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38 押し付け合い

廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから低い地鳴りのような声が聞こえてきた。


「……今日はお前がつけ」


聞き覚えのある、カイルの硬い声だ。リリアは思わず足を止めた。

続いて、それに応じる聞き慣れた荒っぽい声が返ってくる。


「はあ? なんで俺なんだよ」

ゲルハルトだ。二人の声は潜められているが、隠しきれない不機嫌さが空気をごつごつと波立たせている。


「昨日は俺だった。だから、今日はお前だ」

カイルが短く、突き放すように言う。

「ふざけんな。今日は俺がセラフィーナの護衛任務を仰せつかってんだぞ」

「それがなんだ」

不毛な言い争いの間に、重苦しい沈黙が落ちた。少しだけ、空気が軋むような緊張が走る。


やがて、ゲルハルトが吐き捨てるように低く言った。

「……じゃあ、誰がリリアにつくんだ。一人にするのか」


カイルは一瞬だけ口を閉ざした。そして、いつもの調子で淡々と答えた。


「『アレ』は、今は浄化に出ていない。城内にいる限り、差し迫った危険はないはずだ」

「……ああ、そうか。浄化もしてねえしな」

「優先順位の話だ。今はセラフィーナを最優先に守る。当然の判断だろう」


ゲルハルトが忌々しげに舌打ちをする気配がした。

「……わかったよ。まあ、二人で固めりゃ万全か。あっちには神官もついてるしな」

「ああ。行くぞ」

そこで会話は途切れた。


リリアは心臓の音を抑えるようにして、そっと壁から身を離した。二人はまだ、角の向こうで彼女が立ち尽くしていたことには気づいていないようだった。


(……忙しいんだな)

リリアは小さく、自分に言い聞かせるように呟いた。


セラフィーナの護衛は、きっと想像以上に大変なのだろう。新しい聖女が来てから、城の人々は誰もが余裕を失い、慌ただしく立ち働いている。強靭な騎士たちとて、同じなのだ。


(邪魔をしちゃ、悪いし。……一人でも、大丈夫だもんね)


今日は一日、書庫に籠もって古い文献を調べるつもりだった。護衛がいなければ、彼らに気を遣う必要もない。


リリアはそのまま静かに、誰にも気づかれないよう音を殺して廊下を歩き出した。


人気のない廊下を、一人で進む。

窓から差し込む春の光は、彼女を通り抜けて床を照らすだけだ。

背中の奥を、あの逃げ場のない寒気が、またゆっくりと冷たい指で撫でていった。

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