくベッドから起き上がった。
「……はぁ……はぁ……」
息を整える。
夢。また夢だった。エラーラが私に過去を見せている?
「エラーラ様!」
声が聞こえた。
「お目覚めになられましたか?」
顔を上げる。
そこにいたのは――。
ウィクス家にただ一人残されたメイドだった。
「……あなた」
「はい?」
私は彼女の顔をじっと見る。夢の中の女の子。
そして、目の前のメイド。
少しずつ記憶が繋がっていく。
「……昔」
「はい?」
「一緒にお風呂に入ったこと……あったわね」
「…………!」
メイドの目が大きく開く。
「は、はい!」
嬉しそうに顔を輝かせた。
「まさか……エラーラ様が覚えていらっしゃるとは!」
「……やっぱり」
私は小さく呟いた。
(この人……)
(トニックおじい様が連れてきた、あの女の子だ)
夢で見た光景が、ただの夢ではなかった。
元のエラーラの記憶。
また一つ、それが証明された。
そして――。
(なら、この人は……)
私はメイドを見る。
(この屋敷のことを、誰よりも知っているんじゃない?)
トニックがいた頃のウィクス家。アルゴーが当主になってからのウィクス家。
そして。
使用人が一人、また一人といなくなっていった過程。
(情報よ)
今の私に必要なのは、とにかく情報だ。
三日しかない。ヤーショルとの約束までに、何か手を考えなければならない。
「あなた」
「はい!」
「どうして……今もこの屋敷に仕えているの?」
私は問いかける。
「他の使用人たちは、もういないのでしょう?」
「……」
「おそらく、借金のせいで給金を払えなくなって、雇えなくなったのだと思うけれど」
メイドは少し考えた。
そして――。
「……私に興味を持ってくださっているのですか?」
「…………」
目を輝かせる。
「感激です!」
(……)
(どれだけ元のエラーラ、他人に興味なかったのよ)
私は心の中で頭を抱えた。
「と、とにかく」
私は咳払いをする。
「今は色々と知りたいの」
「はい」
「あなたがどういう経緯で、この屋敷に仕えることになったのか」
そして。
「なぜ今も、このウィクス家に残っているのか」
私はメイドを真っ直ぐ見つめた。
「知っていることを、全部話してちょうだい」
「……かしこまりました」
メイドは少しだけ笑った。
「それでは――私がこの屋敷に初めて来た日のことから、お話ししますね」
私は椅子に座り直す。
あと三日。
そして今度は――。
私の知らないウィクス家の過去を知る番だった。
なんでもいいから情報が欲しかった。
メイドは、ゆっくりと話し始めた。
「私は……生まれたときから、スラム街で暮らしていました」
「……」
「両親の顔は知りません。私を育ててくれた人もいませんでした」
淡々とした口調だった。
けれど。その言葉の一つ一つが、重かった。
「スラムには、私と同じような子供がたくさんいました」
「親のいない子供」
「食べるものがない子供」
「今日を生きるだけで精一杯の子供」
メイドは少しだけ視線を落とす。
「私たちは、いつも思っていました」
「このままじゃ……飢えて死ぬ」
「だから、私は働こうと思ったんです」
「子供でも雇ってくれるところを探しました」
けれど。
「当然、簡単には見つかりませんでした」
「見つかったとしても、もらえるお金はほんの少し」
「一日働いても、明日を生きるだけで精一杯でした」
「…………」
私は黙って聞いていた。
「そこで、私は考えたんです」
「どうすれば、一度にたくさんのお金を手に入れられるのか」
メイドは苦笑した。
「……今思えば、とんでもない考えですよね」
「でも、子供の私には、それしか思いつきませんでした」
「そして――」
少しだけ間を置いて。
「私は、盗みを始めました」
「…………」
「お金を持っていそうな人を見つけて、その人の財布を盗む」
「時には、物を盗むこともありました」
「見つかりそうになれば、必死に誤魔化しました」
メイドは自嘲するように笑った。
「不思議なんです」
「私には、そういう才能があったみたいで」
「人の懐に入り込むことも」
「嘘をつくことも」
「逃げることも」
「全部、上手くできました」
(……)
私は思った。
(それ、才能って言っていいのかしら……)
けれど。笑う気にはなれなかった。
それは、この子が生きるために身につけたものなのだから。
「そうやって、なんとかお金を稼いでいました」
「そしてある日の時」
「いつものように、スラム街を出ました」
メイドは、昔を思い出すように語り始めた。
「街でお金を持っていそうな老人を見つけたんです」
「……」
「いつものように、財布を盗みました」
私は何とも言えない顔になる。
「ところが――」
メイドの表情が少し曇った。
「どうやら、その日は……私のことを見ている人がいたみたいで」
「……見ている人?」
「はい」
気づいたときには、周囲の大人たちが私を指差していたという。
「泥棒女だ!」
「またあいつだ!」
「捕まえろ!」
「……!」
