ゲームスタート
数日後。私はカリバー学園の門前に立っていた。
「…………」
目の前にそびえる巨大な門を見上げる。高い城壁。
その向こうに見える、いくつもの校舎。遠くには訓練場らしき広場まである。
見覚えのある景色だった。当然だ。
ここは――。
乙女ゲーム『恋する姫と終わらない奇跡』の舞台。
物語の中心となる、カリバー学園。
ゲームの中では、ここから主人公、ロインの物語が始まっていく。
「…………」
私は門を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。
ようやく。
ようやく、ここまで来た。
ここに来るまでが、あまりにも長かった。
ゲームの本編が始まる前だというのに、借金だの土地だの酒だの……。
まさか、こんなところで苦労するとは思っていなかった。
(まあ……家のことは、アルゴーとナイナに任せてあるし)
出発する前に、二人には屋敷のことを任せてきた。
何かあれば連絡を寄越すようにも言ってある。
(アルゴーも、今の私にはあまり文句は言えないでしょうしね)
借金を片付けたのは私だ。少しくらい好きにさせてもらっても、文句は言わせない。
ナイナもいる。あの子なら、多少のことがあっても何とかしてくれるだろう。
それに――。
(いざとなれば、ヤーショルにも頼れる)
毎月の月雫。
その代わりに手に入れた、カリバー学園への道。
あの男がどこまで信用できるかは分からない。
けれど、少なくとも今の私には使える手札の一つだ。
(だから、今は学園のことだけ考えればいい)
私はもう一度、門を見上げた。この先にいる。
ゲームの登場人物たちが。
そして――。
ロインも。
「…………」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
ここから先は、私が知っている物語だ。
けれど。ゲームの中に、エラーラという人物はこの学園には存在しない。
私は本来、この学園に登場するはずのない人間だ。
だからこそ――。
「……楽しみね」
私は小さく笑った。今までとは違う。
ここから先は、ゲームの外側で足掻く必要なんてない。
ここからは――。
私の知っているゲームの世界で、私の好きなように動けばいい。
「ゲームスタートね。」
私はそう呟く。
ゲームの中で何度も見た場所。
何度も歩いた場所。何度も画面越しに眺めた場所。
それが今――私の目の前にある。
(……本当に、来たんだ)
胸の奥が少しだけ高鳴った。
緊張している。当然だ。
ここはカリバー学園。
これから私が入り込もうとしている、ゲームの舞台そのものなのだから。
私は一度だけ深呼吸をする。
(落ち着いて)
そして、できるだけ堂々と門へ向かって歩いた。
偽造した学園書を見せる。
「…………」
門番が書類を確認する。数秒。
いやに長く感じる。
やがて――。
「通っていいぞ」
「……ありがとうございます」
私は軽く頭を下げ、そのまま門をくぐった。
(……入れた)
内心では、ほっと胸を撫で下ろしていた。
偽物でも、少なくとも門を通ることはできる。
ヤーショルの言っていた通りだった。門を抜けた瞬間。
――ザザッ。
小さくノイズが走った。
(私がここにいることを、世界そのものが拒んでいる……?)
「……ノイズが走ると思っていたわ。覚悟の上よ」
そして私は歩き出した。しばらくして
目の前に広がった景色に、思わず足を止めそうになる。
(……すごい)
広い。ゲームで見ていた以上に広く感じる。
校舎。訓練場。魔法の演習場。
そして、その奥に広がる中庭。
どれも記憶にある。
(これが……カリバー学園)
しばらく眺めていたくなる。
けれど――。
(駄目)
私はすぐに気持ちを切り替えた。今は観光に来たわけじゃない。
ここでうろうろしていれば、当然誰かに顔を覚えられる。
特に私のような、本来この学園に存在しない人間が目立つのはまずい。
(まず確認するべきなのは――)
私は周囲を見渡した。
(ゲームと同じなのか)
ゲームの舞台となったカリバー学園。
私は何度もこの場所を歩いている。
校舎の位置。中庭。訓練場。図書館。教師棟。
ゲームで何度も見た光景なら、大体の位置関係は頭に入っている。
けれど――。
(実際の世界でも、本当に同じとは限らない)
私が知っているのは、あくまでゲームの設定。
この世界は、私がプレイしていたゲームそのものではない。
何かが変わっている可能性だってある。
何より、ゲームには存在しなかったエラーラの家まで、この世界には存在しているのだから。
(まずは、それを確かめる)
私は学園内を歩き始めた。
ゲームの記憶と照らし合わせながら、一つずつ確認していく。
校舎の位置。中庭への道。訓練場。図書館。
ほとんど同じ。
思わず安心しそうになった、その時だった。
「…………」
中庭の向こうに、人影が見えた。
