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戦胡蝶  作者: 遠部右喬
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呼び声の章

 薬売りが村を訪れたのは、皆が丁度朝餉を済ませ、これから各々の仕事を始める頃合いのことだった。


 畑を耕す者は勿論、魚売りや、それらを煮炊きして売るなどの商いの他、川向うの更に向こうから布や干し茸を卸しに来る者達の間を、樟脳のにおいが交じる風が吹き抜ける。余所者を厭わない風土ではあるが、楠を背に茣蓙を広げた薬売りのなんとも()やけいた気配に、近寄る者は誰も居ない。


 ふいに、薬売りが口を開いた。吹き抜ける風のような声で滔々と語るのは、清浄な(つぶて)の御業をもって(おに)に立ち向かう、勇敢な少女の物語。


 薬売りの口上に、初めは遠巻きにしていた村人も一人二人と足を止め、やがて商いに来ていた余所者までもが聞き入る。


「こりゃ面白い話だ! あんた、見掛けによらず話し上手だね」

「恐れ入ります。皆様のお心を引くことが出来てようございました――おや」


 薬売りの目が、話に耳を傾けていた農夫の左手に向けられた。手に走る引き攣った切り傷に「こちらをお試しくださいませ」と、薬売りが手持ちの膏薬を塗ってやると、その効き目に農夫が目を剥いた。


「全然痛まねえ! 裂けた肌も、もうくっ付きそうだ」

「今だけのことでございますよ。無理に動かせば再び剥がれてしまいます。その前に晒しなどでしっかりと――」

「その薬、売ってくれ!」


 薬売りの言葉を遮り、村人達が一斉に群がる。

 途切れそうもない客足に、その輪から少し外れた所に佇んでいた老人が「おおい、薬売りさん」と手を振った。老人のかさついた声に、場がにわかに静まる。


「すまないが、後で(わあ)の家に来て貰えんか。ゆっくり薬を選ばせて欲しいんだよ……どうかね?」

「かしこまりました。どちらに伺えばよろしゅうございましょう」


 村の西側、柿の樹の脇の掘っ立て小屋だよ……そう言い残し、老人はゆったりとした足取りで去っていく。

 その小さな背が見えなくなると、


「ははっ。薬売りさん、爺さんに目をつけられたか」

「あの方はどういった方なのでございましょう」


 首を傾げる薬売りに、村人達がけらけらと笑う。


「安心してくれ、悪ぃ人じゃないからさ」

「そうそう。村一番の物知り爺さんよ。畑を耕すのに板をからくってみたり、水撒きを楽にする桶を考えたりしてくれてね」

「ただねえ……」


 一同、顔を見合わせ、


「話が長い!」


 幾人かの声が重なり、周囲からどっ、と笑いが起こる。


「ほっといたら、次から次へとずっと話してるんだよ」

「人をくさすような話じゃないから、構わないんだけどさ」

「あんたさえよけりゃ、年寄りに付き合ってやってくれ。さ、俺も畑に戻るか」


 こいつは助かったぜ、と、晒しを巻いた左手を振って見せる農夫の言葉を端に、薬を購った者達がそれぞれの作業に戻っていく。

 やがて完全に人気が無くなると、薬売りは広げていた商売道具を徐にまとめ、西へ伸びる道に一歩を踏み出した。

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