料理スキル:0
エプロンを身につけ、私は鏡の前に立っていた。
「…………」
うん。似合っている。
いつもと違う格好のせいか、少し新鮮な気分だった。
「……私、可愛いわね」
思わず呟く。
けれど――。
「…………はっ」
私は我に返った。
何をしているのだろう。
今は自分の姿に見惚れている場合ではない。
私はキッチンへ視線を向けた。
今日、私がやるべきこと。
それは――。
チョコレートケーキを作ること。
「……よし」
気合を入れ直す。
ナイナから渡されたレシピと材料は、すでに用意してある。
あとは、レシピ通りに作るだけ。
簡単な話だ。
……たぶん。
私はレシピを手に取り、最初から目を通した。
「…………」
卵を割る。砂糖を加える。
混ぜる。小麦粉を加える。
チョコレートとバターを溶かす。
材料を合わせて、型に流し込む。
そして、焼く。
「…………」
文字にすれば、実に簡単だった。
問題は――。
「……これ、どうやって作るの?」
私はレシピを見つめた。
卵を割るくらいなら、できる。
砂糖を入れることもできる。
混ぜることだって、できるはずだ。
……いや。
そもそも、どのくらい混ぜればいいのだろう。
どのくらいの力で?
どのくらいの速さで?
どこまで混ぜれば完成なの?
「…………」
分からない。
私は、料理というものを甘く見ていたのかもしれない。
けれど。
「大丈夫よ」
私は自分に言い聞かせた。
「レシピがあるんだから」
そう。レシピがある。
材料もある。
キッチンだって、自由に使える。
失敗する理由なんてない。
……ないはずだ。
私は卵を一つ手に取った。
そして――。
「…………」
ボウルの縁に、卵を打ちつける。
コンッ。
「…………」
殻に、少しだけヒビが入った。
「……よし」
私は両手で殻を割ろうとした。
パキッ。
「…………」
卵の中身が、殻ごとボウルへ落ちた。
「…………」
私は、しばらくそれを見つめた。
「……まあ」
殻を取り除けば問題ない。
私は指先で殻をつまみ、ボウルから取り出した。
……よし。
最初の難関は突破した。
次は――。
「砂糖ね」
私は計量器を使い、レシピに書かれた分量を量った。
そして、卵の入ったボウルへ加える。
「…………」
ここまでは順調だ。
次は混ぜる。私は泡立て器を握った。
そして――。
ぐるぐるぐるぐる。
「…………」
ぐるぐるぐるぐる。
「…………」
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
「…………」
バシャッ!
「…………」
卵が飛び散った。
「…………」
私は、ゆっくりと泡立て器を止めた。
ボウルの外にまで卵が飛んでいる。
キッチン台にも。エプロンにも。
……少しだけ、顔にも。
「…………」
私は無言で顔を拭った。
「……多分、これでいいわよね」
何がいいのかは、自分でも分からなかった。
けれど、いつまでもここで立ち止まってはいられない。
次は小麦粉だ。
私は袋を開け、レシピに書かれた分量を量った。
そして――。
「…………」
ボウルへ入れる。サラサラサラ。
……うん。問題ない。
そう思った次の瞬間。
バサッ!
「…………」
小麦粉が舞い上がった。
「…………」
私は固まった。
白い粉が、キッチンの上に広がっている。
ボウルの周囲も。台の上も。
床まで。
「…………」
私は自分の手を見た。真っ白だった。
エプロンも、真っ白。
そして――。
鼻の先まで、真っ白だった。
「…………」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「……多分、これでいいわよね」
よくない。どう考えても、よくない。
けれど、今さら後戻りはできない。
私はボウルの中身を混ぜた。
今度は慎重に。
できるだけ、飛び散らないように。
ぐるぐる。ぐるぐる。
「…………」
……うん。
さっきよりはマシだ。
少なくとも、卵が飛び散ることはなかった。
次はチョコレートとバター。
私は鍋を用意し、チョコレートを割って入れた。
そこへバターを加える。
「…………」
火にかける。
……少しずつ溶けていく。
「…………」
よし。この調子なら、問題ない。
私は満足げに頷いた。
そして――。
「…………?」
何か、焦げ臭い。
「…………」
私は鍋を覗き込んだ。
チョコレートが、黒くなっていた。
「…………」
……え?
