聖女の町歩きにつき合わされる大悪魔
その晩は何もなく終わる。
もちろんマレフィクスがその気になれば何かが起きたのだろうが、度重なるお仕置きに疲れ切ったマレフィクスはフランシーヌよりも先に寝てしまい、彼女がどれだけ声を掛けてもすべてイビキで返答していた。
翌朝。
マレフィクスは聖女の従者として最初の仕事となる王城にいる全王族が集まる王城の食堂へ向かうフランシーヌに同行した。
むろん透明化の魔法を使って誰にも気づかれぬように。
そして、初めて見る。
王族内部のドロドロぶりを。
部屋を戻り、透明化を解除したところで、マレフィクスはフランシーヌを見やる。
「おい。フランシーヌ」
「おまえの兄弟たちはろくでもない奴しかいないな」
「ん?」
思わず口にしてしまった「おまえ」という言葉。
だが、お仕置きはなし。
理由はわからないが、とりあえずよしとしよう。
心の中でそう呟き、マレフィクスは言葉を続ける。
「私の見立て。長男のアンソニーは傲慢。次男のエミールは凡庸を通り越したボンクラ。三男のフェルナンと四男のグレゴワールはさらに下の無能。名前を忘れた五男と六男は我儘で生意気なだけのガキ。この中から皇太子を選ぶとは父親も大変だな」
「尋ねる。この国には女王という選択肢はあるのか?」
「一応あります」
「ですが、王位継承者の基本は王子。王女から王位に就くには特別な事情が必要です」
「たとえば?」
「王子がいない。または王位に相応しい者がいない場合とかでしょうか」
「どちらにしても、王族会議の結果で皇位継承者が決まればそれが絶対になります」
「そして、当然ですが、王族会議で選ばれるためには相応の後ろ立てが必要となります。大貴族の。そういう点では大貴族の支持を集めている四人の兄さまの誰かが王位継承者に選ばれると考えるべきでしょう」
「ちなみにフランシーヌは王位に就きたいという希望はあるのか?」
「まったくないですね」
「だが、王になれば国政は自由だろう。理想の国がつくれるぞ」
「いいえ」
そう言ったフランシーヌは薄く笑う。
「そうでもないのです。実際にこの国を動かしているのは、宰相様であり、何かをおこなう場合は、法王様をはじめとした教会の意向も確かめる必要がありますので」
「つまり、国王というのは飾りというわけか」
「それでいて、多くの縛りがあるのか。つまらないな」
「そう言ってしまっては身の蓋もありませんが……」
「私もそう思います」
「ところで、王子は六人いたが、王女はフランシーヌだけなのか?」
「いいえ。クリスティアーヌ姉さまとロズリーヌ姉さまはすでに嫁いでいますので、王城に残っているのは私と妹のシュザンヌとヴィオレーヌだけです。ですが、ふたりは気分屋なので」
「来なかったということか」
「そうなります」
「なるほどな」
マレフィクスは心の中で呟く。
ほんの僅かの時間ではあるが、その中でのフランシーヌの言動。
そして、今日の朝食会場での兄弟たちの振舞い。
それを踏まえて考えると、聖女という世間の評判はあながち間違っていない。
そして、自分の評価も。
ただし、裏の顔があると思っていたところは訂正しなければならないが。
「ところで……」
「俺も腹が減った。まあ、さすがに王族と同じものを食わせろとは言わないが、何か食わせてもらわねば困るのだが」
「そうですね……」
「では、私を外に連れ出してください。魔法で」
マレフィクスとしては、適当なものを部屋に持ってくるように命じてもらうつもりであった。
だが、フランシーヌの返答は外出。
しかも、マレフィクスの魔法で。
「外出はいい。だが、なぜ俺の魔法だ?」
「そうでなければ護衛やメイドさんが多数同行します。そうなると……」
「俺は透明化していなければならない。それでは、せっかく外に出ても何も食えないというわけか」
「それに……」
「私も少し羽を伸ばしたいのです。実はこの希望は以前から持っていました。ですが、ひとりでは不安。その点、無敵であるマレフィクスさんがいればそのような不安もありません」
