放課後のケーキ作り
放課後
私は、再び厨房に立っていた。
「…………」
目の前には、昨日より少しだけ形の整ったチョコレートケーキ。……いや。
形が整っただけだ。味は、まだ納得できるものではない。
私はナイフで小さく切り分けた一切れを口に運ぶ。
もぐもぐ。
「…………」
固い。昨日よりはマシになった。けれど、理想とは程遠い。
これをアンラに食べさせて、本当に喜んでもらえるのだろうか。
「…………」
私はノートを開き、昨日の記録を確認した。焼き時間。材料の分量。混ぜ方。
考えられる原因は、いくつもある。けれど、どれを直せばいいのか分からない。
試しに、混ぜ方を変えてみる。
失敗。
今度は焼き時間を短くしてみる。
……失敗。
材料の配合を少し変えてみる。
……やっぱり失敗。
「…………」
私は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
テーブルの上には、失敗作が並んでいる。見た目が微妙なもの。固すぎるもの。甘すぎるもの。
そして、なぜか妙に苦いもの。
「…………」
どうして?
レシピを確認した。分量も測った。手順だって、昨日より慎重に進めた。それなのに。
「……何が悪いのよ」
思わず呟いた。
そもそも、私は料理の専門家ではない。
ノートに情報を書き込むことはできるし、失敗の原因を考えることもできる。
でも、それだけで料理が上手くなるわけではない。
「…………」
分かっている。
そんなことは、分かっているのだ。
それでも――。
「……どうすればいいのよ」
私は頭を抱えた。
キルザに会いに行くまで、時間は限られている。
アンラの協力を得るためには、ケーキを完成させなければならない。
なのに。
肝心のケーキが、いつまで経っても完成しない。
「…………」
その時だった。
――ザザッ。
「…………?」
視界の端が、わずかに揺れた。
――ザザザッ。
黒い線のようなものが、視界を横切る。
そして。
――ザザザザザッ!!
「…………っ!」
私は勢いよく顔を上げた。
この感覚。この、不自然な視界の乱れ。
間違いない。
「……ノイズ?」
久しぶりだった。最後に見たのは、いつだっただろう。
ゲームのイベントとは関係のない行動をしている時にも、時々発生していた、あの現象。
「…………」
私は、ノイズの走る視界を見つめた。
「……久しぶりね」
もちろん、返事などない。それでも、私は問いかけずにはいられなかった。
「私は、ゲームのイベントには一切触れていないのに……」
そう。ここ数日、私がしていたことといえば、アンラを攻略するためのケーキ作りくらいだ。
それなのに――。
「…………」
どうして、今になって。
ノイズは、しばらく視界の中を走り続けた。
やがて、すっと、消える。
「…………」
私は眉をひそめた。
何だったのだろう。
そう考えた、その直後。
ガラガラッ!
「…………!」
食堂の扉が勢いよく開いた。
私は反射的にそちらを振り向く。こんな時間に、誰?
まさか――。
「…………」
嫌な予感がした。
そして、その予感は。
見事に当たった。
「エラーラ様!」
扉の向こうに立っていたのは、金色の髪に赤い瞳の少女。ロイン・デルフォルだった。
「やっぱり、エラーラ様でしたか!」
「…………」
私は、言葉を失った。
なぜ。どうして、あなたがここにいるの?
