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45 空腹の日々へ

城の最深部に位置する大神殿。

そこは、かつてリリアがこの世界に降り立った「始まり」の場所。


そして今は――彼女を異端として排斥する「終わり」の場所となった。


冷たい石床には、巨大な魔法陣が刻まれている。

複雑に絡み合う幾何学模様の線は、今や彼女を元の世界へと押し戻すための檻のように見えた。

陣の周囲には、表情を消した神官たちが立ち並び、儀式の時を待っている。


少し離れた特等席には、セラフィーナが立っていた。

まるでこの儀式の主役であるかのように。


その前には、まるで穢れを避ける盾のようにゲルハルトとカイルが立ち塞がっている。

二人の険しい眼差しは、かつての戦友に向けるものではなく、今にも襲いかかってくる魔物を警戒するそれだった。


その横、豪奢な椅子に深く腰掛けた皇帝ジークヴァルドの顔色は、幽霊のように青白い。

だが、その視線は――あの夜、リリアの部屋で見せた苦悩する男のものではなかった。

冷酷なまでに平坦な、政務を処理する「皇帝」の目。


その隣で神官と囁き交わしていたイーサンが、ふとリリアへ視線を向けた。

眉間の深い皺と、汚物を見るような忌々しげな瞳だった。


やがて、見物人たちが次々と神殿へ入ってきた。皆、一様に期待に満ちた顔をしている。

リリアという「不浄」が消え、セラフィーナが唯一無二の聖女として君臨する瞬間を、救済の儀式として見届けようとしているのだ。


彼らの視線が、中央に立つリリアに集中する。

黒く変色し、鎖のように首を這う瘴気の跡。

顔の半分を侵した悍ましい変貌。

その姿が露わになると、群衆からは悲鳴が漏れた。

慌てて視線を逸らす者もいる。


まるで、本当に魔物でも見るように。


「リリアよ。陣の中央へ」

老神官の声が響いた。


もう、敬称はない。

けれどリリアは気にした様子もなく、小さく頷いた。

「はい」

ゆっくりと、固まりかけた脚を動かして歩く。魔法陣の中央へ。


そして、静かに膝をついた。石床の冷たさが、聖衣越しに伝わってくる。


「聖女リリア」

ジークヴァルドが立ち上がる。


「此度の尽力に、帝国は感謝する」

その声は、皇帝としてのものだった。

書庫で本を貸してくれた優しい声でも、

夜の部屋で謝罪した男の声でもない。


ただの――皇帝。


リリアは黙って頭を垂れた。

少しの沈黙。

やがて皇帝が続ける。

「……最後に、何かあるか」


リリアはゆっくりと顔を上げた。

黒く濁った左目

そして澄んだ右目。


彼女はふっと、スラムで食べ物を見つけた時のように、柔らかく微笑んだ。

そして、不自由な両手を胸の前で組む。


「最後に……祈らせてください」


ざわり、と空気が波打つ。神殿の隅からは「呪うつもりか」「最後まで忌々しい魔物め」と毒づく声が聞こえる。

だが、ジークヴァルドは表情を動かさなかった。

「……返還の詠唱を始めろ」


皇帝が手を上げると、神官たちの低く重い唱名が始まった。

魔法陣の線が青白く発光し、リリアの身体を包み込んでいく。


(……ああ、あったかい)

ずっと冷え切っていた身体が、ゆっくりと解けていく。

重く、腐りかけていた腕が、羽のように軽くなる。

胸の奥に溜まった、あのどろりとした瘴気が、光の奔流に洗われて消えていくのがわかった。


リリアは組んだ手にそっと額を寄せ、目を閉じた。


「どうか」

小さな、けれど凛とした声。


「この帝国に、平和が訪れますように」


光が爆発的に強まる。リリアの輪郭が、白銀の世界に溶けていく。


「願わくば」

視界が白く染まる。

「ずっと……ずっと」


そして――

リリアは心の中で、最後の願いを呟いた。


(どうか)


(この魅了が)


(悪しきものなら)


(消えますように)


その瞬間。


光が――

弾けた。


天井を突き破らんばかりの輝きが、無数の光の粒となって神殿内に降り注ぐ。


それはまるで、天からの祝福のようだった。

人々は息を呑み、その美しさに目を奪われた。


やがて、光がゆっくりと収まり、視界が戻る。

神殿の中に、無数の光の粒が舞い散る。


静寂。


耳が痛くなるほどの、圧倒的な沈黙。


魔法陣の中央には、もう、

誰もいなかった。

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