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悪役令嬢に転生したので、ヒロインを殺します――私は“悪”だから  作者: フーマ


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トニック・ウィクス

 コンコン。


 扉が叩かれた。


「エラーラお嬢様」


「……何かしら?」


 扉の向こうから、メイドの声が聞こえる。


「旦那様がお呼びです」


「……お父様が?」


「はい。すぐに来てほしいとのことです」


「分かったわ」


 私は立ち上がった。嫌な予感がする。


 昨日のことを考えれば、呼ばれる理由なんて一つしかない。

私はメイドに案内され、アルゴーのいる部屋へ向かった。


 扉の前で立ち止まる。


「お嬢様をお連れしました」


「入れ」


 低い声。私は扉を開けた。


「失礼します、お父様」


 部屋の中。アルゴーは机の前に座っていた。

その表情は――昨日とは違う。


 明らかに怒っている。


「……座れ」


「はい」


 私は向かいの椅子に腰を下ろした。

しばらく、沈黙が続く。


 そして。


「どういうことだ」


「……何がです?」


 アルゴーの眉が動いた。


「何が、だと?」


「はい」


「ノーブル家との婚約の話を台無しにしたそうだな!」


「……」


 やっぱり。もう知られている。


「せっかくこぎ着けたチャンスを――」


 アルゴーが机を強く叩いた。


「ウィクス家は、お前のせいで終わりだ!」


「…………」


 その言葉と同時だった。


 アルゴーが手にしていたコップを――。


 投げ捨てた。


 パリンッ!!