私は足を止める。見覚えのある姿。
淡い金色の髪。青い瞳。
ゲームの主人公。
ロイン。
「…………!」
向こうもこちらへ顔を向けた。目が合う。
――まずい。
私は咄嗟に近くの柱の陰へ身を隠した。
(今、見つかるわけにはいかない)
息を潜める。ロインはこちらを見ている。
「…………?」
しばらくして。
「今……エラーラ様がいたような……」
そんな声が聞こえた。
「……気のせいか」
ロインはそう呟き、その場を離れていった。
「…………」
私は柱の陰からゆっくりと顔を出す。
もう姿は見えない。
(……ロイン)
胸の奥に、先ほどとは違う感情が湧いてくる。
ゲームの主人公。私が殺すと決めた相手。
ここまで来た理由そのもの。
(やっぱり……いる)
私は拳を握った。
(私は、この女を殺す)
改めて。その決意を胸に刻んだ。
それから私は、しばらく学園内を歩き回った。
ゲームと違う場所はないか。知らない施設はないか。
そして――。
最後に私は、学園の中心部へ向かった。
そこには、一体の巨大な像が立っていた。剣を手にした男。
カリバー学園の創設者。
かつて魔王を討った勇者――カリバー。
「…………」
私は像を見上げる。
やはり。ゲームで何度も見たものと同じだ。
周囲の建物も。道も。中庭も。
大きな違いは見当たらない。
「大体は一緒のようね」
「――何がだ?」
「…………!」
突然、背後から声がした。
私は振り返る。
そこに立っていたのは――一人の女性だった。
赤い髪。整った顔立ち。
年齢を感じさせない、異様なほど若々しい姿。
(……やはり、見つかった)
私は内心でため息をつく。
予想していた。
むしろ、ここまで見つからない方がおかしい。
この学園の責任者なら、見慣れない人間が校内を歩き回っていることくらい把握しているだろう。
そして――。
私はこの女性を知っている。
ゲーム内の説明では、強大な魔力を持つ賢者。
そして、カリバー学園の女校長。
魔法によって、その美貌を永遠に近い形で保っているとも言われていた。
ゲームでは設定の一つとして書かれていただけだった。
だが、実際に目の前にすると、その美しさは異様なほどだった。
赤い髪を揺らしながら、彼女は私を見つめている。
その目には、明らかな警戒があった。
「……なんだ、その顔は」
「…………」
「とりあえず、私の部屋に来てもらおうか」
有無を言わせない声だった。
「分かりました」
私は素直に答えた。
◇
連れてこられたのは、学園長室。重厚な扉が閉まる。
部屋の奥。
赤い髪の女校長――この学園を治める賢者、ケインが椅子に座った。
そして私をじっと見つめる。
「さて」
ケインが口を開いた。
「何をしていた、侵入者?」
「…………」
「答えによっては、罪は重いぞ」
やはり。こうなるわよね。
偽造した学園書。
許可なく校内を歩き回っていたこと。
普通なら、かなりまずい状況だ。
けれど――。
(ここが勝負所ね)
私はケインを見返した。
この人は、この学園の校長。
そして、ゲーム内でもかなり重要な人物だ。
下手な嘘をつけば、すぐに見抜かれる。
ならば――。
嘘をつくのではなく。
本当のことを、都合よく使えばいい。
「実は――」
私は静かに口を開いた。
「私の地理の能力を、お披露目しようと思いまして」
「…………は?」
ケインが眉をひそめる。
「地理だと?」
「はい」
私は懐から一枚の紙を取り出した。
「この学園の地図を、私なりに描いてみました」
「…………」
ケインは紙を受け取る。
そこに描かれているのは、カリバー学園の地図。
校舎。中庭。訓練場。図書館。主要な道。
昨日、私が作ったものだ。
ゲームの中で何度も訪れた場所。
何度も見たマップ。
だからこそ、大まかな構造なら頭の中に入っている。
「なるほど」
ケインは地図を眺める。
だが、すぐに顔を上げた。
「だが、こんなものが何の話になる?」
「…………」
「どこからか私の学校の地図を盗み、それを模写しただけかもしれないだろう」
「その通りですね」
私は素直に認めた。
「…………何?」
「それだけでは、私がここを歩き回っていた理由にはなりません」
ケインの目が細くなる。
「ならば、何だ?」
私は少しだけ笑った。
「他にも、私の知っていることがあります」
「…………」
「この学校の地下に――」
私はケインを真っ直ぐ見つめる。
「魔法の研究室があるのは、ご存じですか?」
空気が変わった。
「…………」
ケインの表情から、わずかに笑みが消える。
そして――。
「……なぜ」
低い声。
「なぜ、それを知っている?」
私は笑った。
(――食いついた)
ここからが、本当の勝負だ。
今までとは違う。
借金も。土地も。月雫も。
すべて、ここへ来るための準備だった。
そして今――。
私はようやく、ゲームの舞台に立った。
――バトルスタート。




