悪意をひとさじ
掃除を終える頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「……疲れた」
私は使った調理器具を片付け、ようやく調理室を後にした。
ケーキ作りに、後片付け。まったく、こんな展開になるとは思ってもなかった。
私は小さく息を吐きながら、寮の自室へ戻った。
「…………」
部屋の扉を開ける。
相変わらず、同室のアイラはいなかった。
……まあ、いい。今さら気にすることでもない。
私は鞄を置き、ベッドへ腰を下ろした。
「…………」
今日一日の出来事を思い返す。
ロインに、ジョミナー。
今日は色々なことがあった。
「……ロイン」
思わず、その名前が口からこぼれた。
改めて思い知らされたのだ。
この『恋する姫と終わらない奇跡』という世界が、ロインのために作られているのだと。
彼女が主人公で、彼女を中心に物語が進んでいく。
人々は彼女と出会い、彼女に惹かれ、彼女のために動く。
それが、このゲームの基本だった。
そして――。
私まで、その物語に組み込まれようとしていた。
「…………」
脳裏に、あの光景が蘇る。
ロインと一緒にケーキを作る私。楽しそうに笑うロイン。
一枚絵の中の私は、彼女の隣で幸せそうに笑っていた。
あんなCG、ゲームには存在しなかった。
それなのに、まるで最初から用意されていたかのように、私の頭の中へ流れ込んできた。
「……なんなのよ、あれは」
私は眉をひそめた。
考えれば考えるほど、腹が立つ。
あの光景が何だったのかは分からない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
私は、あのまま物語の一部になるつもりなどなかった。
だからこそ、無計画にナイフを握ったのだろう。
あの未来を否定するために。
ロインの隣で笑う自分を、認めたくなかったから。
「…………」
私はゆっくりと目を閉じた。
……まあ。
結果として、なんとか自我を保つことはできた。
私はロインと一緒にケーキを作ることもなく、あの妙な光景に従うこともなかった。
上書きは失敗した。
少なくとも、今のところは。
「そして……」
私は目を開ける。
「残ったものは、これね」
視線を向けた先には、今日使った材料の残りを入れた袋が置いてあった。
ケーキ。
結局のところ、問題はそこだった。
確かに、ロインと一緒にケーキを作ることもできたのかもしれない。
二人で協力すれば、今日のうちに完成していた可能性だってある。
彼女は料理に慣れているようだったし、少なくとも私よりは手際がよさそうだった。
……けれど。
「冗談じゃないわ」
私は即座に首を振った。
そんなことをしてみなさい。あのCGが現実になっていたかもしれないのだ。
ロインと一緒にケーキを作り、笑い合い、仲良くなる。
そして、気づけばゲームの筋書きに沿って生きている。
そんな未来、想像するだけでも反吐が出る。
そもそも、ロインに協力を求めるなんて、私のプライドが許さない。
私は彼女を殺すつもりなのだ。その相手に助けてもらって、目的を達成する?
馬鹿馬鹿しい。
「…………」
私は腕を組んだ。
ただし――。
私は、成功するためならどんな手段でも使う。
今回だってそうだ。キルザに協力させるため、アンラとラベンを引き合わせるため。
その目的を果たすために、私はケーキを作ろうとしている。
つまり、ケーキ作りそのものにこだわりがあるわけではない。
大切なのは、完成させること。
ならば、手段は選ばなくていい。
……そう。
手段は、選ばなくていいのだ。
「…………」
私は、ふと今日のロインの言葉を思い出した。
『一人でケーキを作るのは大変だと思いますが、頑張ってくださいね』
「…………」
ピクリ、と眉が動く。
「……あの女」
思い出すだけで腹が立つ。
あの時の私は、あまりにも腹が立っていたから、深く考えもしなかった。
けれど。あの発言。
今になって思えば――。
「一人……」
私はぽつりと呟いた。
「一人では、大変……」
「…………」
そこで、思考が止まった。
そして――。
「…………あ」
私は顔を上げた。そうだ。
なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
「そうよ! そうだわ!」
思わず声が出た。
私は勢いよくベッドから立ち上がる。
そう。何も、一人で全部やる必要などなかったのだ。
ロインに頼る必要もない。
