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王城の中庭は、春の午後の柔らかな陽光に満たされていた。白亜の噴水が刻む規則正しい水音と、遠くで庭師が薔薇の枝を整える微かな音。


平和そのものの景色の中に、場違いなほど必死な、ぎこちない動きがあった。


リリアは石造りのベンチに浅く腰掛け、指先に全神経を集中させていた。

細い麻の紐を数本束ね、結び、また解いては結び直す。だが、その動きは滑らかさとは程遠い。


「……あれ。おかしいな」

小さく零れた声には、焦りが混じっていた。

眉間に深い皺を寄せ、手元の紐を睨みつける。何度もやり直したせいで、編み目は歪にねじれ、ところどころが不自然に固く締まってしまっていた。


(えっと……左を上にして、次は右をくぐらせて……違う。逆だったかな)


スラムにいた頃。

泥水を啜るような日々の中で、時折余ったパンを分けてくれた、年上の女がいた。

「いいかい、リリア。こうやって編むんだよ。願い事をしながら結べば、いつか叶うんだってさ。……ま、アタイらの願いなんて、明日の飯くらいだけどね」

そう言って、ガサガサに荒れた指先で魔法のように紐を編み上げて見せた、あの人の笑顔。


(……全然、思い出せない。あんなに簡単そうだったのに)

リリアは小さく溜息をつき、逃げ出しそうになる心を抑えて再び紐を手に取った。

不格好で、不揃い。それでも、リリアはどうしてもこれを形にしたかった。


ここに来てから、数えきれないほどの「施し」を受けた。

凍えることのない清潔な部屋。泥の味のしない温かい食事。身体を沈めれば吸い込まれるような柔らかい寝台。

そして――何より、自分の背後で常に剣を帯び、影のように寄り添い守ってくれる騎士たち。


何かを返したかった。

だが、今の彼女には、自分の名前すら自分のものではない。金も、地位も、贈るべき宝石も持っていない。

あるのは、書庫の隅で見つけた端切れの麻紐と、僅かな自由時間だけだった。

「…………」

無心に指を動かしていた、その時だった。


「聖女」

頭上から、重く低い声が降ってきた。

「っ……!」

リリアはびくりと肩を跳ねさせ、反射的に手元の紐を両手で握り込んだ。


振り向くと、そこには近衛騎士団長カイルが立っていた。

鋼の甲冑を纏い、感情を一切排した瞳で自分を見下ろしている。陽光の下にあっても、彼の放つ空気は戦場のそれと同じく、冷たく研ぎ澄まされていた。


「……カイル、さん」

「何をしている。休憩の時間のはずだが」

「え、えっと……その……」

リリアは言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。だが、隠し通せる相手ではないと悟り、おずおずと、泥を差し出す罪人のような心持ちで両手を開いた。

そこには、見るも無残に歪んだ編み紐が転がっていた。

太さはバラバラ、結び目は不揃い。お世辞にも「贈り物」と呼べる代物ではない。


カイルは一瞬だけそれを見つめ、僅かに眉を寄せた。

「……紐か。何かの儀式用か?」

「み、ミサンガ、です」

リリアは顔を真っ赤にしながら、早口に続けた。

「その……願いが叶うっていう、おまじないの紐で……。昔、知り合いの人に教えてもらったんです」


カイルは黙ったまま、リリアの手のひらを見つめている。

「あの、護衛をしてくださっているお礼に……。何か、お返しをしたくて。でも、私にはこんなものくらいしか……」

「礼?」

カイルの声は、どこまでも平坦だった。

「はい。いつも、守ってくれているから」


沈黙が中庭に落ちた。


カイルは、目の前の小さな少女を冷徹に観察する。

この女は、帝国を救う唯一の鍵。最優先保護対象。守ることは「任務」であり、絶対の規律だ。感情が介在する余地など、一欠片もありはしない。


「任務だ」

鉄の響きを持つ、短い拒絶。

「聖女が気にする必要はない。俺は俺の仕事を全うしているだけだ」

リリアは、期待していたわけではない。それでも、突き放された感覚に、少しだけ肩を落とした。


「……そう、ですよね。すみません、変なもの押し付けようとして」

だが、彼女はすぐに顔を上げた。

「でも、作っちゃったので…」

差し出された手。その上に乗る、粗末で不細工な麻紐。

カイルはしばらく、それを見つめていた。

皇帝から下賜される絢爛な褒章でもなければ、神殿が用意する神聖な祝福具でもない。ただの、価値のないゴミのような紐だ。


「…………」

だが。

差し出されたリリアの指先が、僅かに、微かに震えていた。

拒絶される恐怖に耐えながら、それでも「返したい」と願うその小さな意志。


カイルは小さく、自分にしか聞こえないほどの吐息を漏らした。

そして。

分厚い、戦いを知る指で、その歪な紐を摘み上げた。


「……分かった。預かろう」

それだけ言うと、彼はその紐を無造作に懐へとしまい込んだ。

リリアは、弾かれたように顔を上げた。


「ありがとうございます……! あの、本当は腕に結ぶといいんですけど」

「……腕にか」

「願い事をするんです。それで、願いが叶ったときに――切れるんですって」

「覚えておこう」

カイルは短く答えたが、腕に結ぶ様子はなかった。

それを見て、リリアは少しだけ困ったように、けれどどこか嬉しそうに笑った。


「……そのまま、忘れちゃいそうですね」

カイルは答えない。

ただ、一度だけ、リリアの瞳をじっと見つめた。


陽光を浴びた彼女は、最初に出会った時の死人のような表情ではなく、たしかに「生きている」人間の顔をして笑っていた。


なぜ、この程度のことでそんな顔をするのか。

なぜ、自分はあんな価値のない紐を受け取ってしまったのか。

カイルには、理解できなかった。

ただ――捨てようとは、思わなかった。

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