名前を入力してください
「というか、その話……」
私は思わず眉をひそめた。
「あなたのただの回想じゃない」
「…………」
「ウィクス家のことが聞けると思ったのに。なんだか、無駄だったわ」
「回想?……というか、エラーラ様……」
メイドは少し涙目になった。
「ひどいです……。私は聞かれたことを答えただけなのに……」
「ま、まあ……」
私は少し慌てて言葉を続ける。
「トニックおじい様のことが分かっただけでも、よかったわ」
「……!」
「それに、あなたが今もこの屋敷に残っている理由も分かった」
「はい!」
メイドは嬉しそうに頷いた。
「私はトニック様からいただいたご恩を、決して忘れておりません!」
なるほど、だから今もこのウィクス家にいるってことね。
「…多分だけれでもあなたにお金は入ってない?」
「はい!」
「じゃあ休みもないでしょう?」
「はい!」
「…………」
(うわぁぁ……)
私は思わず遠い目をした。
(昔働いていたブラック企業を思い出す……)
それはさておき。
「そういえば」
私はメイドを見る。
「あなた、名前は?」
「え?」
「名前よ」
「…………」
メイドは少し考えた。
「ありませんが……?」
「…………名前がない?」
私は固まった。
(この世界って、そんな感じなの?)
それとも――。
(ゲームに全く登場しないキャラクターだから、名前そのものが設定されていない?)
ヤーショルの存在もそうだった。
トニックの話しも。ウィクス家の借金も。
私が知っている『恋する姫と終わらない奇跡』には、存在しなかったものばかりだ。
「……」
私はしばらく考える。
「どうしましたか、エラーラ様?」
「名前がないメイド……」
何かいい名前はないかしら。
私は、こういう名前を考えるのがあまり得意ではない。
前世でゲームをしていた時も、主人公の名前を入力するときは――。
『アイ』
だいたいそれだった。名前っぽいし。
自分の名前にも少し似ている。
それに――。
(あいうえお順なら「あ」の隣は「い」だし)
(……我ながら適当だったわね)
「名前がないメイドね……」
私は小さく呟いた。
「…………ナイナ」
「……え?」
「ナイナ」
ぱっと思いついた。
「名前がないから、ナイナ」
「ナイナ……」
「ええ。名前がないままだと不便でしょう?」
私は頷く。
「今日からそう呼ぶわ」
「…………!」
ナイナの目が輝いた。
「ありがとうございます!」
「……そんなに?」
「はい!」
ナイナは嬉しそうに笑った。
「私、生まれて初めて名前をいただきました!」
「…………」
(名前をつけるだけで、こんなに喜ぶなんて)
私は少しだけ驚いた。
そして――。
(使えるわね。この子)
忠義やスラム街で培った泥棒スキル
そして、何より――。
(ありがとう、エラーラのおじい様)
トニックが残した、最後の形見。
私はそう思った。
「ナイナ」
「はい!」
「あなたの生まれ持ったスキルで、ヤーショルの動向を追って連絡してきて欲しい」
「…………」
ナイナが首を傾げた。
「あの……エラーラ様」
「何?」
「スキルって、なんですか?」
「…………」
しまった。つい口が滑った。
「さっきの回想って言うのもそうですけど……」
「…………」
(そういえば、この世界の人間に『スキル』なんて言葉は通じないんだった)
「……まあ、いいわ」
私は軽く咳払いをする。
「スキルっていうのは、特技のことよ」
「特技……?」
「ええ」
私はナイナを見る。
「あなたには、泥棒の才能があるってこと」
「なるほど……」
ナイナは納得したように頷いた。
「……でも」
私は少し考える。
「本当に、そこまでの才能があるのかしら?」
「…………」
「あなたメイドになってから盗みは?」
「そ、そんなやったことないです!」
ナイナは困ったようにいう。
「なら――」
私は立ち上がった。
「テストしてみましょうか」
「テストですか?」
「ええ」
私は身につけていたアクセサリーを見る。
「私が適当に着飾るわ」
指輪。ペンダント。小さなバッグ。
「それで廊下に出て、すれ違いましょう」
「…………」
「あなたが本当に取れるのか、試してみるのよ」
ナイナは少し驚いた顔をした。
そして――。
「分かりました」
「では、私は先に廊下へ出ておりますわね」
そう言って、ナイナは部屋を出ていった。
「…………」
私は机の上にあったアクセサリーを身につける。
「指輪……ペンダント……」
さらに小さなバッグを持つ。
「……借金がある家のくせに、こういうものは残ってるのね」
私は苦笑した。
そして――。
数分後。廊下。
私はナイナと反対側から歩いていく。
「…………」
警戒する。
ナイナもこちらを見ている。
そして――。
すれ違った。
「…………」
何も起こらない。
「…………?」
私は振り返る。ナイナも振り返った。
「……さすがに警戒していると難しいかしらね」
私はそういってナイナ言って振り向こうとすると
「流石に、今の状況では――」