ロインは、私の返事を待つことなく、厨房の中へ入ってくる。
「…………」
私は、目の前の光景を見つめた。
そして――。
理解した。
私が放課後にケーキ作りをしていること。
それ自体が、おそらくゲームの一部のイベントとして扱われ始めたのだ。
「…………」
私は、ゆっくりとノートを閉じた。
……冗談じゃない。
私は、自分の意思で動いている。アンラを攻略するために。
キルザに会いに行くために。そのために、ケーキを作っているだけだ。
それなのに。
世界は、私の行動を勝手にイベントへ組み込もうとしている。
「…………」
私はロインを見た。
彼女は、いつものように明るい笑顔を浮かべている。
「エラーラ様、少しお話ししてもいいですか?」
「…………」
ロインは、そんな私の態度を気にする様子もなく、厨房の中を見回した。
「わあ……」
そして、テーブルの上に並んだ失敗作を見て、目を丸くする。
「すごい。一人で、こんなにたくさん作ったんですか?」
「…………」
私は黙っていた。
すごい、というのは、どういう意味なのだろう。
褒めているのか。それとも、単純に数に驚いているだけなのか。
どちらにしても、今はどうでもよかった。
「私がここに来た理由、知りたいですか?」
「…………」
私が何も答えないでいると、ロインは自分から話し始めた。
「放課後に、ケーキ作りをしているエラーラ様がいるって聞いて。気になって来ちゃいました」
「…………」
……やっぱり。
私が尋ねてもいないのに、勝手に理由を説明し始めた。まるで、ゲームのイベントみたいに。
主人公が登場して、決められた台詞を口にする。そして、その場にいるキャラクターとの交流が始まる。
そんな、いつもの流れ。
私は、目の前のロインを見つめた。
彼女は、何もおかしいとは思っていないらしい。
「それで、もしよかったら――」
ザザザッ。
「…………っ!」
ノイズが走った。
今度は、さっきよりもはっきりと。視界を乱す黒い線が、ロインの顔を覆い隠す。
「…………」
一瞬。
本当に、一瞬だけだった。
けれど――。
私の頭の中に、見覚えのない光景が流れ込んできた。
それは、エラーラとロインが並んでケーキを作っている姿だった。
ロインが楽しそうに笑っている。私が隣で、生地を混ぜている。
二人で一緒に作業をして、完成したケーキを見て笑い合っている。
そんな光景。
「…………」
私は、息を止めた。
ゲームの画面ではない。見覚えのあるイベントCGでもない。
けれど、確かに一枚の絵として、私の頭の中に焼きついていた。
まるで――。
この世界そのものが、私とロインを一緒にケーキ作りをさせるために、
新しいイベントを作り出そうとしているようだった。
「…………」
ふざけるな。
私は、ロインと仲良くケーキを作るために、ここにいるわけではない。
アンラを攻略するため。キルザに会いに行くため。
そして――。
ロインを殺すため。
その目的のために、私は動いている。
なのに。
少しでも油断すれば、私はこの展開に流されてしまいそうになる。
ロインと一緒にケーキを作って、笑い合って。何事もなかったかのように、日常へ戻っていく。
そんな未来を、当たり前のように受け入れてしまいそうになる。
「…………」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
思い出せ。私は、何をするためにここにいる?
何のために、この世界で生きている?
答えは、決まっている。
――私は悪だから。
これは、私が私であるための言葉。誰かに与えられた役割ではない。
ゲームに決められた台詞でもない。
私自身が選んだ道だ。
「…………ふぅ」
私は、なんとか気持ちを落ち着かせた。
「そんなことより、フレンの容体はどうなの?」
話題を変える。今の私にできるのは、それくらいだった。
「フレンですか……」
ロインの表情が、少しだけ曇った。
「まだ、意識は戻らないようでして」
「……そうなのね」
私は目を伏せる。
フレン。建国記念日のパーティで、ロインをかばい、重傷を負った少女。
あの事件から、ロインの様子も変わったと聞いている。
「あなたも、相当落ち込んでいると聞いたのだけど?」
「はい……」
ロインは、小さく頷いた。
「私が、もっと気をつけていれば……。そんなことばかり考えてしまって」
「…………」
「でも、このまま何もしないでいるのも、いけないと思いまして」
ロインは、少しだけ顔を上げた。
「だから、昨日からちゃんと学校に通うことにしたんです」
「……そう」
私は、短く答えた。
なるほど。
ゲームの主人公らしい、前向きな行動。
大切な友人が倒れていても、いつまでも立ち止まってはいられない。
だから、前へ進む。
そういうことなのだろう。
「…………」
私は、ふと周囲を見回した。
厨房には、私とロインしかいない。他の生徒の姿もない。
教師もいない。食堂の外から、人の話し声が聞こえてくることもなかった。
「…………」
そして、気づいた。
今なら。
今なら、できるのではないか。
私がこの世界に来てから、ずっと考えていたこと。
この世界で、私が果たそうとしている目的。
――ロインを殺すこと。
「…………」
目の前に、ロインがいる。
彼女は、私を疑っていない。いつものように、穏やかな表情を浮かべている。
この距離なら。誰にも邪魔されずに。
私は、目的を果たせるかもしれない。
「…………」
気づけば、私は調理台の方へ手を伸ばしていた。
そこに置かれていたナイフを手に取る。冷たい感触が、指先に伝わった。
「…………」
私は、ゆっくりとロインへ近づいていく。
一歩。また一歩。
ロインは、まだ気づいていない。彼女は私を見つめながら、何かを話そうとしていた。
「エラーラ様?」
「…………」
私は答えない。ただ、ナイフを握る手に力を込めた。
(今度こそ――)
頭の中に、あの日の光景がよみがえる。
(あの時のように、刺してあげる)
迷いはなかった。
少なくとも、その瞬間の私は、そう思っていた。
そして――。
ガラガラッ!
食堂の扉が、勢いよく開いた。
「…………!」
私は、動きを止めた。
誰かが来た。




