↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したので、ヒロインを殺します――私は“悪”だから  作者: フーマ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/45

月雫


 火のついたマッチを見つめたまま、私はヤーショルの反応を待った。


「…………」


 ヤーショルは何も言わない。

ただ、私の手元にある小さな炎を見つめていた。

先ほどまでの余裕は、もうどこにもない。


「……分かったっす」


 やがて、ヤーショルがゆっくりと口を開いた。


「そう」


 私はマッチの火を吹き消した。

小さな煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。


「話が早くて助かるわ」


「……ただし」


 ヤーショルの声が低くなる。


「条件があります」


「聞きましょう」


「月雫を十本」


「…………」


 私は目を細めた。


「十本?」


「ええ」


 ヤーショルは指を十本立てるようにして笑った。


「十本いただけるなら、ウィクス家の借金はすべて帳消しにするっす」


「今は五本しかないわ」


「だから、何か問題でも?」


「なら、無理でしょう」


「ええ」


 ヤーショルは平然と言った。


「十本は絶対っすね」


「…………」


「十本は絶対。それができないなら――」


 ヤーショルはちらりと樽を見る。


「その樽、燃やしても構わないっすよ」


「…………」


 今度は私が黙る番だった。


(……やられた)


 まさか。私が使った脅しを、そのまま返してくるなんて。

ヤーショルは、月雫そのものだけではなく、この樽に価値があることも理解している。

だからこそ、私が樽を燃やせないと思っている。


(……でも)


 私は樽を見た。


(残り五本なら……作れると思う)


 トニックが残した製法。

月雫を作るためには、この樽が必要になる。

時間はかかる。


 けれど――。


(十本なら、間に合う)


