キルザという男
ようやく。ここまで来た。
ゲームで私は、キルザという男をそれなりに知っている。
どんな性格なのか。どういう行動を取るのか。
何を大切にしているのか。
そして――。
どういう人間なのか。
だから。最初から分かっていたつもりだった。
キルザは――。
金だけで人を殺すような男じゃない。
「…………」
だからこそ。
私は――何も持ってきていない。
百万ゴールドなんて、当然持っているはずがない。
そもそも。最初から金で解決するつもりなんてなかった。
……まあ。
あわよくば、ジョミナーを殺してくれればいい。
それも本音だったけれど。
でも。
このままでは――。
キルザは、たぶんジョミナーを殺さない。
それはそうだ。
キルザにとって、ジョミナーを殺すメリットが薄すぎる。
無駄に敵を増やすだけ。
まして――。
私はシャンデリアを持ち上げていたジョミナーの姿を思い出す。
「…………」
あの馬鹿みたいな力。あれを相手にするとなれば。
暗殺者のキルザだって、相当苦労するだろう。
わざわざそんな面倒な相手を殺す理由がない。
金だけなら。なおさらだ。
だから――。
このまま依頼を出しても。キルザは受けない。
いや。
受けたとしても、本気で殺すつもりにはならないだろう。
だったら。
私は――。
別の天秤に乗せる。悪の天秤に。
選択肢を――与える。
「…………」
私はラベンを見る。
ベッドの上。
小さな身体で、静かに眠っている。
そして。私は、その子へ近づいた。
「…………」
キルザが私を見る。
けれど、何も言わない。
私は眠っているラベンの頭へ、そっと手を置いた。
そして――。
「あなたが、なぜこんな危険を犯してまで暗殺をして、お金を稼いでいるのか」
私はゆっくりと言った。
「実は、私――知っているのよ」
「…………」
キルザは黙っている。当然だ。
これも――ゲームで知ったこと。
私はキルザのストーリーを知っている。
何度も見た。
そして――。
私は、あのストーリーが好きだった。
愛があるから。兄妹の愛が。
「…………」
私はラベンの頭を、もう一度撫でる。
「この子の病気のためでしょ?」
「…………」
キルザの目が、ほんの少しだけ動いた。
「そのために、お金が必要」
「…………」
「違う?」
「…………」
長い沈黙。
やがて――。
「……あぁ」
キルザが低く答えた。
「たった一人の家族だ」
「…………」
「俺にとっては、ラベンしかいない」
その声には、さっきまでとは違うものが混じっていた。
「だが――」
キルザはラベンを見る。
「ラベンは、生まれつき病気だ」
「…………」
「だから金がいる」
そして。
「その話が――今の交渉と関係あるのか?」
「…………」
私は少しだけ笑った。
「おおいにあるわよ」
「…………」
やっぱり。ゲームと同じだ。
キルザは、ラベンを本当に大切にしている。
当たり前だ。
彼女は――。
たった一人の家族なのだから。
そして私は。
キルザのストーリーの結末まで知っている。
「…………」
だから。私は、次の言葉を口にする。
「ラベンの病気は――」
私は少しだけ間を置いた。
「お金では解決できないわ」
「…………」
キルザの表情が止まった。
「あなたも――薄々、感じていたんでしょう?」
「…………」
答えない。けれど。
その沈黙が答えだった。
これまで。
どれだけ金を稼いでも。
どれだけ薬を買っても。
ラベンの病気は治らない。
だからこそ。
キルザは――。
このままでは、いつか限界が来る。
「…………」
私は考える。本当なら。
ここでジョミナーを殺してもらえばいい。
それが最初の目的だった。
でも――。
「…………」
少しだけ。考えが変わった。
ジョミナーを重傷にさせる。
それだけで終わらせるなんて――。
もったいない。
私は――悪なのだから。
だったら。もっと悪い交渉をすればいい。
「ねぇ、キルザ」
「…………なんだ」
私は、ラベンを見る。
そして。
ゆっくりと口にした。
「もし――」
私はキルザを見る。
「私が、ラベンの病気を治す方法を知っていると言ったら?」
「…………!」
キルザの目が大きく開いた。
「……なんだと?」
「聞こえなかった?」
「お前――」
キルザが一歩、こちらへ近づく。
「そんなことができるのか?」
「…………」
「だが――!」
キルザの声が強くなる。
「そんなもの、存在しているのか!?」
「…………」
「今まで、何種類の薬を試したと思っている!」
「知っているわ」
「…………!」
キルザが言葉を失う。
「あなたが、どれだけ探したのかも」
「…………」