「ということで、行きましょう」
フランシーヌはそう言うと手を差し伸べる。
「お願いします」
「仕方がないな」
マレフィクスはそう言うと、差し出されたフランシーヌの手を取る。
「目を閉じろ」
「モゥエーレ」
この国で使用されている言葉とはあきらかに違うその言葉をマレフィクスが口にした瞬間、ふたりの姿は消えた。
「もう目を開けていいぞ」
マレフィクスのその声とともに目を開けたフランシーヌの目に飛び込んできたのは活気のある市場の様子だった。
「……大丈夫なのですか。こんなところに現れても」
「ああ。どれだけ人通りのある場所に現れても誰にも気づかれない認識を阻害する魔法があるのだ。それに……」
「そうでなくても、気にしない。自分のことが忙しいから。だが……」
「その後はわからない。有名人なのだろう。フランシーヌは。顔くらい隠していたほうがいいだろうな」
「そうですね」
「では、いこうか。さて、何を食おうかな」
「こんなことなら……」
「私も食べる量を減らしておくべきでした」
「贅沢な悩みだ。だが、甘いものは別腹だとよく言っているぞ。町娘たちは」
「そうですね。それはそのとおりです」
一瞬、マレフィクスを羨ましそうな言葉を口にしたものの、相手のひとことで一気に息を吹き返したフランシーヌの食欲は完全に甘いものへ進む。
「ということで、どの店に入り……」
「店に入る?」
「言っておくが、この辺は皆屋台。つまり、買ったものを食いながら歩く」
「そうなのですか?」
フランシーヌは驚き、辺りを見渡す。
そして、老若男女問わず、すべてがそのようにしていることにようやく気づく。
「もしかして、市場に来たことはなかったのか?」
「い、いえ。あります。ありますが、このような光景は……」
ないということか。
マレフィクスは心の中で呟く。
王女が出歩くのだ。
当然それなりの準備はする。
そして、それは王族の目に触れさせるべきではないものの排除も含まれる。
その中に屋台が含まれていたというわけか。
ということは……。
「フランシーヌ。屋台を知らないということは、これまでおまえが見ていたものは現実と随分とかけ離れていたかもしれないぞ」
「そして、これから見るものはさらに酷いもの。だが、それこそがこの国の現状というものだ。それを知らずに何かをやろうとしてもそれはただの茶番だ」
「ハッキリ言おう。きれいなものしか見たことがない者にとっては正視できない。だが、絶対に目を背けるな」
そして……。
フランシーヌは目にする。
「マレフィクスさん。これは?」
「物乞いだ。奴隷に並ぶこの国における底辺中の底辺の存在。奴隷は自由こそないが、とりあえず食い物にはありつける。だが、物乞いはそれもない」
「では、何か与えることに……」
「やめておけ」
「どうしてですか?」
「まず、数が多い。たとえば、物乞いが目の前にいる数人だけならそれでもいいが、この小さな市場だけでも残りものにありつこうと千人は下らない物乞いが集まっている。王都、そして、国全体となればどれだけの物乞いになるか。そのうちに数人の者に施しをしてもそれはフランシーヌの自己満足でしかない」
「そして、たとえば、俺の制止を振り切ってそいつらに施しをしたとする。だが、それだけの話。明日はどうする?その次の日は?」
「根本が変わらなければ何も変わらないということだ」
「もちろん、物乞いがどうなろうが、雲の上の住人である王族には何ら影響はないし、王や王子たちはこれを見てもただ汚いものを見せられたと思うだけだろう。そして、俺は悪魔。物乞いの奴らがこの世界を恨み、心が腐らせていくのは望むところだ。だが、聖女と呼ばれる身であるフランシーヌは違うだろう。まずは、この事実は知っておくべき。そう思って見せた」
「それでどうだ?」
「感想は」
「……ありがとうございます。マレフィクスさん」
「目指すべきものが見えました」




