57 甘すぎる
春の陽光が降り注ぐガゼボ。
白磁のティーカップに注がれた紅茶から、華やかな香りが立ち上る。
「ジークヴァルド様、見てください! 去年よりもずっとお花が綺麗に咲いていますよ」
セラフィーナが、心弾ませるように声を上げた。
その瞳には一年前と変わらぬ、一点の曇りもない無垢な輝きが宿っている。
「そうだね。君がいてくれるから、庭園も喜んでいるのかもしれない」
ジークヴァルドは、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。その声はどこまでも柔らかく、慈愛に満ちている。
だが、その瞳の奥には、凍てつくような観察者の色が潜んでいた。
彼はあの日、リリアの手紙を読んでから決めていた。
この少女に真実を告げることはない。
ただ、彼女が「何者」であるのかを、この目で見極めると。
傍らに控えるイーサンは、無表情に書類を整理しながら、その光景を視界の端に留めていた。
(……やはり、動じないな)
セラフィーナの満面の笑みを見ても、今の自分たちの胸に「あの熱狂」は微塵も沸き起こらない。
リリアが命を賭して遺した、召喚と返還の力による浄化。
それが、どれほど完璧に自分たちを「正気」に戻したかを、イーサンは改めて思い知らされる。
「ねえ、カイルさんもそう思いませんか?」
セラフィーナが、彫像のように立つカイルに同意を求めた。
「…………」
カイルは答えない。
視線すら合わせない。
ただ、その鉄のような双眸が、一瞬だけセラフィーナを射抜いた。
そこにあるのは、嫌悪を通り越した、物言わぬ拒絶だ。
「……カイルさん、怒ってるのかな」
セラフィーナが、不安そうに眉を下げる。
その時、ガゼボの柱に背を預けていたゲルハルトが、鼻で短く笑った。
「怒ってるんじゃねえよ。任務に集中してるだけだ。……なあ、セラフィーナ。お前、リリアがいなくなって寂しくねえのか?」
唐突な問いかけ。
イーサンの指が止まり、ジークヴァルドの視線が僅かに険しさを増した。
セラフィーナは、少しだけ考え込むような仕草を見せ、それからふわりと微笑んだ。
「もちろん、とっても寂しいです。でも、リリアさんはお家に帰りたがっていたんでしょう? 私、リリアさんが自分の世界で幸せに笑っているなら、それでいいと思うんです」
一点の曇りもない、善意の言葉。
彼女は本気でそう信じているのだ。自分がリリアからすべてを奪ったという自覚も、自分たちが彼女を「排斥」したという罪悪感も、彼女の心には一欠片も存在しない。
(……悪意がない、のではない)
ジークヴァルドは、ティーカップを静かにソーサーへ戻した。
カチリ、と乾いた音が鳴る。
理解してしまった。
この少女は――
そもそも、そんな発想を持たない。
自分が愛されること。
それが当然であること。
そのために、誰かが消えたとしても。
それはただ、
「そういう運命だったのだ」と受け入れてしまう。
その無垢こそが――
「そうか。君は本当に優しいね、セラフィーナ」
ジークヴァルドは、彼女の頭を優しく撫でた。
この少女を処刑することは容易い。だが、それは自分たちの「罪」を彼女に着せて逃げることに他ならない。
彼女は何も知らない。何も分かっていない。
ただ、春の光の中で、かつての「魔法」が解けたことにも気づかずに、一人だけ残酷なほど無邪気に笑い続けている。
「……お開きにしようか。少し、冷えてきた」
ジークヴァルドの言葉に、イーサンが静かに頷き、カイルが機械的な動きで道を作る。
「あ、はい! また明日も、一緒にお茶しましょうね!」
元気よく応えるセラフィーナの背中を見送りながら、男たちは確信していた。
彼女には、永遠に伝わらない。
自分たちがリリアを失い、この心に空いた穴が、二度と埋まることはないのだという絶望だけは。




