訪いの章
蝶
鱗翅目の一種
高山帯を除く、ほぼ全ての陸上環境に分布
伝承には、死者の魂とも、龍や人等の母とも謳われる
都からの船が停まる湊から北西に一刻程歩いた先に、その村はあった。四半刻も南西に行けばそれなりの幅の川があるお陰か、更に北西に樹々茂る峰があるせいか、栄えているとは言い難く、さりとて寂れているという程でもない。際立ちのないことこそが証しであるような村の、西の外れに立つ小屋の前に、大きな柳行李を背負うひょろりとした影がひとつ。
「ごめん下さいませ。先程お声がけいただいた薬売りでございます」
男とも女ともつかない、川のせせらぎを渡る風のような響きの声に、小屋の入り口に掛けられた筵が上がり、痩せた老人が顔を覗かせる。
「態々来てもらって、すまんね」
「とんでもございません。どのような薬をご所望でございましょう」
「それなんだが、薬売りの兄さん……ああ、『兄さん』でいいのかな?」
狭い土間に招き入きれた薬売りに、老人が訊ねる。老人のあけすけな物言いには困惑こそ滲むものの、他意は感じられない。薬売りの顔に微笑みが浮かぶ。
が。
その姿は、実に胡乱。
腕の良い面彫師が適当に彫ったような、つるりとした特徴のない顔に浮かぶ笑みは、見る者の心を妙にざわつかせる。凹凸の乏しい痩せた身体に纏う旅装束で男だろうとあたりは付くものの、確かかと問われれば途端にあやふやに思える。ありふれた筒袖や小袴から覗く首回りや、細い手足の指先近くまでがしっかりと布で巻かれ、顔以外の地の肌は全く見えない。その念入りぶりに、装束の下全てがそうなっていることが容易に想像出来た。
どこか器物を思わせる見てくれに、漂うにおい。樟脳の特徴的なにおいが来訪者を中心にじわりと広がる。
薬売りは目を細めたまま、
「これは名乗りもせずに大変失礼いたしました。わたくしは『クスノキのりん』と申します。りん、とお呼び下さいませ」
「りんさんね、はいはい。皆は吾を蕨爺と呼ぶが、好きに呼んでくれて構わんよ。荷は好きな所に下ろしておくれ」
蕨爺の言葉に、りんは背負っていた柳行李を土間に置き乍ら頷く。
「それでは蕨様、早速調薬させていただきます。お身のご不調やお望みなどがあれば、遠慮なく仰ってくださいませ」
「吾もいい歳だし、もしもの時の為に痛み止めと熱さましが欲しいんだが……実はさ、お願いしたいのはそれだけじゃないんだな」
「と、おっしゃいますと?」
途端に、老人はきまり悪げに頭を掻く。
「……吾は童子の頃から珍しい話を集めててね。商売に関係ないことで引き留めてすまんが、その……りんさんの口上を、もっと聴かせてもらえんだろうか……」
「口上、でございますか」
「ああ。さっき皆の前で話してただろう? ああいう話が他にもあるなら、教えて欲しいんだよ」
りんの口元がきゅうっと上がる。
「高くつきますが、よろしゅうございますか」
「見ての通りの暮らしだ、あまり蓄えがない。銭の他に、米と麦を付けるってことでは駄目かね?」
小さくなる蕨爺に、薬売りが笑って頷く。
「ほんの戯れ言でございます。薬の代だけ頂戴出来れば結構でございますよ。わたくしの知るところでよろしければ語りましょう。その代は、蕨様がご存じだという珍らかな話をお聞かせ下さる、という形でお払いいただきます」
老人は子供のように目を輝かせ、
「ありがたいが、りんさんはそれでいいのかね?」
「ええ。そういった話は、幾つ知っていても困りませんから。まずは薬を作らせていただきましょう。あちらの板敷をお借りしてもよろしいでしょうか」
「勿論、勿論。よろしくお頼みします」




