マフィンの代償
「それで、いつ行くの?」
アンラが、私に尋ねてきた。
「…………」
私は少し考えてから、ナイナへ顔を向ける。
「ナイナ。今日は何曜日かしら?」
「そうですね……今日は木曜日ですよ、エラーラ様」
「そうなのね……」
もう、そんなに時間が経っていたのか。
……まあ、ギリギリでアンラを説得できたと思っておこう。
「明日の学校が終わり次第、行くわよ」
「えぇー、明日なの? めんどくさいなぁ」
「……マフィン、作らないわよ」
「それも嫌だな」
「なら、来ることね」
「……はーい」
アンラは、どこか気の抜けた返事をした。
こうして、翌日の予定は決まった。
◇
そして、翌日。
授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「さあ、行くわよ。アンラ」
「ちょっと、腕を引っ張らなくてもー」
「あなたはこうでもしないと、来ないかもしれないから」
「失礼だなぁ……」
文句を言うアンラの腕を引っ張りながら、私は学校の外へ向かった。
校門の外には、一台の馬車が停まっていた。
「お待ちしておりました、エラーラ様。アンラ様」
御者席から降りてきたナイナが、丁寧に頭を下げる。
「あれ、昨日のメイドだ。あの後、どうしたの?」
「お久しぶりですね、アンラ様。昨日は、すぐ近くの街に泊まっておりました」
「へぇー、そうなんだ」
二人は軽く挨拶を交わした。
「さ、乗るわよ」
私はアンラと一緒に馬車へ乗り込んだ。
すると、アンラが不思議そうに御者席を見つめる。
「……あれ?」
「何?」
「馬車って、メイドが運転するものなの? それ専用の人がいるんじゃないの? えーっと……御者、だっけ?」
「…………」
その反応。
どこかで見たことがある。
……というか、私も最初は同じことを思ったのよね。
「気にしなくていいわ。ナイナに任せておけば大丈夫だから」
「ふーん……」
「ナイナ、どれくらいで着く?」
「はい。以前に訪れた場所ですので、道は覚えております。順調に進めば、今夜には着くと思います」
「分かったわ。お願いね」
「お任せください」
ナイナが御者席へ戻り、馬車が動き出す。
カタ、カタ、カタ。
車輪が道を進む音が、馬車の中に響いた。
「はぁー……」
アンラが、大きなため息をつく。
「本当だったら、三日間も休みだったのになぁ」
「別にいいでしょ。どうせアンラは、学園に引きこもって研究するだけなんだから」
「そうだよ」
即答だった。
……少しくらい否定しなさいよ。
普段なら、土曜日と日曜日の二日間が休日になる。
けれど、今回は違った。
月曜日が、勇者誕生記念日なのだ。
かつて魔王を倒し、この世界に平和をもたらした勇者カリバー。
その誕生を祝うために設けられた記念日で、学園も休みになる。
つまり――三連休。
もちろん、これもゲームで知っていた情報だ。
せっかくの三連休だというのに、アンラにとっては研究の時間を削られることの方が重大らしい。
「…………」
私は、隣に座るアンラへ視線を向けた。
「そういえば、アンラに会ってもらう子の話だけど」
「ん?」
「名前はラベン・アショル。廃墟の奥にある村で、兄妹二人だけで暮らしている子よ」
「ふーん、そうなんだね」
アンラは頷いた。
「お兄さんの名前は、キルザ・アショルだったわね。妹のラベンの面倒を見ている人よ」
「へぇ……」
アンラは、窓の外へ視線を向ける。
「そのラベンって子が、魔力過敏症なんだよね?」
「ええ。だから、あなたに診てもらいたいの」
「分かってるよ。実際に会ってみないと、詳しいことは分からないけどね」
「そうね。そこはあなたに任せるわ」
私は小さく頷いた。
魔力過敏症については、すでにアンラと話をしてある。
今回の目的も理解しているし、本人も興味を持ってくれている。
だから、今さら細かく説明し直す必要はない。
ただ――。
キルザについては、話が別だった。
彼が何を生業にしているのか。
どんな人間なのか。
そういったことは、今の段階では話すつもりがなかった。
もし、彼が暗殺者だと知れば、アンラは警戒するかもしれない。
最悪、怖がって帰りたいと言い出す可能性もある。
せっかく協力してもらえることになったのに、それでは困る。
……必要のないことまで、わざわざ話す理由はないわよね。
「…………」
私は、窓の外へ視線を戻した。
今は、ラベンのことだけ考えていればいい。