 床に落ちたコップが砕ける。


「……っ」


 私は思わず肩を震わせた。床に散らばった破片。


 その一つが、私の足元まで転がってくる。


「お前は何を考えている!」


「……」


「セレブス・ノーブルとの婚約がどれほど重要なのか、お前には分からないのか!」


「……お父様」


「黙れ!」


 アルゴーの声が響く。


「この家が今どういう状況なのか、お前だって知っているだろう!」


「……ええ」


「なら、なぜあんなことをした!」


「…………」


 私は床に散らばった破片を見る。


 そして。


 ゆっくりと顔を上げた。


「……お言葉ですが、お父様」


「なんだ」


「ウィクス家が終わったのは――」


 一度、息を吸う。


「本当に、私のせいだと思っていらっしゃるのですか?」


「……何?」


 アルゴーの表情が変わった。


「口答えか?」


「いいえ」


「偉くなったものだな、エラーラ」


「そういうつもりではありません」


「では何だ」


 私はアルゴーを真っ直ぐ見つめる。


「ただ、疑問に思っただけです」


「……」


「セレブス様との婚約がなければ、本当にウィクス家は終わる」


「それは事実だ」


「では」


 私は続けた。


「なぜ、そこまで追い詰められたのですか?」


「……何を言っている」


「ウィクス家は、もともと酒の事業で成功していたのでしょう?」


 アルゴーが黙った。


「それなのに、今では多額の借金を抱えている」


「……」


「おかしくありませんか?」


「なにがだ」


「私は昨日、ウィクス家の歴史を読みました」


 アルゴーの目が細くなる。


「そこで知りました」


 私は一つずつ言葉を選ぶ。


「トニックおじい様が亡くなってから、ウィクス家は少しずつ悪くなった」


「…………」


「事業も傾いて」


「……」


「借金も増えて」


「……」


「そして今、セレブス様との婚約にウィクス家の命運を懸けている」


 アルゴーは何も言わない。

私はその沈黙を見つめながら、さらに踏み込んだ。


「……原因は」


「お父様にあるのではありませんか?」


「…………」


 空気が止まった。

アルゴーの表情から、怒りが一瞬だけ消える。


 そして。


「……どこからそれを知った?」


「……え?」


「トニックのことを」


 アルゴーが、私を睨む。


「お前は……今まで、そんなことに興味を持ったことなどなかっただろう」


 心臓が跳ねた。

私は、夢で見た光景を思い出す。


 幼いエラーラ。


 そして――。


『トニックおじいちゃん!』


 あの優しい老人。

幼いエラーラを抱き上げ、嬉しそうに笑っていた。

あれは、きっと本当にあった記憶だ。


 私自身の記憶ではない。

けれど、この身体に残っている――元のエラーラの記憶。


「……夢を見たんです」


「……夢?」


 アルゴーが眉をひそめる。


「はい」


 私は頷いた。


「昨日、眠っているときに……トニックおじい様が出てきました」


「…………」


「幼い頃の私もいました」


 アルゴーの表情が、ほんの少しだけ変わった。


「……そうか」


 短い返事だった。


「お前は昔から、父さんに懐いていたからな」


「……やっぱり」


 胸の奥がざわつく。

やっぱり、この記憶は本物なのだ。


「トニックおじい様は……私にとって、どんな人だったんですか?」


「……」


 アルゴーは答えなかった。

しばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開く。


「お前にとっては、優しい祖父だった」


「……」


「私にとっては――」


 そこでアルゴーの言葉が止まった。


「……いや」


 視線を逸らす。


「今はまだ、話す必要はない」


「どうしてですか?」


「お前が知るべきことは、他にもある」


 アルゴーは私を見る。


「トニックが死んだ後、ウィクス家で何が起きたのか」


「そして――」


 低い声が響く。


「なぜ、この家がここまで落ちたのか」


「…………」


 私は息を呑んだ。ゲームでは、決して語られなかった話。

私が何十回プレイしても知らなかった、エラーラの人生。


「……全部、話していただけますか?」


 アルゴーはしばらく私を見つめ――。


「ああ」


 静かに答えた。


「お前が本当に知りたいというのならな」


 アルゴーは椅子に深く腰掛けた。


「……お前は覚えているか?」


「何をです?」


「昔、この家で酒に関するパーティを開いたことがあった」


「お酒のパーティ……?」


 私は首を傾げる。


「ワインやウイスキー、ビール。いろいろな酒が並んでいた」


「……覚えていませんわ」


 当然だ。私には、その頃の記憶がない。


「まあ、まだ幼かったからな」


 アルゴーはそう言って、少しだけ懐かしそうに目を細めた。


「あの時、俺も参加していた」


「お父様も?」


「ああ」


 そして、アルゴーは静かに話し始めた。


「あれは単なるパーティではない」


「商売だった」


「商売……?」


「そうだ」


 アルゴーは机の上に置かれていた酒瓶へ目を向ける。


「どの酒がうまいのか。どういった味なのか。どんな香りがするのか。そして、どういう風に作られた酒なのか」


「客に実際に味わってもらいながら、酒を売る」


「それがウィクス家のやり方だった」


 私は黙って聞いていた。


「親父は、その道では一流だった」


「酒に関する舌も」


「香りを嗅ぎ分ける感覚も」


「俺にもそこは自信がある」


 そこでアルゴーは少し胸を張った。


「だが――親父には勝てなかった」


(……)


(今、ちょっとだけ自慢したわよね?)