「どれだけ諦められなかったのかも」
「…………」
私はラベンを見る。
「私は――知っているわよ」
「…………」
キルザは、しばらく黙っていた。
そして。
「……もし」
低い声で言う。
「もし、本当にラベンが治るなら――」
キルザは私を見る。
「俺はやる」
「…………」
「ジョミナーという男を――」
拳を握る。
「重傷にさせればいいんだろう?」
「…………」
私は少しだけ考える。
そして――。
「うーん」
「…………?」
キルザが怪訝そうな顔をする。
「さっきまでは、そう思っていたけど」
「…………」
私は小さく笑った。
「少し気が変わったわ」
「何?」
「あなたが――」
私はキルザを見る。
「私の駒になるなら」
「…………」
「考えてもいいわよ」
「…………」
キルザの表情が固まった。
「……お前」
「何かしら?」
「……悪魔め」
私は少しだけ笑う。
「悪魔じゃないわ」
そして。
「私は――悪だから」
「…………」
キルザは黙った。
しばらく私を睨んでいたが――。
やがて、視線を逸らす。
「……少し考えさせてくれ」
「…………」
「まだ、お前を完全に信用したわけじゃない」
「そう」
私は頷く。
「それでいいわ」
「…………」
「すぐに決める必要なんてないもの」
私はラベンを見る。
「だって――」
小さく笑う。
「あなたには、考える時間が必要でしょう?」
「…………」
キルザは答えなかった。
ただ。眠っているラベンを見つめている。
「…………」
私は、その横顔を見る。
まだ。キルザは私を信用していない。
当然だ。
突然現れた女が。
妹の病気を治せると言い出した。
しかも。その見返りに――。
人を殺せと言っている。
まともな人間なら。信じるはずがない。
でも。私は知っている。
キルザが、ラベンのためなら――。
どこまででも行ってしまう男だということを。
だから。私は待つ。答えを。
そして――。
その答えがどちらだったとしても。
私は。キルザを――。
私の「悪」の中へ引きずり込む。
「…………」
しばらく。沈黙が続いた。
キルザは何も言わない。
ただ、ラベンを見ている。
「…………」
まあ。信用できないわよね。
当たり前だ。突然出てきた。
このかわいい、かわいいエラーラという悪役令嬢が。
しかも。
何の許可もなくキルザの家に入り込み。
病弱な妹のラベンに接触する。
そしてキルザが私を追い返そうとしたと思ったら――。
突然、キルザの仕事の本当の内容を知っていると言い出す。
そのうえ。
今度は――。
「あなたが私の駒になったら、ラベンの病気を治せる方法を知っている」
なんて言い始めた。
「…………」
うん。怪しすぎる。
どう考えても怪しい。
むしろ――。
私だったら絶対に信用しない。
「…………」
……あれ?なんだか。
さっきから自分で考えていることが、そのまま口から出ているような――。
「……おい」
「なに?」
「声に出てるぞ」
「…………」
私は固まった。
「……あら」
少しだけ間を置いて。
「失礼」
「…………」
キルザの目が細くなる。
「わざとか?」
「ええ」
「…………」
「少しでも、この暗い空気を変えようと思って」
「だからって――」
キルザは呆れたように息を吐いた。
「心の声を口に出すな」
「分かったわよ」
「本当に分かっているのか?」
「たぶん」
「…………」
私は窓の外を見る。
いつの間にか。外は、すっかり暗くなっていた。
「もう夜ね」
「…………」
「急かすつもりはないわ」
私はキルザを見る。
「けれど――」
少しだけ間を置く。
「今、ここで決めなさい」
「…………」
「私を信じるか」
「それとも――」
私はラベンを見る。
「この子の病気を治す可能性を捨てるか」
「…………」
キルザは何も答えない。
ただ。ラベンを見つめている。
「…………」
私は思う。まあ。
答えは――。
もう出ているんだけどね。
だって、あなたは――。
「……分かった」
「…………」
キルザが顔を上げた。
「ラベンが治るなら」
そして――。
「駒にでも、なんでもなってやる」
「…………」
私は黙ってキルザを見る。
やっぱり。そうなる。
だって――。
あなたは、ラベンが心の底から大切なんだから。
ゲームの中でも。何度も見た。
この男が、どれだけ妹のために生きているのか。
どれだけ妹のためなら、自分を犠牲にできるのか。
だから私は知っている。
キルザ・アショルという男は――。
ラベンのためなら。
悪にもなれる。
「…………」
私は、小さく笑った。やっぱり。
あなたは――。
そういうキャラクターなのだから。