いや。チョコレートは、もともと黒い。
だから、これは――。
「…………」
私は鍋を傾けた。
ドロッ。
……固い。
「…………」
焦げている。完全に焦げている。
「…………」
私は、ゆっくりと鍋を火から下ろした。
「……多分、これでいいわよね」
よくない。
どう見ても、よくない。
けれど――。
「……まだ、やり直せるわ」
私は新しいチョコレートとバターを用意した。
今度は火加減に気をつける。
慎重に。焦らず。
混ぜながら、溶け具合を確かめる。
「…………」
……よし。
今度は焦げていない。
私はほっと息を吐いた。
それをボウルへ加え、卵や小麦粉と混ぜ合わせる。
レシピを確認しながら、慎重に。
そして――。
「…………」
生地が完成した。
「…………」
……できた。
私はボウルの中を覗き込む。
見た目は、悪くない。いや。
少し粉っぽい気もするけれど。
きっと、焼けば何とかなる。
「……よし」
私はケーキ型を用意した。そこへ生地を流し込む。
ドロドロドロ。
「…………」
……多い。
明らかに多い。
型から溢れそうになっている。
「…………」
私はレシピを確認した。
分量は、間違っていないはずだ。
……たぶん。
「…………」
私はしばらく考えた。
そして――。
「……まあ、焼けば縮むでしょう」
そう結論づけた。根拠はない。
けれど、今の私には、それ以外に選択肢がなかった。
私は型をオーブンへ入れた。
扉を閉める。
そして、温度を設定する。
「…………」
……あれ?
私はレシピを見直した。
設定温度が、レシピより高い。
「…………」
私はゆっくりと温度を下げた。
危なかった。
もう少しで、また失敗するところだった。
「……ふぅ」
私は額の汗を拭った。
ここまで来るのに、どれだけ苦労したことか。
けれど――。
あとは焼き上がるのを待つだけだ。
「…………」
私はオーブンの前に立ち、じっと中を見つめた。
時間が経つ。少しずつ、甘い香りが漂い始める。
「…………」
……いい匂い。
これは、成功したのではないだろうか。
私は期待に胸を膨らませた。
そして――。
タイマーが鳴った。
ピピピッ。
「…………!」
私は勢いよくオーブンを開けた。
その瞬間。
「…………」
黒い塊が、目に入った。
「…………」
私は、そっとケーキ型を取り出した。
そこには――。
真っ黒に焼けたケーキがあった。
「…………」
……焦げている。
どう見ても、焦げている。
表面は黒く、ところどころが固くなっていた。
それでも。形だけは、ちゃんと丸い。
ホールケーキの形をしている。
「…………」
私は、しばらくそれを見つめた。
「……見た目は、悪くないわね」
自分に言い聞かせるように呟いた。
……いや。どう見ても悪い。
けれど、形だけはちゃんと丸い。
ホールケーキと呼べないこともない。
私は、ひとまず成功ということにした。
「…………」
私はナイフを手に取り、端を少しだけ切った。
そして、一口。
「…………」
噛む。
「…………」
飲み込む。
「…………」
……苦い。
ただただ、苦い。
チョコレートの甘さなど、どこにもない。
「…………」
私は、ケーキを見下ろした。
「……ただ焦げてるだけじゃない」
当たり前だった。
焦げているのだから。
「…………」
私は、深くため息をついた。
どうしてこうなったのだろう。
レシピはあった。材料も揃っていた。
手順だって、ちゃんと確認した。
それなのに――。
「…………」
私は、焦げたケーキを見つめた。
……料理って、こんなに難しいものだったの?
私は、これまでの自分を振り返る。
剣術なら、才能がなくても鍛えればいい。
勉強なら、時間をかければ何とかなる。
けれど。
料理は――。
「…………」
努力すれば、必ず成功するというものでもないらしい。
……いや。私の努力の仕方が悪いだけかもしれないけれど。
「……今日は、ここまでね」
私はケーキ型を台の上に置いた。
失敗した。見事に失敗した。
けれど――。
まだ、時間はある。
キルザに会いに行くまで、あと三日。
その間に、アンラを攻略しなければならない。
そして、そのためには――。
「…………」
私は焦げたケーキを見つめた。
「……明日は、もう少しマシなものを作るわ」
そう決意して、私はキッチンを見回した。
「…………」
……ひどい。卵は飛び散り。
小麦粉は散乱し。
チョコレートは鍋にこびりついている。
まるで、泥棒でも入ったかのような惨状だった。
「…………」
私は、ゆっくりと袖をまくった。
ケーキ作りは失敗した。
けれど――。
このまま帰るわけにはいかない。
キッチンを借りた以上、元通りにしておく必要がある。
「……これも、攻略の一部ね」
私は自分に言い聞かせた。
そして――。
片づけを始めた。ボウルを洗い。
泡立て器を洗い。鍋についた焦げを落とす。
台を拭き。床を拭き。
最後に、飛び散った小麦粉を掃除する。
「…………」
終わらない。
片づけても、片づけても、次から次へと汚れが見つかる。
「…………」
私は、黙々と手を動かした。
やがて――。
「……ふぅ」
ようやく、キッチンが元の状態に戻った。
私は疲れ切った体で、椅子に腰を下ろした。
「…………」
今日一日で、何度ため息をついただろう。
ケーキは失敗。キッチンは大惨事。
そして、私の料理の腕は――。
「…………」
……ゼロどころか、マイナスね。
私は天井を見上げた。
「……明日こそは」
小さく呟く。
「絶対に、成功させるわ」
――こうして。
私のチョコレートケーキ攻略、一日目は。
見事な惨敗に終わった。




