甘くないお菓子作り
「アンラ様が、これで喜んでくださるといいですね」
隣で、ナイナが微笑んだ。
「……多分、がっかりするわよ」
「えっ?」
「あの子、本来ならチョコレートケーキのホールを作ってくると思っているでしょうから」
私は完成品へ視線を落とす。
「こんなにも小さくなるとは、思っていないでしょうね……」
「まあ、そうかもしれませんけど」
ナイナは少し考えてから、私の方へ向き直った。
「でも、いきなりケーキのホールを作るのは、さすがの私でも難しいですから」
「…………」
「それに、今回は私も手伝いましたけど、ほとんどエラーラ様だけで作ったんですよ?」
「そうね」
「なら、もっと自信を持ちましょう!」
ナイナは、妙に力強く頷いた。
「失敗したところから、ちゃんと別の方法を考えたんですから!」
「…………」
「きっと、アンラ様にも伝わりますよ」
……本当に、そうだろうか。
私はもう一度、完成品を見つめた。
以前、私が料理をしたことがなさそうだと言った時も、悪気があるのかないのか分からない顔で、ずいぶん失礼なことを口にしていた。
そんな相手に、これを渡すのだ。
(……やっぱり、不安ね)
けれど。
今さら、作り直すつもりはなかった。材料も使い果たした。
「……渡してみるしかないわね」
「はい!」
ナイナは満足そうに頷いた。
その顔を見て、私は小さく笑う。
……まったく。
私よりも、ナイナの方がよほど自信満々ではないか。
そんなことを考えているうちに、ふと周囲の様子が気になった。
「…………あら?」
窓の外を見る。
すっかり暗くなっていた。
「……もう、こんな時間?」
「本当ですね」
ナイナも窓の外へ目を向けた。
「作業に夢中になってしまいましたね」
「そうね……」
私は小さく息を吐く。
ナイナをここに長居させるのは危険だ。誰かが入ってきたらお終いだ。
それなのに、こんな時間まで引き止めてしまった。
「ナイナ。そろそろ――」
その時だった。
ガチャリ。
「…………っ!」
食堂のドアが開いた。
私は反射的に振り返る。
「だ、誰!?」
(まずい……!)
ナイナがここにいることを知られたら、面倒なことになる。
そもそも、外部の人間が勝手に入り込んでいるのだ。
見つかったら、どう説明すればいい?
いや、それ以前に。
誰が入ってくるのだろう?私は身構えた。
すると――。
「……あれ?」
聞き覚えのある、眠たそうな声。
「…まだエラーラいたんだ……」
「…………」
私は、ぱちりと瞬きをした。
ドアの向こうに立っていたのは、黒髪の少女。
アンラだった。
(……アンラか)
私は、ほっと息を吐いた。
(まあ、アンラならいいかな?)
……いや。よく考えれば、何もよくはない。
この子が誰かに話したら、結局面倒なことになるのでは?
「…………」
私は一瞬だけ考えた。
けれど、アンラはそんな私の内心など気にする様子もなく、こちらへ歩いてきた。
そして、私の隣にいるナイナへ視線を向ける。
「……横のメイドは誰?」
「…………」
そうだった。
まだ紹介していなかった。
私はナイナへ目を向ける。
すると、彼女はすっと姿勢を正した。
「お初にお目にかかります。エラーラ様の従者、ナイナと申します」
「ども」
「…………」
「…………」
……軽い。
あまりにも軽い。
ナイナがせっかく丁寧に挨拶したというのに、アンラはそれだけだった。
ナイナも一瞬、反応に困ったような顔をしている。
(……まあ、アンラだし)
私は心の中で納得した。
この子に、礼儀や作法を期待する方が間違っているのかもしれない。
「それで?」
アンラが私を見る。
「何してたの?」
「…………」
私は、調理台の上へ視線を落とした。
そこには、アンラに渡すための完成品が置かれている。
……さて。
どう説明したものかしら。
「……ていうか」
アンラが、ふとナイナへ視線を向けた。
「なんで、こんなところにエラーラのメイドがいるの?」
「…………」
次の瞬間。
アンラは、ナイナの顔を覗き込んだ。
相手の目の奥まで見透かすような、あの独特の目つきで。
「きゃっ!」
ナイナが悲鳴を上げた。
ガタッ!
