5 贅沢
身支度を整え終えた頃、昨日と同じように、扉が音もなく開いた。
「おはようございます、リリア様。お目覚めはいかがでしょうか」
現れたのは、皇帝の補佐官であるイーサンだった。
一分の隙もない完璧な一礼を捧げ、穏やかな微笑みを向ける。
「……おはよう、ございます」
リリアはぎこちなく、消え入りそうな声で返した。
昨日よりは少しだけましな、けれどまだ足に馴染まない上等な靴を履き、彼の後に続く。
「本日は、リリア様がこれから過ごされるこの城の中をご案内いたします」
イーサンの足音は、驚くほど静かだった。
リリアは、自分の歩く音がやけに大きく響いているような気がして、思わず爪先立ちになりそうになる。
廊下の壁には、見たこともないほど緻密な刺繍のタペストリーが並び、等間隔に置かれた燭台は黄金色に輝いている。
窓から差し込む朝の光さえ、スラムで見ていたものよりずっと鋭く、清らかに感じられた。
「ここは中央回廊です。先ほど通ったのが居住区、あちらに見えるのが政務を行う執務棟になります」
イーサンは、リリアが立ち止まるたびに、急かすことなく静かに待ってくれた。
決してリリアの素性に触れない。
ただ一人の貴婦人を扱うかのように、恭しく道を示していく。
怖くはない。けれど、リリアにはイーサンが何を考えているかわからない。
「……あの」
「はい、何なりと」
リリアは、回廊の窓から見える巨大な庭園に目を奪われ、足を止めた。
そこには色とりどりの花が咲き乱れ、中央には白い石造りの噴水が、絶え間なく清らかな水を噴き上げている。
「あんなにたくさん……水が、もったいない……」
思わず口を突いて出た言葉に、イーサンはわずかに目を見開いた。
スラムでは、濁った水一杯を得るために、誰かが血を流すことさえあったのだ。
ーー喉が、わずかに鳴った。
「あれは魔力で循環しております。この帝国の豊かさの象徴です」
イーサンは否定も笑いもしなかった。
ただ、リリアの視線の先にある光景を、同じように静かに見つめる。
「リリア様。ここにあるものは、すべて貴女を守るためのものです。そして、いずれ貴女が守るもの……でもあります」
――私が、守る。
その言葉の重みに、リリアはひどく目眩がした。
「さあ、次は訓練場の方をご案内しましょう。近衛の者たちが朝の修練を終える頃合いです」
イーサンに促され、再び歩き出す。
その先に、あの冷たく射抜くような瞳を持つ男――カイルがいるとは知らずに、リリアは迷子にならないよう、ただ必死に彼の背中を追いかけた。