 私は思わずアルゴーを見る。本人は気づいていないらしい。


「そして、そのパーティがきっかけでノーブル家とも親しくなった」


「……セレブス様のご実家と?」


「ああ」


 私は目を見開いた。


「当時から、ウィクス家とノーブル家には繋がりがあった」


「それが、今の婚約にも繋がっている」


「……なるほど」


 ゲームでは、そんな過去は一切語られていなかった。


 ただ。


 エラーラがセレブスに執着していた。

それだけだった。


「だが――」


 アルゴーの声が低くなる。


「その数日後だった」


「親父が急に体調を崩した」


「……」


「最初は、少し具合が悪いだけだと思っていた」


「だが、日に日に悪くなっていった」


 アルゴーは拳を握る。


「そして、そのまま亡くなった」


「…………」


「医者に聞いた」


「だが、返ってきた答えは――寿命だった」


「寿命……」


「ああ」


 アルゴーは頷いた。


「確かに親父は歳を取っていた」


「だから、周囲は誰も疑わなかった」


「だが――俺は納得できなかった」


「なぜです?」


「あのパーティの日」


 アルゴーは私を見る。


「親父は、あれほど元気だった」


「酒の味を語って、客と笑っていた」


「いつも通りだった」


「それなのに、数日後には死んだ」


「…………」


 私は息を呑んだ。


「だから俺は、今でも考えている」


「何かがおかしかったんじゃないか、と」


「……まさか」


 アルゴーは静かに言った。


「何者かが、親父の酒に毒を仕込んだんじゃないか」


「……!」


 部屋の空気が変わった。


「ですが……証拠は?」


「ない」


 即答だった。


「医者も寿命だと言った」


「遺された物から毒が見つかったわけでもない」


「だから、ただの俺の推測だ」


 アルゴーは目を伏せる。


「今となっては、それを確かめる方法もない」


「…………」


「考えるだけ無駄だ」


 そう言いながらも、その声には諦めきれないものがあった。


「親父が死んで、俺がウィクス家を継いだ」


「だが――」


 アルゴーは苦笑した。


「俺には、親父ほどの経営の才能がなかった」


「周囲からも言われたよ」


『トニック様なら何とかしてくれた』


『アルゴー様では、この家は持たない』


「……」


「正直、かなり堪えた」


 アルゴーはしばらく黙った。


「そんな時に出会ったのが――ヤーショルという商人だった」


「ヤーショル……」


「ああ」


「俺は、そいつから金を借りた」


「そして、その金で事業を立て直そうとした」


「……うまくいかなかったんですね」


「ああ」


 アルゴーは頷いた。


「結果として――借金だけが残った」


「…………」


 私は黙った。

トニックが亡くなった。アルゴーが家を継いだ。

事業が傾いた。


 そして、商人から金を借りた。


 失敗した。


「…………いや」


 思わず声が漏れた。


「どうした?」


「いえ」


 私は首を振る。


(待って)


(おじい様が亡くなったのは仕方ない)


(事業を引き継いだのも分かる)


(経営が上手くいかなかったのも……まあ、分かる)


 でも。


(借金したのは普通にお前のせいじゃねーか!)


「…………」


 危ない。

危うく口に出すところだった。


(なんでそれを、さも悲劇みたいに話してるのよ……!)


 私は額を押さえた。


(この家……本当に大丈夫なの?)


 しかし。

そんな私の心の中とは裏腹に。

アルゴーは真剣な顔をしていた。


「だからこそだ」


「え?」


「セレブスとの婚約は、ウィクス家に残された最後の道なんだ」


「…………」


 私は顔を上げる。


「ノーブル家との繋がりを失えば、借金を返すことも難しい」


「だから――」


 アルゴーは私を見つめた。


「昨日、お前がセレブスを怒らせたと聞いて、私は本当に終わったと思った」


「……」


「エラーラ」


 低い声だった。


「この家を守れるのは、お前しかいない」


 その言葉が。

妙に重く胸へ落ちた。

私は何も答えられなかった。


(……まただ)


 ゲームには存在しなかった。

私が知らなかったエラーラの人生。

知らなかったウィクス家の事情。


 そして――。


(私が、この家を守らなきゃいけないの?)


 その時――。


 コンコン。


 扉を叩く音が響いた。


「……?」


 アルゴーが顔を上げる。


「入れ」


 扉が開く。先ほどのメイドが、静かに部屋へ入ってきた。


「失礼いたします」


「なんだ」


 アルゴーが尋ねる。


「お客様です。アルゴー様」


「……誰だ?」


 メイドは一瞬だけ間を置いて答えた。


「ヤーショル様です」


「…………」


 アルゴーの表情が変わった。

私も息を止める。


(ヤーショル……?)


 さっき聞いたばかりの名前。ウィクス家に金を貸した商人。


 そして――。

この家に多額の借金を残した原因の一人。


「……通せ」


 アルゴーが低く呟いた。


 その瞬間。私は悟った。


 ――また、ゲームには存在しなかったイベントが始まる。

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