キルザについては――会ってから考えればいいだろう。
「…………」
そう考えているうちに、馬車の揺れが妙に心地よくなってきた。
隣を見ると、アンラはすでに目を閉じていた。
「…………」
……早いわね。
さっきまで魔力過敏症について話していたのに。
私は小さくため息をつき、窓の外へ視線を戻した。
馬車は、夕暮れの道を進んでいく。
そして――。
いつの間にか、私も眠ってしまっていた。
◇
「お二人とも、着きましたよ」
「…………ん」
私は、ゆっくりと目を開けた。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
「……もう着いたの?」
背筋を伸ばそうとした、その時だった。
「…………?」
腕が、重い。
私は視線を落とした。
すると――。
アンラが、私の肩にもたれかかって眠っていた。
「…………」
……本当に、よく寝る子ね。
けれど。
こうして見ると、普段の気の抜けた態度が嘘みたいに大人しく見える。
「……こうやって見ると、本当に可愛いんだけどな……」
私は、アンラの寝顔を見つめた。
「……ふぁあぁ」
やがて、アンラが大きく欠伸をした。
ゆっくりと目を開け、周囲を見回す。
「あれ……ここ、どこ?」
「…………」
「なんでこんなところにいるの?」
そして、私を見る。
「あれ? エラーラ、なんで?」
「…………」
……この子、本当に大丈夫かしら。
「言ったでしょ。魔力過敏症の女の子がいるから、あなたに診てもらいたいって」
「…………」
アンラは数秒、ぼんやりと私を見つめた。
「……あ、そうだったね」
「…………」
私は、そっと額を押さえた。
大丈夫かしら。
今になって、少しだけ心配になってきた。
「……とりあえず、降りるわよ」
「はーい……」
私は、馬車を降りると、ナイナへ振り返った。
「ナイナ、馬車をお願いね」
「かしこまりました、エラーラ様」
「私たちは少し行ってくるわ」
「お気をつけくださいませ」
ナイナに馬車を任せ、私とアンラは廃墟の奥へと進んでいった。
「…………」
「本当に廃墟だね……」
アンラが周囲を見回す。
「うわぁ……凄い入り組んでるなぁ」
崩れた壁。
道を塞ぐ瓦礫。
あちこちに伸びた蔦。
少し進むだけでも、かなり歩きにくい。
アンラは、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
「……ねえ、まだ歩くの?」
「もうすぐ着くから我慢しなさい」
「えぇー……」
「マフィン」
「……分かったよ」
……本当に、マフィンの効果は絶大ね。
私は小さく息を吐き、さらに奥へと進んだ。
そして――。
「着いたわ」
「…………え?」
廃墟を抜けた先。
そこには、小さな村があった。
古びた家がいくつか並び、周囲には静かな空気が流れている。
「……本当に村があったんだ」
アンラが、少し驚いたように呟いた。
「言ったでしょう?」
「いや、だって……こんなところに住んでる人がいるなんて思わないじゃん」
「それもそうね」
私は村の奥へ視線を向ける。
目的の家は、もうすぐそこだった。
「こっちよ」
私はアンラを連れて、一軒の家へ向かった。
そして――。
「…………」
扉の前に立ったところで、声が聞こえた。
「思っていたより早いな」
顔を上げる。
そこには、キルザ・アショルがいた。
「まあね」
私は何食わぬ顔で答えた。
キルザは私を一瞥すると、その隣にいるアンラへ視線を移した。
「……それで、そっちの女は誰だ?」
「…………っ」
アンラの肩が、ぴくりと跳ねた。
そして――。
すっ。
私の後ろへ隠れた。
「…………」
……え?
あなた、そんなに警戒するの?
いや、確かにキルザの目つきは鋭い。
初対面の相手に気軽に話しかけられるような雰囲気ではない。
けれど、さっきまで廃墟に文句を言っていたアンラが、ここまで露骨に隠れるとは思わなかった。
「えっと……」
私の背中から、アンラがおそるおそる顔を出す。
「アンラ・ダグネス……です」
小さな声だった。
「妹のラベンちゃんを……見に来ました」
そう言って、また私の後ろへ引っ込む。
「…………」
キルザは、そんなアンラをじっと見つめていた。
私は内心で、小さくため息をつく。
(……大丈夫かしら、この二人)
これからラベンを診てもらうというのに。
先が思いやられるわね。