私は必死に逃げた。いつもなら、なんとか逃げ切れていた。
けれど、その日は違った。
大人の足から逃げ切れるほど、私の身体は強くなかった。
「おい!」
「観念しな!」
路地の奥へ追い詰められる。
「はぁ……はぁ……」
もう逃げられない。
そう思った。絶体絶命だった。
その時――。
「まぁ、待ちなさい」
声がした。
「……え?」
振り返る。
そこに立っていたのは――。
「さっきの老人でした」
トニック・ウィクス。
あの日、私が財布を盗んだ老人だった。
「おい、あんたもさっき財布を取られていただろう?」
大人の一人が怒鳴る。
「どうしてそのガキを庇うんだ!」
「なにを言っているんだい」
トニック様は、穏やかな顔で笑った。
「財布は――この子に預けたんだよ」
「…………は?」
私は思わず目を丸くした。
「そんな無茶苦茶な!」
大人の一人が声を荒らげる。
「このガキには、俺たちもいろいろ盗られているんだぞ!」
「その分はどうしてくれる!」
「……」
トニック様は少しだけ黙った。
そして――。
「……そうだな」
静かに答えた。
「では」
次の瞬間。
トニック様は――。
その場で頭を下げた。
「どうか、私の顔に免じて許してやってくれ」
「…………!」
私は息を呑んだ。
「穴埋めなら、私の力でなんとかしよう」
「ちょ、ちょっと待てよ、トニックさん!」
大人たちが慌てる。
「なんであんたがそこまでするんだ!」
「この子はただの泥棒だぞ!」
「……そうかもしれないな」
トニック様は苦笑した。
「だが、それでも頼む」
「…………」
大人たちは互いに顔を見合わせる。
「……ちっ」
一人が頭を掻いた。
「トニックさんにそこまで言われたんじゃ、俺たちも顔が上がらねえよ」
「今回は見逃してやる」
そう言って、大人たちは去っていった。
「…………」
私は、その場に立ち尽くしていた。
どうして。どうして、この人は。
見ず知らずの私なんかのために、ここまでしてくれるのだろう。
「さて」
トニック様が私を見る。
「これでもう大丈夫だ」
そう言って、彼は歩き出した。
「…………」
私はその背中を見つめる。
気になる。どうしても気になる。
「…………」
そして。
私はこっそりと、その後を追いかけた。
◇
しばらく歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
「……ここ?」
門をくぐる。
「トニック様、お帰りなさいませ」
屋敷の従者たちが頭を下げる。
「ああ」
トニック様は頷いた。
「それと――」
ふと、後ろを見る。
「小さな客人が来ているんだ」
「……!」
私は固まった。
「入ってきなさい」
「…………」
(気づいてた……?)
最初から。私が後ろをついてきていることに。
「どうして……」
私は震える声で尋ねた。
「どうして私なんかを助けたんですか!」
気づけば、涙が溢れていた。
「ほっとけばよかったのに!」
「…………」
「私なんて……盗みばっかりして!」
「なのに……どうして!」
トニック様は少しだけ困ったように笑った。
「どうしてだろうな……」
そして。
優しい声で続けた。
「君と同じくらいの歳の娘がいてね」
「…………」
「それで――」
少しだけ笑う。
「つい、助けたくなったんじゃないかな」
「…………」
その瞬間。
張り詰めていたものが、全部崩れた。
「うわぁああああああああん!」
私はその場で泣き出した。
今まで。
誰にも助けてもらえなかった。誰にも必要とされなかった。
だから。たった一人の老人が向けてくれた優しさが――。
どうしようもなく嬉しかった。
「……私を」
涙を拭いながら、私は顔を上げる。
「私を、働かせてください!」
「……」
「この家のためなら、何でもします!」
トニック様は目を丸くした。
そして――。
「……そうか」
優しく笑った。
「それじゃあ、まずは――」
こうして。
私とウィクス家の生活が始まった。
そして、それから間もなく――。
「エラーラ」
幼いエラーラが私の前に現れた。
「今日から、この子が君の召使だ」
「えー!」
「この子、子供じゃない!」
「しかも、なんかくちゃい!」
――あの日の記憶へと繋がっていく。
◇
「…………」
ベッドの上で、私は黙っていた。
「……なるほど」
全部、繋がった。
トニックおじい様。
幼いエラーラ。
そして――。
「あなた」
私は目の前のメイドを見る。
「……本当に、トニックおじい様に拾われたのね」
「はい」
メイドは微笑んだ。
「だから私は――」
少しだけ胸を張る。
「今でも、ウィクス家に仕えているんです」
私はその言葉を聞いて、考え込んだ。
(聞いて損したわ。この情報、なんの役にも立たないじゃない)
そう思ったけれど――。それでも、知れてよかった。
少なくとも、トニックおじい様がどんな人だったのかは分かった。
それに――。
(このメイドには、隠れたスキルがある)
私は、目の前のメイドを見る。
(……使えるかもしれない)