その場から、崩れ落ちる。
「…………」
「…………」
私は思わず額を押さえた。
「ちょっと、アンラ。それ、初見の人には怖いからやめなさい」
「初見?」
アンラは首を傾げた。
「で、なんでいるの?」
「…………」
……この子、まったく反省していない。
「そうね」
私は小さく息を吐いた。
「ケーキ作りを手伝ってもらった、ってところかしら」
「…………!」
アンラの目が、ぱっと輝いた。
「そうなの!?」
「え、ええ……」
「それで、できたの?」
「…………」
まずい。予想以上に食いついてきた。
「ええ……一応ね」
「本当!?」
アンラが、身を乗り出した。
「どこ? どこにあるの?」
「そ、そこにあるわよ」
私はテーブルを指さした。
アンラは、待ちきれないといった様子でテーブルへ向かう。
そして――。
「…………」
完成品を見下ろした。
「……なにこれ?」
「…………」
来た。とうとう来てしまった。
「……マフィンよ」
「…………マフィン?」
「ええ」
私は、できるだけ平静を装って頷いた。
けれど。
(……まずいかもしれない)
さっきまで、あんなに目を輝かせていたのだ。
きっと、アンラはホールのチョコレートケーキを期待していたのだろう。
それが、目の前にあるのは小さなマフィン。
期待していたものとは、まるで違う。
「…………」
アンラは、まだマフィンを見つめていた。
「全然、チョコレートケーキのホールじゃないじゃん……」
「…………」
確かに、その通りだ。
やはり、無理にでもホールケーキを完成させるべきだったのだろうか。
しかし、うーむ……。
何度考えても、失敗する未来しか見えない。
「しかも、普通のケーキより小さいし。形も変」
「…………」
文句が多いなぁ……。
けれど、それだけケーキを楽しみにしていたということなのかもしれない。
そう考えると、少しだけ申し訳なくなった。
その時だった。
「……アンラ様」
ナイナが口を開いた。
「失礼ですが、あなたはケーキを作ったことがありますか?」
「…………」
……あら?
私は思わずナイナを見る。
少し、声が強い。
こんなふうに誰かに意見するナイナを見るのは、初めてかもしれない。
「ないよ」
アンラは、表情一つ変えずに答えた。
「私は食べられればいいし」
ナイナは、アンラをまっすぐ見つめた。
「これは、エラーラ様が初めてご自分で作ったものです」
「…………」
「どういう気持ちで作ったのか、あなたには分からないと思います」
「…………」
私は、ナイナを見つめた。
(……ナイナ)
そうか。
私がさっき話したことを、ちゃんと覚えていてくれたのね。
私が、どんな気持ちでケーキを作ろうとしていたのか。
どうして、失敗しても諦めなかったのか。
それを、ナイナは理解しようとしてくれていた。
「…………」
なんだか、少しだけ気恥ずかしい。
けれど――。
「初めてね……」
アンラが、私を見る。
「エラーラが?」
「…………」
「メイドに全部やらせたんじゃなくって?」
「…………」
……まあ。
そう疑うのも無理はない。
私だって、最初はそのつもりだったのだから。
「そうね」
私は素直に頷いた。
「私も最初は、ナイナに全部任せようと思っていたわ」
「…………」
「でも、それじゃ駄目な気がしたのよ」
なぜだろう。
自分でも、うまく説明できない。
ケーキを作ること自体が目的だったわけではないはずだ。
アンラに協力してもらうため。ラベンを救う手段を見つけるため。
その目的さえ果たせるなら、ナイナに作ってもらったってよかった。
なのに。
私は、自分で作りたかった。
失敗して。ナイナに呆れられて。
それでも、最後まで自分の手で完成させたかった。
……どうしてだろう。
少し考えて、私はようやく口を開いた。
「私が作ったものを、アンラに食べさせたい」
「…………」
「そういう気持ちになっていたのよ」
「…………」
言ってから、気づいた。
(……うわ)
我ながら、恥ずかしい台詞だ。
いったい何を言っているのだろう、私は。
誰かに聞かれていたら、今すぐこの場から逃げ出したくなる。
けれど。
口にしてしまったものは、もう取り消せない。
「…………」
私は、そっとアンラから目を逸らした。