「…………?」
私は首を傾げる。ナイナがいない。
「……あら?」
どこへ――。
「そうですね」
「――え?」
声がした。振り返る。
「これが限界かもしれません」
そこには――。
さっきすれ違ったはずのナイナが、私の真正面に立っていた。
「…………」
私は目を見開く。
「…………あれ?」
そして。
「あなた……」
ナイナの手を見る。
「それ……」
さっきまで私が身につけていた――。
「私の指輪じゃない?」
「はい」
「…………」
「お返ししますね」
ナイナが指輪を差し出す。
「…………」
私は受け取った。
そして、ふと気づく。
「待って」
「はい?」
「指輪だけ?」
「…………」
私この時はバッグが軽くなったことに気づき開く。
「…………え?」
中身がない。
「…………」
私は固まった。
「何も……入ってない?」
「はい」
「…………」
ナイナは平然としている。
「全部取ってしまいました。」
「…………」
私はゆっくりナイナを見る。
「……すごいわね」
思わず、そう呟いた。
これは――。
使える。この子の才能は。ただの盗みなんかじゃない。
ヤーショルの正体を探るための――。
強力な私の武器になる。
「ナイナ」
「はい」
「お願いがあるわ」
「なんでしょう?」
「ヤーショルを――」
私は真剣な顔で告げる。
「一日だけ、密着してちょうだい」
「…………」
「どこへ行くのか。誰と会うのか。何をしているのか」
私は目を細める。
「全部、見てきて」
「かしこまりました」
ナイナは静かに頭を下げた。
「では――」
そして。
「ヤーショル様の一日を、調べてまいります」
「お願い」
あと三日。
ヤーショルとの交渉までに――。
私は、あの男の正体を少しでも知る必要がある。
ナイナが部屋を出ていった。
「…………」
私は一人、部屋に残された。
あと三日。
ヤーショルとの約束までに、何かしらの手を見つけなければならない。
ナイナにはヤーショルを調べてもらう。
ならば――。
「私にも、やることがあるわね」
私は立ち上がった。
向かったのは、屋敷の書庫だった。
「とにかく……」
私は棚に並べられた古い書類や帳簿を眺める。
「この家の歴史に、何か残っていないかしら」
トニックおじい様の時代。ウィクス家がまだ栄えていた頃。
何かしら、今の私が知らない資産や商売の記録が残っているかもしれない。
土地。権利書。商売の契約書。
あるいは、昔使っていた事業の記録。
「何でもいいわ」
私は一冊の帳簿を手に取った。
「お金になるものがあれば――」
ページをめくる。
「…………」
酒の詳しい詳細。
「…………」
酒の作り方。
「…………」
さらに酒の情報。
「…………酒?」
別の帳簿を開く。
酒の数。古い酒の値段。高級な酒の見分け方。酒の取引。
「…………」
私は無言で本を閉じた。
そして、別の資料を手に取る。
「今度こそ……」
ページをめくる。
「…………」
酒の関する情報。
「また!?」
思わず声が出た。別の棚へ移動する。
古い契約書。商取引の記録。
家計簿。
トニック時代の帳簿。
アルゴーが当主になってからの記録。
「…………」
酒。
酒。
酒。
「…………」
私は机に両手をついた。
「どれだけ調べても、酒しか出てこないじゃない!」
(まぁでもトニックおじい様が酒についての事業をしていることはわかった)
ウィクス家の歴史とは一体なんなのだ。いや、待って。
そもそも――。
「お酒でどうやって借金を返せっていうのよ……」
私は頭を抱えた。
高級な酒が残っているなら、それを売るという手もある。
しかし。
「売ったところで、焼け石に水でしょうね」
今のウィクス家が抱えている借金は、それほど甘いものではない。
それに、ヤーショルが狙っているのはウィクス家そのもの。
酒を何本か売った程度では、状況は何も変わらない。
「…………」
私はもう一度、帳簿を見る。
そこには、かつてウィクス家が酒を扱っていた頃の記録がびっしりと残されていた。
取引先。仕入れ先。販売先。
「…………」
私はしばらく、そのページを見つめた。
「……もしかしたら」
何かある。そんな気がした。けれど、今の私にはそれが何なのか分からない。
「……三日しかないのよ」
考えている時間もない。私は帳簿を閉じた。
「今日はここまでね」
窓の外を見る。
いつの間にか、空は暗くなっていた。
ナイナも今頃、ヤーショルを追っている頃だろう。
私も今日は一日中、屋敷中を調べ回った。
けれど――。
「……何も見つからなかった」
いや。正確には、見つかった。
酒の情報は大量に。
「…………」
私は疲れ果てた身体を椅子に預けた。
「初日からこれじゃ、先が思いやられるわね……」
ヤーショルとの約束まで、あと二日。
ナイナは何を掴んでくるのか。
そして私は――。 この借金まみれのウィクス家を、本当に救えるのか。
「……明日こそ、攻略の糸口を見つけてやるわ」
そう呟いて、私は机に突っ伏した。
ヤーショルとの約束まで、あと二日。