自分のプライドを捨てる必要もない。
私には、別の方法がある。
「……ふふっ」
口元が緩む。
ようやく、足りなかったピースが見つかった。
ケーキ作りを成功させるために必要なもの。
それは、材料でもなければ、特別な魔法でもない。
私が今まで、わざわざ自分一人で何とかしようとしていたこと。
そこを変えればいいだけだった。
「……最初から、こうすればよかったのよ」
私は机へ向かった。
引き出しから便箋を取り出し、ペンを手に取る。
宛先は――。
「…………」
私は一度だけ、ペン先を止めた。
そして、必要なことだけを簡潔に書き記す。
余計な説明はいらない。
何をしてほしいのか。それさえ伝われば十分だ。
書き終えた手紙を読み返し、私は満足げに頷いた。
「……これでいいわ」
封筒に手紙を入れる。
あとは、これを送るだけ。
これでケーキは、きっと完璧に完成する。
「…………」
……まあ。
ロインの発言からヒントを得たことだけは、どうにも癪だけれど。
「今回だけは、見逃してあげるわ」
もちろん、ロインに聞こえるはずもない。
私は封筒を机の上に置いた。明日が楽しみだ。
ケーキが完成すれば、次の段階へ進める。
アンラとラベンを引き合わせる。
ラベンを救う道を探す。
そして――。
キルザに、ジョミナーを負傷させる依頼をする。
やるべきことは、まだまだ残っている。
「……ふふっ」
私は、静かに笑った。
ゲームの筋書きがどうなろうと、知ったことではない。
私は私のやり方で、目的を果たす。
そのために必要なものは、自分で用意すればいい。
「……明日こそ、完成させてやるわ」
私は便箋の置かれた机を見つめながら、そう呟いた。
◇
翌朝。
私は教室へ向かいながら、残された時間を考えていた。
ケーキを完成させるまで、あと二日。
昨日までに色々なことがあったけれど、のんびりしている暇はない。
今日中に形にしなければ、キルザに約束した期限に間に合わなくなる。
「…………」
材料はある。
作り方も分かっている。
あとは――。
「ケーキ、どうなの?」
「うわっ!?」
突然、横から顔を覗き込まれた。
アンラだった。
「…………」
……近い。
けれど、最近はこの距離感にも慣れてきた。
「珍しいじゃない。こんな時間に起きているなんて」
「私だって、こういう日もある……。それで、ケーキは完成しそうなの?」
「ずいぶん気にしているじゃない。そんなに完成が待ち遠しいのかしら?」
「いや、焦げたケーキを食べさせられても嫌だし」
「…………」
私は思わずアンラを見た。
「大丈夫よ。その問題も今日で解決するわ」
「焦がしてたんだ」
「そこに反応しないでくれる?」
まったく。
この女、どこまでも失礼ね。
……まあ、否定できないのがつらいところだけれど。
「とにかく、今日は期待していてちょうだい」
「ふーん……」
アンラは、まだ少し疑わしそうな顔をしていた。
「本当に大丈夫なの?」
「ええ。私なりのやり方を思いついたのよ」
「ふーん……」
「何よ、その反応は」
「別に。焦げないといいね」
「だから、そこはもう解決すると言っているでしょう?」
「はいはい」
アンラは気のない返事をすると、私から離れた。
……まったく。
人がせっかく自信を持っているというのに。
まあ、いいわ。
今日中に完成させれば、文句も言えなくなるはずだ。
私は気持ちを切り替え、教室へ向かった。
◇
そして、放課後。
「じゃあ行ってくるわ。楽しみに待ってなさい、アンラ」
「あー、うん。いってらっしゃい」
私はアンラに得意げに宣言すると、食堂へ向かった。
もちろん、ケーキを作るためだ。
ただし――。
今日は、いつもとは少し違う。
「…………」
食堂に到着すると、私は周囲を見回した。
昼休みのような混雑はない。
授業が終わってしばらく経ったこの時間帯なら、利用する生徒も少ない。
これなら、多少のことをしても目立たないだろう。
私は窓際へ向かい、外の様子を確認した。
「…………よし」
そして、窓を開ける。
「いいわよ。入って」
小声でそう告げると――。
窓の外から、人影が現れた。
「よいしょ……っと」
窓枠を乗り越え、その人物が室内へ入ってくる。
「ふぅー……。なかなか、ここまで忍び込むのは大変でしたよ」
「…………」
私は、その人物を見つめた。
そして、満足げに頷く。
「ご苦労さま」
「はい、エラーラ様」
そう。
私が呼び寄せた人物。
それは――。
ナイナだった。




