表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/59

17 品定め

晩餐を終えた後の一室。

煌びやかな祝宴の余韻など微塵もなく、そこには冷徹な軍議のような静寂が横たわっていた。

主を失った燭台の火が、窓から漏れる夜風に吹かれて、不穏な影を壁に投げかけている。


重厚な沈黙を、最初に破ったのはブランデーの入ったコップを一気にあおったゲルハルトだった。


「……あの嬢ちゃん」

椅子の背にもたれかかり、組んだ手の甲を額に当てて天井を仰ぎながら、彼はぼそりと呟いた。


「間違いなく、底辺したの育ちだな」


その場にいる誰も、言葉の意味を聞き返さなかった。

イーサンが、静かな動作で冷めかけた紅茶を口に運び、陶器の触れ合う繊細な音を立てて答える。

「ええ。所作、食事の取り方、周囲への視線の配り方……。どこを切り取っても、まともな教育を受けた形跡は見当たりません。……ですが」

イーサンは一拍置き、モノクルの奥の瞳を鋭く光らせた。

「“怯え方”が、あまりにも不自然です。通常、平民が陛下との晩餐に招かれれば、過剰に萎縮するか、あるいは必死に取り繕うかのどちらか。ですが彼女は――怯えながらも、決して『崩れない』」

「崩れない、か」


ゲルハルトが片眉を上げた。

「ええ。あれは、恐怖に慣れきっている者の反応です。最悪の事態を常に想定し、震えながらも次の逃げ道を計算している……。生存本能が、理性を上回っている証拠でしょう。彼女はおそらく二十歳そこそこでしょう。その年数をそうして生き抜いてきたというわけです」

「だろうな。あの、他人に触られるのを極端に嫌う拒絶反応……。納得だぜ。スラムで生きてりゃ、寝首をかかれないために嫌でも身につく『癖』だ」

ゲルハルトの言葉に、部屋の空気が一段と冷え込んだ。


その沈黙を切り裂いたのは、これまで置物のように黙っていたカイルだった。


「……だからどうした」

ワインを一口飲んでからの、短い、氷のような一言。


「出自や育ちなど、任務に関係はない。彼女が何者であろうと、私のやるべきことは変わらん」

「はは、相変わらずだな、お前は」

ゲルハルトが肩をすくめるが、カイルは表情一つ変えずに続けた。


「事実として、聖女は瘴気を完全に消失させた。実戦において、あれ以上のパフォーマンスはない。それで十分だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「……ふむ」

それまで目を閉じて思索に耽っていたジークヴァルドが、ゆっくりと目を開き、深く頷いた。


「なるほど。皆の意見をまとめれば、出自は『そういうこと』なのだろうね。最も過酷な環境で、誰よりも長く生き延びた個体が、最も強力な適性を持つ……。皮肉なものだが、自然のことわりか」

その言葉に、イーサンが即座に、事務的な冷徹さで応じる。

「選別としては、非常に合理的です。……“残ったもの(リル)”にこそ価値がある、というわけですな」


その瞬間。

ゲルハルトの視線が、ほんの一瞬だけ鋭く跳ね上がった。

「残りもの」という言葉に含まれた、冷酷な選民思想。だが、彼は何も言わずに視線を逸らした。ただ、その沈黙だけが部屋に漂う。

「……だが」

ジークヴァルドが、静かに言葉を継いだ。


その声音は先ほどよりも、ほんの少しだけ温度を帯びている。

「それを『当然』として扱うつもりはないよ。過酷な環境でしか生きられなかったことと、そこから自力で生き延びてきたことは、決して同義ではない」

彼はゆっくりと視線を上げ、窓の外の闇を見つめた。

「彼女が今ここにいるのは、単に『残ったから』ではない。死を拒絶し、ここまで生き延びてきた――彼女自身の意志の結果だ。……イーサン、彼女を単なる『便利な道具』として扱うな」

穏やかに、しかし皇帝としての絶対的な威厳を持って、ジークヴァルドは言い切った。


「この国を救う力を持つ以上、彼女が背負わされるものはあまりに大きい。だからこそ、こちらが支えなければならない。恐怖も、戸惑いも、すべて当然だ。それを許容するのも、我々の職務だよ」

「……御意。失礼いたしました」

イーサンが静かに頭を下げた。

「引き続き、聖女の補佐、及び多角的な観察を継続いたします」

「頼むよ。……彼女は、まだこれからの若い身だ。その肩に、帝国の未来をすべて乗せるには早すぎる」

ぽつりと落とされたその言葉に、部屋の空気がわずかに緩んだ。


ゲルハルトが小さく息を吐き、椅子を鳴らして立ち上がる。

「……まあ、そうだな。あんな細い腕で、全部背負わせるのも寝覚めが悪い」

カイルは何も言わない。

ただ、静かに目を伏せ、自らの掌を見つめていた。


あの浄化の瞬間、リリアから感じた「底知れない怪物」の気配。それを報告しなかったのは、果たして皇帝への忠誠か、それとも――。


灯火が揺れ、夜が深まっていく。


誰もが理解していた。

あの二十歳はたちそこそこの女性が、どれほど泥にまみれた場所から這い上がってきたのか。


しかし、まだ知らない。

これからリリアが、白く清らかな「聖女」の衣を纏わされ、どれほど深い地獄へと足を踏み入れることになるのかを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