動画配信で(ロングバージョン)
私はミユ、ごく普通の女子高生。趣味で始めた動画配信が少しずつ人気になり、最近では「ミユちゃん」と呼んでくれるリスナーさんも増えてきた。けれど、その「画面越し」の繋がりが、私の平穏な日常を根こそぎ奪い去るなんて、その時の私は夢にも思っていなかった。
あの夜、すべては一つの小さな不手際から始まった。
深夜の配信を終えた私は、心地よい疲れの中でパソコンのシャットダウンをクリックした。ディスプレイの電源を落とし、部屋が暗闇に包まれた瞬間、スマホが震えた。親友からの電話だった。
「明日の待ち合わせ、どうする?」
「あ、10時に駅前の〇〇ショップの前でどう?」
「おけ、了解!」
短い会話を終え、私はお風呂に入って泥のように眠った。
翌朝、目が覚めてパソコンのディスプレイを点けると、そこには絶望的な画面が広がっていた。「プログラムの応答を待っています。強制終了しますか?」という無機質なメッセージ。……シャットダウンが失敗していたのだ。つまり、私は昨夜の電話の内容から、その後の生活音まで、すべてを「生配信」し続けていたことになる。
心臓がバクバク鳴る。慌ててアーカイブのログを確認した。
『ミユちゃん、寝た?』
『おーい、画面真っ暗だよw』
『誰かと電話してる? どっか行くのかな』
リスナーたちは騒いでいたけれど、画面は暗いままで、私の寝言や失態が晒された様子はない。私は「ああ、危なかった……」と胸をなでおろし、今度こそシャットダウンしたことを確認して家を出た。
親友はすでに待ち合わせ場所に来ていた。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところだよ」
駅前で親友と合流した私は、遅刻のお詫びにジュースを奢った。その後は、大好きな小物店でお揃いのキーホルダーを買ったり、服屋を冷やかしたり、パンケーキを食べたりして、年相応の休日を満喫した。
帰宅後、私はいつものように配信を始めた。「今日は友達と買い物に行ってきたよ。可愛い小物を買っちゃった」と、いつものようにリスナーに報告する。もちろん、具体的な場所や店名は伏せて。画面に流れる『いいなー』『どこ行ったの?』というコメントを見ながら、私は平和な日常が続いていると信じ切っていた。
異変が起きたのは、翌朝のことだった。
「ミユ、あんた宛に手紙が来てるわよ。ラブレターかしら?」
母がニヤニヤしながら持ってきた封筒には、丸っこい字で『ミユ様へ』とだけ書かれていた。違和感が走る。私の本名は「ミユキ」だ。ミユと呼ぶのは配信のリスナーか、ごく一部の親しい友人だけ。友人なら本名を知っているはずだし、そもそもLINEで済ませるはずだ。
封を切ると、便箋三枚にわたって、私のことがどれだけ好きか、配信のどの部分が素晴らしいか、そして「ぜひ付き合ってください」という告白が事細かに綴られていた。
あまりの熱量に気圧された私は、その手紙をビリビリに破き、ゴミ箱の奥底に沈めた。
だが、恐怖は翌日に加速した。
また同じ封筒が届いたのだ。
『僕の手紙、読んでくれましたか? 破いたりしてないですよね?』
背筋に氷を押し当てられたような感覚がした。
「……見てるの?」
私が手紙を破り捨てたことを、なぜこの人物は知っているのか。ゴミ箱の中身を見たのか、それとも窓の外から覗いているのか。私は怖くなり、その手紙を証拠として保管することにした。
それ以来、登校中も視線を感じるようになった。
曲がり角で振り返ると、帽子を深く被り、マスクをした人影が慌てて電柱の影に隠れるのが見えた。
「間違いない、ストーカーだ」
放課後、私は震える足で交番へ向かった。けれど、警察の対応は冷ややかだった。「手紙だけでは事件性が低いし、その人影が手紙の主という証拠もない。まずは様子を見て、何かあったらまた来なさい」
帰り道、また後ろから足音が聞こえる気がした。早足で歩きながら、私は夜の配信でリスナーに相談することにした。「最近、ストーカーみたいな人がいて……そういうのって良くないですよね?」
画面には『警察行け!』『俺が守ってやるよ! 住所知らないけどw』といった、冗談混じりの励ましが飛んだ。その無責任な明るさに、私は少しだけ救われたような気がしていた。
翌日の帰り道、私は一刻も早く家に帰ろうと、住宅街の近道を急いでいた。
「あの、すみません! これ、落としましたよ!」
澄んだ声に呼び止められ振り返ると、そこには可愛らしい中学生くらいの少女が立っていた。彼女の手には、この間友達と買ったばかりのキーホルダー。
「あ、どうも。ありがとう! 気づかなかった」
「いえ、どういたしまして!」
少女は天使のような笑顔を浮かべて、軽やかに走り去っていった。私は彼女の後ろ姿を見送りながら、カバンを確認した。確かにキーホルダーを引っ掛けるフックだけが残り、本体がなくなっている。
