54 隠し味
カイルが自らの心に気づいてから、数日が経っていた。
ある日の王城の食堂。帝国の両翼と謳われる二人の騎士が、同じテーブルで向かい合って食事をしている。
なかなか見られない光景だった。
「お前と昼メシなんて、いつ以来だ。久々だな」
大口を開けて肉にかぶりつきながら、ゲルハルトが言った。
「そうだな」
カイルは短く応じ、木製のジョッキに入った水を一気に煽る。
ふと、ゲルハルトの咀嚼する動きが止まる。
「ん? お前、それ……」
怪訝そうな視線が、カイルの手首へと向けられた。長袖の裾から覗く、色褪せた麻の組紐。
「懐かしいもん着けてるな。俺のはとうの昔に摩耗して切れたぜ」
その言葉を聞いた瞬間、カイルは僅かに身体を乗り出した。
「……何を願った」
「はあ? 何も。ずっと着けてりゃ、そりゃいつかは千切れるだろ」
ゲルハルトは肩をすくめ、再び肉を口に運ぶ。
そして、ひとしきり口を動かして、ふっと思い出したように鼻で笑った。
「そういや、そんなことも言ってたな。着ける時に願い事をしろ、なんてよ。本来は編んだ奴が願いを込めるもんだろうに、あいつ、間違って俺達に伝えたんだろうな」
――編んだ人間の願いが、叶うまで。
本来の意味を知らなかったとはいえ、彼女が何も願わずにあれを編んだとは思えなかった。
帝国の安寧を。
騎士たちの武運を。
そして、こうして温かい食事が摂れる、当たり前の日常を。
彼女なら――
あの、誰よりも自分のことを後回しにしたリリアなら、きっと。
カイルは、自分の手首に巻き付いた麻紐を見つめた。
不揃いで、不格好な編み目。
悪戦苦闘しながら、慣れない手つきで必死に形にしたのだろう。
「お前、まだ切れてねえんだな。物持ちがいいというか何というか……」
ゲルハルトが不思議そうに目を細める。
「……先日、私邸の奥で見つけた」
「はあ!? 先日だあ!?」
ゲルハルトが、呆れ果てたような声を上げた。
もらったその日に、私邸の棚へと無造作に放り込んだ。それきり、存在すら忘れて一度も触れることはなかった。
だが。偶然それを見つけ、指に触れた瞬間。
胸の中の臓腑をぎゅうと締め付けられたような息苦しさと同時に、とてつもない熱が溢れ出した。
リリアが、自らの手で編んだのだ。
それを、お礼だと手渡してくれたのだ。
『身につけるときに、願い事をするんです』
あの時、彼女は確かにそう言っていた。
だから、――カイルは願った。
「それで、お前の願い事はなんだよ」
いつの間にか食事を終えていたゲルハルトが、頬杖をつきながら、探るように尋ねる。
だが、すぐに自嘲気味な笑いを浮かべて首を振った。
「いや、やっぱ聞かねえわ。そういうのは誰かに話すと叶わねえって言うしな」
椅子から立ち上がり、鎧を鳴らして背を向ける。
「お前の願い事は……まあ、なんとなく分かるしな」
ゲルハルトは軽く手を振り、そのまま食堂を出ていった。
遠ざかる足音が、広々とした食堂に空虚に響く。
カイルは、一人残されたテーブルで、静かに手首の麻紐を撫でた。
指先に触れる、硬く、不器用な質感。
彼女がこの帝国から「返還」という名で追い出されてから、
もうすぐ一年が過ぎようとしていた。