 私は顔を上げた。


「いいわ」


「……え?」


「十本、用意する」


 ヤーショルの目が僅かに見開かれた。


「ただし、一日ちょうだい」


「一日……」


「それ以上は待たせないわ」


 ヤーショルはしばらく私を見つめていた。


 そして――。


「分かりました」


 口元に笑みを浮かべた。


「楽しみにしているっすよ」


 ◇


 翌日。

私はトニックおじい様の残した製法を使い、月雫を仕込んだ。

簡単な作業ではなかった。

けれど、幸いにも残された記録には必要な工程が細かく記されていた。

トニックは熟成に時間をかける必要のない製法を残していた。


 そして――。


「十本」


 机の上に並べられた瓶を見つめる。


「これでいいわね」


 ナイナは目を丸くしていた。


「本当に十本になりました……」


「当然でしょう」


「でも、一日で……」


「私を誰だと思っているの?」


「エラーラ様です!」


「……そういうところは素直ね」


 私は小さく笑った。

そして約束通り、十本の月雫をヤーショルへ渡した。


「これで、借金は?」


「すべて帳消しっす」


 ヤーショルは約束通り答えた。


「これでウィクス家の土地も屋敷も、こちらから手を出す理由はありません」


「そう」


 私は椅子に座った。これで終わり。

ウィクス家の借金問題は解決した。


 ――普通なら、そう思うだろう。


「……ところで」


 私はヤーショルを見た。


「もう一つ、契約をしない?」


「契約?」


「ええ」


 私は微笑む。


「あなたに、毎月月雫を渡すわ」


「…………」


 ヤーショルの表情が変わった。


「毎月?」


「数本程度だけどね」


「それは……」


 ヤーショルは少し考えた。


「私にとって、かなり魅力的な話っすね」


「でしょう?」


「ですが――」


 ヤーショルは首を傾げた。


「あなたに、なんのメリットが?」


「…………」


 私は待っていた。この質問を。

月雫を渡すだけなら、私に利益はない。

だからこそ。私は次のカードを切る。


「ヤーショル」


「はい」


「カリバー学園って知ってるかしら?」


「…………!」


 ヤーショルの顔から、笑みが消えた。

この世界で知らない者などほとんどいない。

勇者の名を冠した、魔法と剣の学園。


 そして――。

私がこれから向かわなければならない場所。


「……まさか」


「ええ」


 私は椅子から立ち上がる。


「私を、カリバー学園へ入学させてほしいの」


「…………」


「正確には――」


 私はヤーショルを真っ直ぐ見つめた。


「入学するための手助けをしてほしい」


「それは……」


 ヤーショルが考え込む。


「簡単な話じゃないっすよ」


「分かっているわ」


「カリバー学園は身分だけで入れる場所じゃない」


「だから、あなたに頼んでいるのよ」


 私は微笑んだ。


「こんな商売をしている、あなたなら、何か方法を知っているでしょう?」


 ヤーショルは黙って私を見る。


 しばらくして――。


「……なるほど」


 その口元に、再び笑みが浮かんだ。


「あなた、本当に欲深いお嬢様っすね」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


 こうして。

月雫十本から始まった交渉は――。

私を、カリバー学園へと繋ぐ新たな取引へ変わった。


 ◇


 それから数日後。


「……これが?」


 私は机の上に置かれた一枚の書類を見つめていた。


「学園書っす」


 ヤーショルが答える。


「ただし――」


「偽物ってことかしら」


「……はい」


 私は紙を手に取った。見た目だけなら、本物とほとんど変わらない。

カリバー学園の紋章。入学者の名前。

必要な項目。どれも精巧に作られている。


 けれど。


「本物は作れなかった、と」


「ええ」


 ヤーショルは肩をすくめた。


「カリバー学園の門は、この学園書があれば通れるでしょう」


「でしょう?」


「門にはかなり厳しい確認がありますが、書類自体の確認なら通せるはずっす」


「なるほど」


「ただし――」


 ヤーショルは人差し指を立てる。


「先生や、長年あの学園に勤めている者には注意してください」


「……見破られる可能性がある」


「その通り」


 私は書類を眺める。


「本物には、何か違いがあるの?」


「あります」


 ヤーショルは少し声を落とした。


「カリバー学園の女校長――ケイン」


「……ケイン」


「彼女が本物の学園書に、特殊な魔法を施しているらしいっす」


「魔法……」


「ええ。詳しいことまでは分かりません。ただ、本物にはケインの魔力が残っている」


 私は書類を裏返した。当然、何も感じない。


「つまり、この偽物では完全には誤魔化せない」


「そういうことっす」


「……構わないわ」


 私は学園書を懐へしまった。


「門を通れるだけでも十分よ」


「本当に行くんですか?」


「もちろん」


 私は学園書を懐へしまった。

ヤーショルは、そんな私を見て小さく笑った。


「……分かりました。」


「ええ」


「それじゃあ――」


 ヤーショルは、どこからか二つのグラスを取り出した。


「私たちの契約に、乾杯でもしましょうか」


「……乾杯?」


「せっかく月雫を取引したんですから。一杯くらい、いいでしょう?」


 そう言ってヤーショルは、月雫の瓶を一本開けた。

透明な液体が、グラスへと注がれていく。


「…………」


 私はその様子を黙って見つめていた。


 そして。


「はい、どうぞ」


 差し出されたグラスを受け取る。


「……え?」


 私は思わず声を漏らした。


「どうしました?」


「いえ……」


 私はグラスの中身を見る。


 月雫。


 さっきまで、私が交渉材料にしていた酒。

それを今、飲む。少し妙な気分だった。


「では」


 ヤーショルがグラスを掲げる。


「これからも、良いお付き合いを」


「……そうね」


 私もグラスを掲げた。


 そして――。


 口をつける。


「…………」


 私は目を瞬かせた。


「……?」


 もう一口。


「…………」


 何も感じない。甘くもない。

苦くもない。香りすら、ほとんど感じない。


(……水?)


 私はグラスを見つめた。

どう考えても、ただの水だった。


「これはすごい……」


 向かいでは、ヤーショルが目を細めている。


「私も微力ながら魔力は流れますからね」


「…………」


「なかなかうまい。少し甘みがあって、それでいて後味が――」


 ヤーショルが楽しそうに語る。


「どうですか、エラーラ様?」


「…………」


 私は答えなかった。

もう一度、口をつける。やっぱり同じ。


 何の味もしない。ただの水。


「…………そういうこと」


 私は小さく呟いた。


「え?」


「何でもないわ」


 けれど、すぐに分かった。

月雫は、飲む者の魔力によって味が変わる。


 ならば――。


(私には魔力がない)


 当然だ。私はエラーラではない。

この世界の人間ですらない。

前世では、魔法なんて存在しなかった。

私の身体に、この世界の人間と同じような魔力があるはずもない。


(だから……味がしない)


 妙に納得してしまった。

この世界に来てから、私は何度も思っていた。

鏡に映る自分の姿。知らない魔法。知らない家。知らない人々。


 それでも私は、エラーラとして生きている。


 けれど――。


 こういう瞬間だけは、思い知らされる。


(私は……この世界の人間じゃない)


 目の前では、ヤーショルが月雫を味わっている。


「いやぁ……これは確かに、価値がありますね」


「そう」


 私はグラスを置いた。


「気に入ったなら何よりよ」


 そして、何事もなかったように笑う。

今さら、それを気にするつもりはない。

私はこの世界で生きる。エラーラとして。


 そして――。


 利用できるものは、何でも利用する。たとえ、自分には味わえない酒であったとしても。


「改めて」


 私はヤーショルへグラスを向ける。


「契約成立ね」


「ええ」


 グラスが小さく触れ合った。


 ――乾杯。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。