……けれど、何かがおかしい。
「あれ……?」
私が拾ってもらったキーホルダーには、真新しいフックがしっかりと付いていた。私がカバンに残していたフックとは別に、だ。まるで、最初から「完成品」を渡されたかのような……。
けれど、当時の私は混乱していて、深く考えずにそれをカバンに付け直してしまった。
数日後、私のSNSに異常なリプライが届き始めた。
『〇〇高校の制服、似合ってますね』
『今日の買い食いのコロッケ、美味しそうでした』
特定されている。どこへ行っても、何をしていても。
私は恐怖でアカウントをブロックしたが、次から次へと新しいアカウントが現れる。
「もう外に出たくない」
私は配信を休み、学校も欠席して部屋に閉じこもった。
さらに数日後の午後。両親が買い物に出かけ、家の中に私一人になった時、インターホンが鳴った。
恐る恐るモニターを覗くと、そこに立っていたのは、あの「キーホルダーを拾ってくれた少女」だった。
「近所に住んでいる子なのかな?」
少しだけ安心した私は、チェーンをかけたままドアを開けた。
「こんにちは。最近、ミユさんが動画を配信されていないので、どうされたのかなと思って……」
彼女が私の活動名を知っていることに、心臓が跳ねた。
「えっ、リスナーさんだったの?」
「はい。ずっと見てましたよ。手紙も出したし、学校の後ろも歩いたし、ゴミ箱も確認しました」
少女の口調が、少しずつ変わっていく。
「……え?」
「警察に行ったのも、配信で僕のことを相談したのも、全部知っています。あ、相談された時は、僕もコメントしましたよ。『守ってやる』って」
私は恐怖でドアを閉めようとしたが、彼女の……いや、「彼」の細い指がドアの隙間に割り込んだ。
「何で……住所が分かったの……?」
震える声で問う私に、少女の姿をしたその人物は、三日月のような不気味な笑みを浮かべ、喉の奥から男の低い声を出した。
「ああ、お返ししたキーホルダーに、高性能の発信機を仕掛けておいたんですよ。あの日、配信を切り忘れたおかげで、待ち合わせ場所がバレたのが運の尽きでしたね。おかげで、可愛い『少女』のフリをしてあなたに近づくことができました」
男はウィッグを脱ぎ捨て、短く刈り込まれた頭を露出しながら、恍惚とした表情でミユを見つめた。
「さあ、ミユ様。僕の手紙、今度は破らずに、目の前で読んでくれますよね?」
「嫌……来ないで!」
ミユは必死にドアを押し返そうとしたが、少女の格好をした男の筋力は、見た目とは裏腹に強靭だった。隙間に差し込まれた革靴が、容赦なく室内の聖域を侵食してくる。
「どうして逃げるんですか? あんなに夜通し、僕に向かって語りかけてくれていたじゃないですか。あの真っ暗な画面越しに、僕はあなたの吐息をずっと聞いていたんですよ」
男の言葉が、ミユの脳裏にあの一晩の失態を蘇らせる。シャットダウンし忘れたあの夜、マイクは微細な寝息さえもこの狂人に届けていたのだ。
ミユは脱衣所へ駆け込み、内側から鍵をかけた。震える手でスマホを取り出し、警察へ通報しようとする。しかし、画面は無情にも「圏外」を表示していた。
「無駄ですよ。玄関にジャミング(電波妨害機)を置かせてもらいました。あなたの配信環境を調べ尽くした僕にとって、電子機器を黙らせるなんて造作もないことです」
ドア越しに聞こえる男の声は、もはや少女のそれではなく、低く濁った、粘り気のある執念に満ちていた。ガリガリ、とドアの木面を爪で引っかく音が響く。
「ミユ様、お願いです。僕がどれだけあなたを想って、そのキーホルダーを作ったか。発信機を仕込むために、どれだけ苦労したか分かってくれますよね?」
ミユは床にうずくまり、耳を塞いだ。しかし、男の声は止まらない。
「あなたは配信で言いましたよね? 『誰か守って』って。だから僕は来たんです。両親という不純物を排除して、二人きりになれる時間を調整して、やっと……やっと、本物の『ミユ』に触れられる」
その時、ドアが激しく蹴り破られた。
悲鳴を上げる間もなく、ミユの視界は男の大きな手に覆われた。
「さあ、配信の続きを始めましょう。今度は僕がカメラを回してあげます。世界で一番幸せな、あなただけの特別番組を」
数時間後、買い物から戻った両親が目にしたのは、主のいない子供部屋で、静かに再起動されたパソコンだった。
ディスプレイには、配信ソフトの待機画面。
そして、マイクの横には、あの「発信機入りのキーホルダー」が、丁寧に、大切そうに置かれていた。
ミユの行方は、今も分かっていない。
ただ、彼女の配信チャンネルには、時折、深夜の数秒間だけ「真っ暗な画面」と、誰かの「すすり泣くような声」が流れるという。リスナーたちはそれを『ミユの幽霊配信』と呼んで恐れているが、そのログに一度だけ、こんなコメントが書き込まれた。
『僕たちが、守ってあげているから大丈夫ですよ』




